第3話
マーシャが不安そうに男と長槍を見ていると、彼は槍を彼女から離し、代わりに服の間から朱色の太い縄を出した。今は殺されないで済むらしいが、彼はマーシャの身柄を拘束するつもりのようだ。
彼女は逃げたかったが、自分が少しでも逃げる素振りをすれば男に即座に殺されると確信していた。それに、ここから逃げても行く先が全く思いつかない。
彼女は動く気にもなれなかった。
男はマーシャの体に必要以上に触らないように注意しながら上半身をきっちりと縄でしばり、それを引っ張って、彼女に立つように無言で促した。抵抗せずに立ち上がった彼女と男はそう変わらない背丈で、彼はそれにも驚いていたようだが、マーシャをじろじろとぶしつけに眺めた。
それに満足したのか、彼は彼女の体に巻きつく縄を引っ張ると、彼女を岩の裏側へ移動させようとした。彼を刺激しないように彼女はおとなしい態度を貫き、彼のあとを黙ってついていくことに決めた。彼女はそれまで気づかなかったのだが、そこには背の低いロバのような、ずんぐりとした馬が立っていた。
『乗れ』
言葉は理解できなかったが、彼がロバの方へ首で示したので、マーシャは馬に近づいた。
動物の背に乗ったことは一度もない。
手の自由もきかないため、どうやってまたがればいいのかとウロウロしていると、イラだったらしい男が彼女の尻を持ち上げて馬の上に押し上げた。小さな悲鳴をあげた彼女は、それでも何とかして馬の背に体を安定させる。ほっとして彼女が男を見ると、彼は困惑した表情でマーシャを見上げていた。
「ヤー、フィマレ??」
マーシャは、言っている意味が理解できないという意味で首を左右に振った。男はもう一度違う言い方で何か言ったが状況は同じで、彼女は肩をすくめるしかない。
無駄だと感じた彼は、あきらめたように息を吐いた。
それから、マーシャと男は景色の変わらない真っ直ぐな土の道を気が遠くなるほど地平線に向かって歩いた。囚われの身であるマーシャが馬上に、彼女を捕らえた男がその馬をひいて、延々と歩き続けた。
体を照らす日差しと巻き上がる砂埃に体力を奪われ、疲労から気をそらすために、彼女は自分の帰りを待つ家族と学校での勉強の事をずっと考えていた。
マーシャの喉の渇きがいっそうひどくなった頃、二人の前に突如として石造りの塀で囲まれた集落が現れた。黄土色の石を高く積み重ねた門の両脇に、マーシャを連行する男と同じような服装をした2人の男が守りを固めている。遠くからでもマーシャを連れた男を特定した彼らが、頭をふって何かを言い合い始めた。
緊張と不安、慣れない乗馬で疲れきっていたマーシャは、とりあえずの目的地に行き着いたらしいことに安堵した。その後の身の振り方は考えたくもなく、彼女はとにかく、馬から降りて水を口にしたかった。
門を通過した彼女たちは塀の内側に沿って左へ進み、いくつかの粗末な建物を通り越して、赤茶色に着色した屋根の建物の前で止まった。馬から降ろされた彼女が地面にやっと足を着くと、彼女を遠くから取り巻くように見ている男たちの存在に気づいた。浅黒い肌、黒や茶色の長髪、彼女と同じか少し高い背丈。麻のような生地のチュニック、マーシャを連れてきた男と同じような服装をした男たちばかりだ。
彼女を見た男たちは全員、驚いて息をのんだり、怯えた反応をしたり、先を争って逃げようとしていた。彼女のような違う人種を初めてみたのだろうとは容易に想像できたが、ここがどこなのかはマーシャには想像つかなかった。
過去なのか、現在ではあっても、どこかへき地にある原始民族なのか・・・。
彼女を連れてきた男は、どうやら身分が高いようだ。男は他の者たちに横柄な態度をとり、彼らも男に敬意を払っている。
「ヤー!」
マーシャはその時になって、その言葉が“あなた”を意味するのだと理解した。“あなた”というより“おまえ”とか、もっと侮蔑したような呼びかけだろうが。
男に呼ばれたマーシャは男の後について、赤茶色の屋根のある平屋の建物に入った。通路の左側は壁がなく、木で組まれただけの格子となっていて日光が入った。すぐに右折して室内に入り、壁のつきあたりを左折した先は、太陽の光がほとんど入らなくてうす暗かった。二人の前には格子の扉があり、その前では横幅の大きい男が番をしていた。
「セカ・ネデル!」
彼がマーシャの隣の男に大声で挨拶し、マーシャは彼に引き渡された。
・・・ここに拘束されるんだ。
男が彼に何かを説明している間に彼女の目は暗闇になれ、格子扉の奥につづく通路の左脇にも格子戸があるのを見つけた。格子越しに小さく四角い光線が通路を照らしており、窓があると思われた。ざわざわと不思議な音がそちらから聞こえている。
彼女がさらに目を凝らしてよく見ると、奥にある格子戸の木の合間から何人もの人々の足や顔が見えた。
――ここは監獄だ。
彼女が入れられる部屋には、多数の先客がいるのだ。