第12話
ああ、行きたくない。その心に反してネデルの足は動く。
『はい』
近寄ったネデルに息がかかるほど顔を寄せ、カレブはぼそっと言った。
『あの異人を“生娘の間”に移せ』
主人の顔を振り払うようにして、ネデルは恐れおののいて主人から離れた。家来に無礼な態度をとられたカレブだったが、ネデルの悪霊でも見たかのような形相を目にして文句を言うのをやめた。
今の言葉は主人の悪い冗談だ。ネデルは期待を込めて主人を見、彼が腕を組んで自分を見下ろしているのを見つけ、主人が本気なのだと悟った。
『カレブ様!・・・おお、お赦しを!!そのような事はとても、とても、私にはできません!!』
『おまえはできたじゃないか。二度も、三度も変わらない』
『いいえ、カレブ様!当時の私はどうかしていたのです、そのような手引きは金輪際、いたしません!カレブ様?カレブ様は、仮にも一族を率いる身ですよ!?そんな畏れ多い考えを持つのは、もうおよしなさい!』
『は、怖れ多いだと?笑わせるな、ヨーダが民を巻き込んでしている事こそ、怖れ多いじゃないか!まやかしの力しか持たぬあの女が、何も知らぬ民からどれほどの贈り物をもらっているかぐらい、知っているだろうに!俺は一族に多大な貢献をしているのだぞ、その俺が娘の1人や2人をもらったところで、何の咎めがあるものか!』
『おお、カレブ様、娘をとることには何の異論もありません!一族には若い娘がいくらでもおるではないですか!そちらを取ればいいではないですか!』
『あの女が司る儀式に神聖さなどない。祈祷の体裁をつくろう為だけの貢ぎ物に、そんな配慮など要らん!』
ネデルは深く嘆いてカレブを見た。カレブは怒りから来る興奮で目が輝いている。大声で言い合う二人のやり取りは召使たちにも筒抜けだ。カレブが並び立てる祈祷師への冒涜もしっかり露呈されているだろう。何とかカレブをとどめる手段がないかと、絶望的にネデルは辺りを見回した。
ネデルが頼れないと悟ったカレブが玄関をくぐって外に出ようとした。誰か別の者に頼むつもりでいるのだ。
『カレブ様!』
過去に遡ってこの恐ろしい企みが他者にばれるのを恐れ、ネデルは彼を追って飛び出した。
『カレブ様、おやめください!』
『うるさい!おまえに用はない、失せろ!』
『カレブ様、どうかお静まりを!』
前にまわりこんだネデルをカレブの足が蹴倒した。地面に倒れてもなお、ネデルはカレブのサンダルにしがみついて止めようとした。その手から逃れようと足で彼の手を踏みつけようとするカレブ。
騒ぎを聞きつけた護り番たちが家の中から走り出してくるのがネデルの目にも見えた。だめだ、誰も来るな・・・!男たちの足音に気づいたカレブが後ろを振り向いた。
二人の男が、族長と族長の足元からよろよろと立ち上がるネデルの元に駆けつけて来た。カレブが口を開けてしゃべろうとすると、ネデルが彼より一歩前へ踏み出してカレブに小さく首を振ってみせた。瞳が、しゃべるな、と言っていた。まさか主人に指図する気かとカレブがかっとなった時、ネデルが口惜しそうに唇を噛み締め、手を震わせるのが目に入った。本意ではないことに従うときに彼が必ずやる仕草だ。カレブは、口を閉じた。
『カレブ様、ネデル様!』
男たちは、争いをしていたように見えた二人の体を確認するように見て、問題がないかと尋ねた。
『ちょっとした行き違いだ。もう解決した』
カレブのサンダルに傷つけられた右手の甲にある傷をさりげなく隠し、ネデルは堂々とした態度で答えた。男たちは疑わしい目をしてネデルから視線をはずし、彼らの族長に目をやった。
『族長、大丈夫ですか?』
カレブは肩をすくめた。
『何のことだ?俺は何ともないぞ』
ネデルが顔は動かさずに目だけでカレブを見た。彼がねじまげた意志はカレブに通じている。彼は自分の身を呪った。
二人の護り番たちが家の裏に完全に消えていってしまうまで、ネデルとカレブは何も言葉を発しないままに二人を見送っていた。気づくと、満月に近い形をした月が随分と明るく地面を照らしている。さっきまで爽やかに吹いていた風は止み、辺り一面が静まりかえっていた。
ネデルが意を決し、カレブに向くと、彼はにやりと笑った。
『左端の個室に連れていきます』
『そうだな』
彼はよくわかっているとでもいうように、ネデルに言った。過去二度の場と同じ場所だ。
住居が立て込む場から離れて建つ“生娘の間”には、右から大部屋、2つの個室とがある。個室が使われることはほとんどないが、大部屋には儀式用に一族の男たちが他部族からさらってきた複数の若い娘たちが軟禁されている。特に出入りが制限されるその神聖な場の周囲は常に無人で、神の報復をおそれる民に代わって飲食を差し入れるヨーダの助手しか近づかない。ヨーダを畏れず、“常識の通じない”カレブがその場に目をつけたのは、当然といえば当然だ。
勇気を奮いおこして異人と対面する心の準備をし、ネデルはカレブに牢へ出向くと伝えた。
『あれを怖がることはない。変わってはいるが、あれはただの人間だ』
ネデルの緊張を見てとったカレブが、あくびをかみ殺しながら言った。
『そうでしょうが・・・』
『喉が渇いているはずだ、水を見せておびき寄せろ。暴れるようなら、俺の名前を言え。少しは気を許すだろう』
そんなに・・・簡単に行くだろうか?
大きな不安と葛藤を抱えながら、ネデルは主人のもとを離れた。