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第31話

『お帰りなさいませ』

 カレブは普段、返事などしない。彼の左に通り過ぎる護り番の視線が自分を通り越してマーシャに素早く動くのを逆手にとり、彼は男に意味ありげにニヤッと笑ってやった。そうすると男は気まずそうに視線をさまよわせ、主人は難なくその場をやり過ごした。

 裏口から続く通路のつきあたりの召使部屋にいた女が主人に気づいて顔をあげ、彼が運んできた荷物にも気がついた。

『お帰りなさいませ、カレブ様』

 ここでも彼は無表情を決め込んだ。彼女のいる部屋の正面に平然と近づき、通路のつきあたりを右に曲がる。そこから通路は一直線に伸びていて、面会部屋、居室、控え室と呼ぶ支度部屋、寝室が右手に並ぶ。召使女は心得たもので、素早く驚きを隠し、主人と新しい訪問人に出す飲み物を取りに家事部屋へ走った。

 その間に、彼は居室へ行こうとしたのを思いなおして、隣にある控え室の床にマーシャを降ろした。誰もいない部屋に入れた彼女はほっとしていたが、まだ安心できないカレブは、彼女にもうしばらく無言でいるように言い含めた。


『カレブ様、飲み物をお持ちしました!』

 居室の入口でさっきの女が声をはりあげる。カレブは控え室を出て、居室の入口から入ってこようとしない女の元へ歩いていった。

『それはこの部屋に置いておけ。それから、控え室にたっぷりの湯を準備しろ。用意ができたら、俺に言え』

 召使は返事をし、二人分のコップがのった盆を居室にある長いすの脇にある台に置いた。彼女はすぐに退室すると主人の様子を気にしていた他の召使を家事部屋から一人連れ出し、湯を沸かすために一緒に庭へ出て行った。

 控え室に戻ってきたカレブを、彼を待ちかねていたマーシャが声を出さずに呼んだ。彼は彼女の前に立ち、真顔をくずさずに応えた。

『今、おまえの汚れを洗い落とす湯を用意させている。準備ができるまで今しばらく待て』

「何?」

『おまえの体を洗うんだ。この土を落とす』

 手に塗られた土をカレブに払われた彼女が、楽しそうに顔をしかめた。

 この女はなんと無邪気なのか。

 カレブは、彼女が笑うのを見て頬をつい緩めた。


 二人は居室に移り、彼女が興味深そうに部屋をぐるりと見回した。控え室の倍ほどもある正方形の部屋で、通路とは反対面に小さな窓が二つ並ぶ。控え室と居室を繋ぐ出入口の向かいの壁面にある棚の上で、薄い油紙製の照明カバーの中で火がぼんやりと透けて見えていた。床に敷き詰められた絨毯、布張りの椅子、脇のテーブル、装飾用の面と武具、天井一面に張られたタペストリー。大胆な柄のどれもが鮮やかな多色使いで、それだけカラフルで派手なのにお互いの存在を邪魔せず、うまくバランスをとっている。

『気に入ったか?』

 彼女が感心した表情で調度品の数々に目を移すのを見るのは、カレブもまんざらではない。彼は召使が置いていった飲み物のコップに彼女の注意を促し、椅子に座るように勧めた。

 コップからはレモンの匂いがし、マーシャはその水分を一口だけ口に含んだ。爽やかなレモンソーダのような味だ。いつかの食事に添えてあった発酵ビールのような飲料は飲めないが、その他は今のところ、口に合う。彼女は安心して、そのレモンソーダをごくごくと飲んだ。


 カレブはマーシャの座った長いすと直角に台を挟んだ、一人掛けの椅子に腰掛けた。この部屋にカレブの風貌はよく似合い、悠々と見える。周りの人家より大きな家、立派な装飾品、使用人。カレブは裕福なのだとわかった。

「いい家ね。カレブ、あなたはお金持ちなのね?」

 言ってから、彼女はカレブが聞いていなかったのを知って、言い直した。

『アナタ、エライ?』

『ん?』

 彼女が手で部屋の調度品を示して言うので、カレブは肩をすくめた。

『ああ、そうだな。俺はここの族長だ。族長っていうのはな・・・・・・』

 彼はふと思い出し、椅子と背面の壁の隙間に立てかけてあった小さな石板を取り出した。長老やネデルたちと相談事をする際に使う道具だ。脇台の下に置かれた皿の中からチョークを一つ、つまみあげる。

『いいか? これは人だ。そう、たくさんの人』

 彼は石板の下の方に人を表す図をいくつも書き、マーシャに見せる。

『この上に長老。いや、ネデルの方がわかるな。これがネデル』

 多くの人間の図を丸く囲み、線で引っ張った先にネデルの図を足す。長い三つ編みの髪も忘れない。マーシャから笑いがもれた。

「ネデルが多くの人を面倒みているってこと?」

『俺はこのネデルの上だ』

 ネデルから上に線を引っ張り、彼は人の図を素早く描いて、自分の名を言った。

『一番、上』

 統治者か何かだ。

 彼女はあっけにとられ、目の前の男をあらためて見返した。

「本当に?」

『本当だ』

『アナタ、イチバン?』

『そうだ』

 わざと疑わしい表情をするマーシャに彼は苦笑する。この道具は彼女と頻繁に使うことになるな、とカレブは石板を見て漠然と考えていた。

 俺がこんな面倒くさい事を嫌がらずにやるなんて、我ながら不思議だ。

 ・・・・・・時期をみて早いうちに、なるべく脅かさないように例の儀式の話も伝えなくては。

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