第20話
族長の家に入り、ネデルがカレブの居室を見渡していると、裏口から入ってきた護り番がネデルを見つけて近寄ってきた。男はネデルを捜していたようだった。
『ネデル様!』
『ああ』
男に顔を振り向けもせずに彼がそっけない返答をしても気にもせず、男は彼の前に立った。
『先ほど来た酒造りの少年が言っていたのですが、東の岩棚で槍投げの練習をされているカレブ様を見かけたそうです。何人かの子どもが周囲で見物していたそうですよ』
『何だって?本当か?』
『はい。・・・行って、お確かめになってはいかがですか?』
男が、彼を意味ありげに見つめて言った。主人が居ないことで使用人たちをひどくなじり、居場所に心当たりがあると豪語して出ていったネデルが空振りで帰宅したのを面白く思っていないのだ。ネデルはその振る舞いにむっとしたが、さらに悪態をついて自分の印象を悪化させたくなかったので、何とか感情を押し留めた。
『同行しましょうか?』
『結構だ。行ってくる!』
頬が赤くなるのを男に見られない前にネデルは居室を抜けていき、男は冷めた顔で彼が去っていくのを見送っていた。
主人も主人だが、使用人もなってない!
カレブの無事を知った召使たちが庭で夕食の支度にとりかかっていた。主人の居場所を知ったのはネデルが最後だったようだ。彼は持って行き場のない怒りを発散させようと、地面にどすどすと音をたてて歩いた。
村の境界線でもある東側の切り立った白い崖は、男たちにとってかっこうの武術の練習場となっている。直角に近い角度の崖の高さは村の反対側からも見えるほどに高く、崖の表面はほどよく柔らかくて、石で突けば簡単にボロボロと崩れる。
ネデルが練習場を一面に見渡せる近さまで来ると、地面の思い思いの場所に座った5、6人の子どもたちの向こうに、彼に日に焼けた背中を向けているカレブの姿が目に入った。大人は他におらず、上半身を剥き出しにして筋肉質の体を露わにした彼は、助走をつけて大きな槍を投げようとしているところだった。子どもたちが甲高い声ではやし立てている。
吠えるような声をあげてカレブが放った槍は、岩につけられた赤い点を手のひら幅ほど右にずれて岩に突き刺さった。岩とカレブの中間地点にいた少年が岩まで走っていき、彼の身丈1.5倍ほどもある長さの槍を岩から引き抜いた。カレブは額の汗をぬぐい、走ってくる少年に途中まで近づいて、その手から槍を受け取った。それから彼は振り返り、そこにネデルが歩いて来るのに目を留めた。
カレブが起点に戻ると、隣にすっとネデルが並んだ。
『探しましたよ』
カレブは眉をあげた。
『何か用事だったのか?』
『そういうわけではありませんが・・・。家の者に行き先ぐらいは告げて、お出かけください』
『忘れていた。今度から気をつける』
汗で額にはりつく前髪をかきあげ、カレブはほうっと息をついた。運動で上昇した彼の体温がネデルにもじわりと伝わってくる。ネデルはカレブの横顔を盗み見て、彼にほんの些細でも異変がないかを観察する。
『こちらにずっとおられたのですか?』
『そうだ』
首にまとわりつく髪をうるさそうに払い、カレブは崖の赤い目印を見つめている。一見して、彼に妙な点はない。
『・・・用がないならどいていろ。夕食までには戻る』
カレブは目でネデルに離れるように促し、長槍を持ち直した。まだ問い詰めたい事が山ほどあったが、ネデルはそれを飲み込んで子どもたちが座る場まで離れた。
カレブは神経を集中し、槍を肩の後ろに掲げると、また走り出した。子どもたちが手をたたき、高い声で騒ぎ立てる。放たれた槍の先は赤い点に当たった。
槍を受け取って戻ってきたカレブは、ネデルが子どもたちに何かを尋ねているのに気づいた。風にのって、会話がはっきりと聞こえてくる。
『・・・ずっと、ここにいたのか?』
『ずっとさ!』
『ずーっと、ここにいたよ!』
『ずっとって、どれぐらい?』
『そりゃあ、ずーっと長い間さ!僕たち、ずっと族長と一緒だったよ!』
ネデルの困惑が手に取るようにわかる。カレブは思わずもれた笑みを手で隠した。
彼らの元に着いたカレブはその中でも年長の1人の少年を手招きした。呼ばれた少年は顔を輝かせ、自分たちの族長に駆け寄っていく。
『特別に、おまえにも教えてやろう』
残りの子どもたちから歓声と羨望のため息があがった。村の中でも1、2位を争う長槍の名手カレブから指導をつけてもらえるのは、とんでもなく名誉なことだ。ネデルは退屈そうに、その光景を眺めた。