第30話
マーシャのした話をカレブがどれ程理解したのか、本当のところはわからない。
カレブは彼女から一瞬でも瞳をそらすことはなくて、彼女の一語一句を真剣に聞き入っていた。彼女の説明を一通り聞いた後、彼は、一緒にいたいのは同じ気持ちだと彼女に何度も言った。彼女とのやっかいなコミュニケーションを面倒がらずに時間をかけてしたことからも、彼女はその言葉を信じていいように思った。マーシャが唇をふるわせて彼を見つめると、彼は穏やかに頷いた。
『本当だ。だから、そんなことで俺を疑うな。いいな?』
彼が大きな口元をゆるませると、マーシャもゆっくりと微笑み返した。
「わかった」
だが、彼女を見つめていた彼が暗い顔となり、他に大きな問題がある、と彼女にぽつりと告げた。彼女が説明を求めても、彼は哀しそうな目で彼女を見返すだけで内容を言おうとはしなかった。
『・・・・・・後できちんと説明する』
彼は小声でそう口にして、マーシャの額に唇をつけた。
二人の諍いの名残でもある、壊れた扉が風に揺らぐのを目にし、カレブはじっと考え込んでいた。何事もなかったかのように扉を修理するのは難しいことではない。ただし、今は少し状況が変わってしまった、というより、カレブ自身が変えてしまった。大部屋の少女たちが誰もいなくなってしまったことがまもなく発覚し、周囲を探しまわる者が小屋の別の部屋にいるマーシャを発見してしまう。彼女たちの食事が供給される夕方までに、何とかして手を打たねばならない。そして、それはあまり遠いことではない。彼は、マーシャの身柄を移動する必要に迫られていた。
『来い』
カレブがマーシャを外に誘い出した。二人が地面に降り立つと、彼は自分が着ていたチュニックを脱ぎ、彼女の頭に被せて言った。
『それを着て、おまえの服を脱げ。その靴もだ』
『ナゼ?』
『おまえを家に連れて行く。本当は夜間に移動したかったんだがな。ここにはもう、居られない。さあ、それを早く着ろ。おまえが今来ている服は奇妙で目立つからな』
言われたとおりに彼女がチュニックに袖を通すと、肩部分が大きくて首まわりが広く開き、裾は彼女の膝近くまできた。彼女は靴を脱いでズボンから足を抜き、彼からベルトの紐を受け取って服を留める。
『・・・・・・ふーん? 悪くないな』
一族の衣装にまとわれた彼女をじろじろと眺めまわし、カレブが目を見開いた。服に覆われていない顔や手足は村の一般的な女たちのように骨が見えるほどに痩せてはいないが、髪が彼らと同系色なので後ろから見れば村の民と言ってもごまかせるだろう。
マーシャは初めての民族服に腕を通した自分の体をあちこちから見ていた。
「ここの人に見える?」
上半身裸となって腕組みをしているカレブは笑ってみせたが、彼女の手足の白さは目についた。それに、一族にはありえないマーシャの瞳の色。
『おまえの体を汚すのは嫌だが』
「カレブ?」
カレブは地面に手をつくと、両手で地面をさすって砂をつけ、彼女のつま先や足にそれをつけた。
「何するの?」
カレブは唇の端をあげてにやりとし、砂をつけて汚した彼女のつま先に自分の腕を並べた。
『どうだ、俺の肌と変わらないだろう?』
「ああ、色を黒くするのね! 私もやるわ!」
彼女は腰をおろし、地面で手を汚すと自分の腕に砂をすべらせて肌の色を変えた。二人は小さな子どもが土で遊ぶかのようにはしゃぎ、マーシャは顔まであっという間に顔まで黒くなった。
『家に着いたら汚れを洗い落としてやるから、少しの我慢だ。いいな、マーシャ?』
二人が並んで歩いて東に向かって行くと、遠くにある人家群と比べて二倍以上の大きさがある、三角屋根を持った横長の建物が見えてきた。屋根は赤茶色の板状でその下には藁のような植物が葺かれており、壁は黄土色の石を積んで造られていて、左の方にある扉から右方向へ三つの四角い窓が並んでいた。そこに来るまでに人間はおろか動物にも遭わなかった二人だが、その建物の前には長い棒状の武器を片手に抱えた男が堂々と立っていた。カレブににわかに緊張感が走るのを、マーシャも気づいた。
『俺を信じろ。おまえはただ目を閉じて、何があってもしゃべらないでいればいい』
彼は彼女の瞼に手をやって閉じさせ、はっきりとした発音で、しゃべるな、と彼女に念を押した。マーシャは目を閉じたままで続けざまに首を振った。
護り番が、族長と隣にいる人物が近づいてくるのに気がついた。カレブは、男が目の上に手をかざして不審そうにマーシャの正体を特定しようとしているのを見た。あと100歩も行けば男のいる場所に着く。彼はマーシャの体に腕を伸ばすと、おもむろに彼女を担ぎあげ、彼女の頭が後ろになるように自分の右肩の上にその体を折り曲げて置いた。約束したとおり、彼女はうめき声さえも発しなかった。
彼女の体に護り番の視線が注がれているのをはっきりと知りながら、カレブは無言で家の裏口に近づき、焦った者がその焦りゆえに普段なら自分から声をかけないのに話しかけて余計に疑われるような失態はしなかった。妻の妊娠期間中での夫の浮気は大目に見られ、彼が妻の目がないのをいいことに女を用立てた過去は護り番も承知だ。心臓は早鐘を打ち、マーシャを抱える腕は熱くなっていたが、彼は完全なしらを切り通すつもりでいた。