第36話
カレブが寝室に戻ると、寝転んでいたマーシャが目をぱちっと開けて彼を見上げた。
『ネデル、帰った?』
『帰った。だが、また戻ってくる』
カレブはマーシャの枕元にあぐらをかいて座り、彼女が自分の足の上に頭をのせようとするのを手伝った。真上にカレブを見上げたマーシャは、彼が顔をくもらせて何かを考えている様子なのに気づいた。
『問題?』
『え? ああ・・・・・・まあな』
彼があまり話したくなさそうだったので、彼女は深くつっこむのはあきらめて口を閉じた。カレブの腿と触れている頬が温かい。そっと目をつぶっていると、家事部屋から流れてくる料理の香りが彼女の鼻をくすぐり、間近にあるカレブの腹が大きな音をたてた。
「お腹がなった」
『何だって?』
「お腹がなったでしょ?」マーシャが手をあげて彼のお腹を指差すと、彼は、ああ、と頷いた。
『それ、おまえの言葉で何て言うんだって?』
「お腹が、なる」
『へえ? 本当にお腹の音に似た発音だな。オナカ・・・・・・?』
「オナカガ、ナル」
彼はその言葉の響きが気に入ったらしく、何度も繰り返して覚えようとしていた。
『カレブ様、朝食ができましたよ!』
毎朝耳にして覚えた言葉だ。それが何を意味するかわかり、マーシャは彼の足元から勢いをつけて起き上がった。ネデルがいつ戻ってくるかわからない今朝は、居室で食べるよりも寝室へ運んだ方がよさそうだ。カレブが先にたち、召使が居室に置いていった二人分の食事を取りに行く。彼が持てるだけの皿を持つと、残りの皿をマーシャが面倒をみた。
「ねえ?」
『ああ?』ジャガイモとコーンの蒸し煮を二等分していたカレブが手を休めずに目をあげた。
『カレブ、前、言った、大変な問題、何?』
マーシャの言葉はぶつ切りだったが、意味は通じた。カレブは驚愕し、思わず手を止めた。
『説明、できる?』
『マーシャ、それは・・・・・・』あきらかに狼狽した彼が何だかかわいそうだったが、彼女は訊くのを止めなかった。
『私は知りたい。怒らない、言って?』
カレブの手から食物の皿をおろさせ、マーシャは彼の顔をのぞきこんで彼の返答を待つ。彼は不安と恐怖が入り乱れた瞳を彼女に向けつづけ、しばらくの間、無言だった。沈黙は重かったが、マーシャは何か言いたくなるのも我慢してじっと彼の出方を待った。
彼が留めていた息をそっと吐き出し、自分に向かってやるように何度か小さく頷いた。
『わかった。おまえは知らなきゃならない事だ、言わなけりゃな。・・・・・・ちょっと待て』
彼が席を立ち、通路を出て隣の部屋の方へ歩いていった。すぐに戻ってきた彼の手には、石板・チョークと一緒になぜか人形が抱えられていた。
マーシャはいつのまにか顔をこわばらせていた。隣に腰をおろしたカレブは、彼女を安心させようとして無理に笑顔を作った。なんて哀しそうな笑顔なんだろう。彼が愛想笑いをするのを、マーシャは初めて目にしたように思う。
何から説明すればいいかと彼は少し迷っているらしかったが、すぐに、石板に複数の人間の図を描き出した。
『マーシャ、俺たちには食料がたくさん必要だ。だから、食料を作って収穫する』
人間の横に野菜畑のような絵を描き、カレブは朝食の食材を指差して、彼女の瞳をのぞき込んだ。
『食べ物をいっぱい、欲しい』
『食料、たくさん、作りたい?』
『そうだ』それから、カレブが人間と畑の頭上に無数の点線を描いていく。
「雨ね?」
『雨だ。作物を作るのに必要な水。わかるか?』
『アメ。アメが欲しい?』
カレブは微笑んで頷き、視線をちょっと宙でとまらせた後、続きを描き始めた。
マーシャが見た限り、ここの土地はとても乾燥していて、土埃が常にたち、間近には川や湖などの水源がない。彼女が滞在している間に雨は一度もこの地に降っていない。水道施設などなく、飲料水用に井戸を設けてあるのかもしれないが、そうでなければ、村人たちはかなりの時間と手間をかけて遠くの水源にまで水汲みに行っているにちがいない。
『だから、俺たちは神に雨の恵みを祈る。おまえたちにも神がいるといったな? 神に、雨を降らせるように頼む。』
『祈る? みんな、祈る? 神に、何を?』
『雨が欲しい。神に、頼む。わかるな?』
――雨を降らせるように神様にお願いする、ってこと?
マーシャは、ここが千年以上も過去の世界かもしれないと想像し、あらためて自分の行く末が恐ろしくなった。ここの人たちは雨が神様の恵みだと信じているらしい。自然現象を神がかりにするなんて、非科学的で迷信深い。もしかしたら医者の代わりにまじない師か何かがいて、人の病気やケガを治療するとでも言い出すんではないだろうか。
カレブはほんのちょっとの顔色の変化も見過ごさないようにと、注意深く彼女を見つめていた。かすかな驚きが彼女をかすめていったが、彼女は比較的、落ち着いている。