第37話
『神に頼む時は、俺たちには贈り物をする習慣がある。――ああ、わからないか? そうだな、ええと・・・・・・祈るとき、神に何かをあげる』
神様に何かを捧げるのね。
カレブが名優さながらに祈る姿勢をし、手近な食物の皿をとって頭上に掲げ、感謝するのを、彼女は面白そうに眺めた。
『わかった。あなた、食べ物、あげる。神、嬉しい』
『そうだ。食べ物の他にもある。衣服、山羊。ただ、それは一族の考えで、俺は儀式にも貢物にも懐疑的だがな。この慣習を廃止したいと思っているが、まあ、なかなか・・・・・・ままならない』
『なに?』
カレブはマーシャに微笑み、舌で自分の上唇をそっと舐めた。
『神には食べ物の他にも、色々な物をやる』
『他に?』
マーシャの視線は、支度部屋から持ってきた人形に伸ばされるカレブの手を追った。『人形、あげる?』
カレブは黙って首を左右に振り、人形を二人の前の床に仰向けに横たえた。マーシャが見ていると、彼は自分の手の中にナイフを握り、彼女が見つめているのを確認した上で、人形の心臓の位置にナイフの刃を突きたてた。
『カレブ、何?』
意味がわからずに彼女が視線を上げると、カレブはやや緊張した面持ちで言った。
『神に、人間をあげる』
ニンゲン???
瞬時に、様々な想像で彼女の頭の中がかき乱された。
人間?
彼女を心配そうに見ていたカレブは、混乱していた彼女の思想が一つに絞られてきて、だんだんと気が動転していくのを見た。
・・・・・・人間!?
『人間? 人間を神にあげる?』
さりげなくナイフを背後にやり、カレブは彼女の震える瞳を捕らえて頷いた。
生け贄だ・・・・・・!
大昔に世界の一部ではそんな蛮習があったと、中学校の頃に習ったかすかな記憶を思い出した。
でも、よりによって、ここが生け贄の習慣がある土地! カレブが逃がしたあの女の子たちはもしかして・・・・・・。牢にいた人たちも?
私・・・・・・?
自分の手にカレブの手が重なり、マーシャはびくっとしてそれを振り払った。彼はその反応にハッとし、彼女は恐怖のあまりに彼の前からあとずさった。声をたてることもできず、彼女は、信じられない思いで一族の男であるカレブを見つめた。
『――俺はちがう!』
『私は嫌!』
『おまえをやると思うのか!? 俺だって嫌だ!』
カレブが詰め寄ろうとしたが、彼女は逆方向に同じ間合いだけ遠ざかった。
『マーシャ、俺はおまえをここに連れてきたんだぞ! 贈り物にしたければ、おまえをあそこに置いたままだった!』
マーシャの息が速くなってきていた。彼の放った言葉は理解されていない。カレブはやりきれない怒りのこもった瞳を彼女に向けた。
『マーシャ、誤解するな!』
「来ないで!」
カレブは動くのをやめ、無念そうに暗い瞳で彼女を見た。
『頼む、わかってくれ。俺はおまえを神にやる気はない。・・・・・・わかってくれ!』
『向こうへ行って!』
『マーシャ、俺はちがうんだ! 信じてくれ!』
『来ないでよ!』
『俺はおまえをどこにもやらない、本当だ! だが、ネデルは・・・・・・ネデルは、そうなんだ』
ネデルの名が出たことでマーシャは注意を引かれた。彼女が見返すと、カレブが必死な表情で見つめ返してきた。カレブがまた上唇を舐めている。焦ったときの癖かもしれない。
『・・・・・・何て?』
彼女が口をきいたことでほっとし、カレブが弱々しく微笑んだ。
『ネデルは、おまえが、欲しい。おまえを、神に、捧げたいんだ』
ネデルは私を神に捧げたい。
マーシャをこの村に連れてきたのはネデルで、牢に閉じ込めたのも彼だ。彼は、自分の仕えるカレブの命令さえなければ、彼女を牢から出したがってはいなかった。言葉はわからなくても、カレブや自分に対する態度でわかった。彼は、いつもいつも口惜しそうにマーシャを見ていた。マーシャは気が遠のくような感覚に陥った。
『マーシャ』
カレブが近寄り、手のひらで彼女の頬を包むようにして触った。びくっと震えはしたが彼女は逃げず、涙のにじんだ瞳でカレブを見て、唇の端をきゅっとあげる仕草をした。
『ネデルは私が欲しい?』
『ああ。だから、大変な問題だ』
「・・・・・・そう。それが、あなたの言っていた、タイヘンなモンダイ?」
カレブが小さく微笑んだ。
『おまえはネデルに見つからないようにしないといけない。わかってくれるな?』
カレブは心を悩ませながらも、自分のことを考えてくれている。
『・・・・・・いつまで?』
彼女には、永久、と言われそうな予感があった。カレブが目を伏せ、マーシャの頬から手に自分の手を移した。心臓が急にドキドキしてきた。
『儀式が終わるまでだ。“祈り”の後』だが、彼は笑って、そう答えた。
肝心の儀式の日付はまだ確定していないそうだ。ただ、例年からいけば、遅くとも二週間後までには済むはずだ、とカレブは答えた。家の者からも顔を隠させているのは、何がきっかけでネデルに彼女の件が知られるかわからないからだ、とも彼は話した。
マーシャはカレブの話を信じた。マーシャの目から涙が落ちると、カレブが彼女の肩を抱えるようにして強く抱きしめた。カレブは今はまだ、儀式の後については何も考えないようにしようと考えていた。