第32話
召使が湯の準備ができたことを主人に知らせ、カレブは席を立った。
控え室の中央に置かれた楕円形の桶には、少し熱めのお湯が七分目まではってあった。その横の椅子の上には、擦ると泡立つ薬草の束と毛足の長い布が準備されていた。桶の脇で二人の召使が手伝いのために待機している。いつもであれば、カレブが桶にはられたお湯に足を入れれば彼女たちが勝手に体を洗ってくれる。
カレブは桶の横を通り過ぎ、壁際につけられた椅子に腰掛けた。
『ここの手伝いは必要ない。おまえたちは下がっていい』
主人の言葉に二人は面食らい、お互いに探り合ってひそかに視線を交わした。ほどなく、年長の召使の方が顔を上げずに主人に言った。
『カレブ様、お手は必要にございましょう。どうか、遠慮なさらずに私たちに何なりとお申し付けください』
『かまわん。手は足りる、助けはいらん』
二人が困惑して顔を見合わせている。カレブは椅子の上で足を組んだ。
『だが、おまえたちには俺が連れてきた者のことを言っておかねばなるまい』
彼女たちは顔をあげず、カレブの方に視線だけを向けた。
『あやつはしばらくこの家に置く。無論、奥方が家に戻る前には去ることになるが、おまえたちにもその心積もりでいてもらいたい。あやつが余計な面倒をかけることはないが、お互いのために顔を合わせようと考えるな。俺が留守にする際は寝室に置くが、俺が在宅の際は居室にも出る。おまえたちが用事で入室したい場合は必ず俺に声をかけろ。来客があった場合も同じだ』
『はい、カレブ様』
『言うまでもないが・・・・・・この件は門外不要だ。家の者以外に知らせる必要はない。ネデルにも、だ。言いつけを守らなかった場合は、おまえたちを石の谷まで引きずって行って蹴り落としてやるからな。わかったか?』
『は、はいっ!』
哀れな召使たちはかすれた声で返答し、ひれ伏した。彼はその様子をじっくりと見ると、椅子から立ち上がった。
『わかったら、もうさがれ。家の他の者どもにもそう伝えておくのだな』
彼女たちはあわてて逃げ出して行った。
通路から南側にある家事部屋に抜ける扉が閉まるのを見たカレブは、居室と繋がる控え室の出入口から顔だけ出し、マーシャを呼んだ。
『お湯の準備ができたぞ、来い』
彼が笑うと、彼女が飛び跳ねながら居室から走ってきた。
族長の地位を得て以来、自分の体さえ自らの手でまともに洗ったことがないカレブだったが、お湯を見て目を輝かせるマーシャを見て、彼の手が自然に薬草に伸びた。彼女にせがまれて髪を泡立ててやると、彼女が喜んで小さな笑い声をあげた。煩わしいとはちっとも思わなかった。
結局、彼はマーシャの手足についた土を流しただけでなく、体全体をきれいにお湯で洗いあげてやった。
日が暮れてまもなく、牢小屋の守り番の訪問を受けたカレブは、彼から“生娘の間”の少女たちが全員いなくなっていると報告を受けた。扉の壊された形跡があり、何者かが故意に逃がした可能性がある、と男は続け、度重なる不運に怯え、うろたえていた。カレブはできるだけ不審そうな表情を作り、いなくなった少女たちを探すようにとだけ男に告げた。
その日の夜、カレブの隣に眠るマーシャは彼の服をまとい、体からは彼と同じ薬草の匂いがした。彼女が自分の居宅にいるのがとても信じられなくて、カレブは何度か彼女を揺り起こすはめになってしまった。最初の二度こそ、マーシャも眠い目をこすって起き上がり、彼に笑い返してくれた。カレブはほっとし、身体中が幸福感で包まれた。
しかし、三度目に彼に起こされた時は、彼女はさすがに眠気に耐えられず、彼の顔をパチンと平手でたたいて寝床に戻っていった。叩かれたことに彼は呆然とした。尚も彼女を起こそうとあれこれ試したのだが彼女が起きてくれることはなく、彼はムカムカとして彼女の開かない瞼を見た。不本意ながら、屈するしかなかった。
くっそう、この女。
彼が不満でうなっていると、背後で熟睡している彼女が無意識に彼の腰に手をまわしてきた。自分の腹にぶらさがった彼女の手を握るが、力が抜けていて握り返されることはない。
だが、まあ・・・・・・これも悪くない。
自分の背中に摺り寄せられる彼女の頬の感触に、彼は彼女をゆるすことにした。