第23話
「ねえ、もっと何か言って。あなたの言うことをわかりたい」
『何をしゃべっているか、俺にはわからない・・・・・・!』
カレブが口惜しそうに顔をゆがめた。マーシャは彼のあごに手を伸ばし、辛そうな彼を励ますように輪郭を撫でた。
『ワカラナイ』
彼女が聞き取れた、カレブの言った最後の部分を復唱すると、カレブがあえいだように息を吐いた。
『ワタシ、ワカラナイ』
『俺はおまえをわかりたい』
マーシャは大きく頷いて微笑んだ。背伸びをして、横を向いたカレブの頬にキスをする。彼女に視線を戻したカレブの瞳は潤んでおり、白目が赤かった。
彼女は彼の手を引いて、部屋の隅にある棚の前へ連れて行った。彼は怪訝な顔をしている。
「これは何?」
棚の上にあった石人形をつかみあげ、カレブの前に差し出す。訳がわからない彼は、大きく眉根を寄せた。
『何が知りたい? その人形がどうした?』
「あなたはカレブ、私はマーシャ」
名を呼びながら、彼女はそれに応じて彼と彼女自身をたたいた。名前を意味する音だけを聞き分けたカレブが頷く。彼女が人形をたたいて言った。
「これは?」
『人形』
『ニンギョウ』
次に、彼女はネデルの持ってきた食事が入っていた皿を取り上げ、反対の手でたたいた。
「これは?」
『皿だ』
『サラダ』
突然、彼女の意図がわかったカレブは彼女に首を振ってもう一度言いなおした。
『皿』
『サラ』
完璧な発音ではなかったが、彼女はカレブの言うことを一度で聞き取り、覚えていた。泣き笑いのような表情を彼女に向けると、彼女は頼もしい笑顔をくれた。
それから彼女はぐいっとカレブの腕を引っ張ると、ベッドの上に飛び乗って、窓から見える月を指差した。
「あれは?」
『月か? 空か、どっちだ?』
彼は月光のあたる腕を彼女に見せ、両手で丸の形を作った。
『月か?』
彼が空に浮かぶ月をそうやって指差すと、マーシャは誇らしげにうなった。
「そうよ、月。なんて言うの?」
『月』
『チュキ』
彼女の発音が中途半端で別の意味を示す言葉になり、彼はぷっと吹き出した。
『チュキじゃない、ツキだ。チュキだと狂人の意味になる』
「ねえ、何で笑っているの?」
彼がやっと笑ってくれたことに喜び、マーシャは彼の腕をさわって、訊いた。彼は笑いながら、口をすぼめて大げさに発音してみせた。
『月』
「チュキ?」
カレブはおかしくてたまらない、と言ったように笑った。
彼女が何度言いなおしても、正しい“月”の発音はできなかった。
『わかった、もういい。おまえの“チュキ”は“月”のことだと認識しておく』
一緒に笑っていたマーシャがすねたふうに口をふくらます。彼は息をついて、彼女の腰にさりげなく腕を伸ばした。
『いいか? あれはチュキだ』
自分で言っておいて吹き出しそうになるのを何とか堪え、彼女に空の月を指差して見せる。
マーシャの顔が月の明かりに照らされ、まつ毛の横と鼻の横に陰をつくる。急に、月光に彼女が溶け出していきそうな気がして、カレブは彼女を引き寄せた。
「きれいね」
ほぼ満月に近い月を見上げ、マーシャは彼の背に腕をまわす。
『なあ、マーシャ? あの月は、実は“狂人”なのかもしれないな。あれのせいで、俺が“狂人”に変わってしまっても、それも悪くないだろう?』
マーシャが顔を傾けてカレブを不思議そうに見上げた。
マーシャの腰にまわされていたカレブの手が動き、彼女の髪をすくい、耳にかける。その耳元へカレブの唇が近づいた。