第2話
彼女から50mほど離れたところにある、切り立った崖の向こうに砂埃が上がっている。
それは地響きを伴い、複数の声のようなものが空気にのせられて彼女の元にも届いた。
本能的に身の危険を察した彼女は、とっさに近くにあった平らな大岩の影に身を潜める。
怒鳴り声とも悲鳴とも区別のつかない声が、どんどん彼女に近づいてくる。
何か知らないけど、そのまま過ぎ去って!!
彼女は目を閉じ、必死に神様に無事を祈った。
それはたぶん、馬に乗ったグループと追われる複数の人々だったと思う。思う、というのは、マーシャが正面からその一団を見なかったからだ。
正体不明の軍団は大きな砂埃を巻き上げ、大声を出してわめきながら、彼女の隠れる岩の向こうを駆け抜けていった。
そして、音が少し遠のいてから彼女が覗いてみると、3頭の小柄な馬に乗った人間が前を走っている人たちに大きな槍のようなものを突きつけて、追いかけていた。騎乗の3人は白・赤・黒のカラフルな民族服のような物を身につけていた。
自分がどこにいるのかと混乱はしていたが、何とかやり過ごした危機に彼女はそっと息をついた。
一団の放つ足音はどんどん彼女から遠のいて行く。
ところが、ほっとしたのもつかの間、
「ヤー?」
と、背後からいきなり声がきこえて彼女は縮みあがった。
体を硬直させたままに首だけ動かそうとすると、彼女の頬に触れるかというところに灰色をした矢尻が突き出された。
「・・・っ!?」
「ヤー、セセン!」
男が、彼女の聞いたこともない言葉を発した。
恐怖で喉の奥がはりついた。後ろで、男が動く音がした。
「・・・やめて、逃げないから!」
顔の横にある矢尻が上下に揺れ、マーシャは唾をのむ。
「助けて・・・!」
彼女が震えて動かないのを見ると、男が彼女の正面に回りこんできた。
矢尻は顔につけられたままだったが、男は彼女の前に立って、その場に座る彼女を見下ろした。
矢尻の先に長い木の棒がついている。
男は乾燥した植物のつるでできたような簡易サンダルをはき、剥き出しになった裸足の足は浅黒かった。古い映画で見た、ジプシーか古代ローマ人のような膝までのスカートをはいて、ベルト代わりの紐に小さな袋や小物をぶら下げている。
彼女はその風貌に驚いて目の前が真っ暗になった。
こんな冗談、嬉しくない!!
過去に紛れ込んだなんて・・・ううん、そんなまさか!
それとも、未開の地の原住民・・・??
『おまえ、何者だ?』
男は長い黒髪を1つに束ね、白・赤・黒の模様が入った上着を着ており、目の下にも同じ色の塗料で横線の化粧をつけていた。
彼は、顔を上げたマーシャを見てぎょっとし、あとずさった。
『何者!?』
「待って!ねえ、私はあなたに危害を与えない・・・私は、何もしないから・・・!」
男は彼女を恐れていたようだが、不可解な表情をした。
警戒を解きはせず、彼女の顔につけた矢尻で彼女の顔を右に向けさせた。
顔に当たる感触は冷たく固い。
本物だ。
マーシャは恐怖に体を震わせ、視線を地面に落とした。
『おまえ・・・どこの言葉を話している?俺の話を理解できないのか?』
「ああ、もう・・・・言葉が通じないってこと、わからないかな・・・」
彼女がゆっくりと顔をあげると、男は再び驚いて一歩退き、彼女の目を穴のあくほどに凝視した。
彼は短く何かを言い放ったが、彼女に聞き取れるはずもなかった。