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第11話

 それから彼は、後ろ向きに這って牢の出入口まで向かった。マーシャをもう見ることはなく、他の囚人たちに注がれた鋭い視線は彼らをそこに留めておくかのように威圧的だった。小さな正方形の扉から体を抜け出させた彼は、袖の中から鍵束を取り出して、彼らを抑留しておくための鍵をかけた。マーシャを見ることは一度もなかったが、彼は、彼女にずっと見られていることに気づいている様子だった。

 女の牢から無事に出てきたカレブを見て、ネデルは本当にほっとした。牢番もウロウロと歩きまわっていた足を止め、族長が歩いて戻ってくる姿を見て顔をゆるめている。自分の欲求を満たして帰ってきた主人は、すっきりとした笑顔を彼らに向けた。彼から差し出された鍵束を牢番がうやうやしく両手で受け取る。

『ご無事で・・・安堵いたしました』

 ネデルが顔をほころばせると、カレブは、大げさな、と肩をすくめてみせ、今歩いてきた通路の向こうに振り返った。カレブの頬は上気して少しだけ赤らんでいた。

『あれは、人間だったぞ』

『そうでしたか』

 ネデルはカレブの興奮に気づかず、主人の言葉に頷いた。

『あれは賢い女のようだ。ほんの数回言った俺の言葉を、理解していた。あやつには名もある』

『異形の者にそのようなことが?偶然でしょう』

 ネデルは既に格子扉から去ろうとしていて、主人も当然、それに倣うところだった。ネデルの短絡的な決め付けにカレブはむっとした。

『あやつの名は“マーシャ”だぞ?“女神”だ』

『そんなばかな。お聞き間違いでは?』

『確かにそう言った。マーサ(山羊)と言ったらマーシャと正された』

 カレブが苛立った口調で言ったが、異人の件から解放されたがっていたネデルも苛立っていた。不気味な異人の女について話を長引かせるのは気分がよくない。それに、主人の興味が増してしまったのに嫌でも気づかされたネデルは、早々に現場から引き上げようと焦っていた。

 主人の興奮をいさめられるような娘をどこかから調達してこなければ。墓守の二番目の娘か、冶金師の三番目の娘がいいだろう。

 ネデルが主人に再び振り向くと、彼はまた牢の方を見ていた。

『カレブ様、ここは長居する場ではありません。そろそろご自宅へ戻りましょう』

 ネデルが主人の返事を待たずに行こうとすると、不本意ではないだろうが、彼もついてきた。牢小屋を去る前にもう一度後ろをそっと振り返るカレブに気づいたが、ネデルは知らない振りを決め込んだ。


 カレブとネデルは真っ直ぐに族長宅に帰ってきた。主人の帰宅を迎えに出た召使の女をつかまえ、ネデルは、どちらでも構わないので娘をすぐに来させるようにと、墓守と冶金師の所に遣いに行かせた。どちらの家にも事情は通じている。娘を差し出す代わりに受領する手当ては両者の生活の足しになっているはずだ。召使はネデルの命令を受けて、急いで家を出た。

 カレブと別れたネデルはいずれかの娘による来訪を見届けるまでは主人の家を去らないつもりで、召使の集う部屋でまんじりともせず、娘を連れた召使の到着を待っていた。

 カレブに酒を出しにいっていた召使が戻ってきた。主人の様子を彼女に尋ねると、ぼんやりとしている、という答えが返ってきた。主人が異人の事を考えているのはわかっていた。すぐに娘が来る、それまでの辛抱だ。ネデルは手の指を何回も組み替えながら、その時を今か今かと待っていた。不機嫌なネデルにも、召使から遠慮がちに酒が出された。


『ネデル!』

 召使部屋のすぐ隣、玄関の方から自分を呼ぶカレブの大声にネデルは心臓が止まりそうになった。

『ネデル、いるんだろう!』

 彼はカレブに別れの挨拶をしていた。酒を運んだ女が、ネデルがまだいるとうっかり口を滑らしでもしたのだ。

『遣いはまだ戻っていないのか!』

 ネデルに連絡がない以上、遣いにやった者が戻っているはずもないが、彼はその場にいた召使たちにあたり散らした。哀れな彼女たちは怯えて、一様に首を振って否定した。彼は歯軋りをし、カレブに召使部屋に踏み入られる前に自分から彼の前に姿を現すことにした。

 嫌な予感がした。とてつもなく、嫌な予感。

『カレブ様』

 ネデルは玄関にまわり、落ち着いた態度を装ってカレブに挨拶した。カレブの体からは、戦や儀式前に自らを発奮させるために用いる、キリルという香料の匂いがしていた。その香りはきつくて、玄関から通路にまで漂うほどだ。帰宅すると言っていたネデルが現れ、カレブは明らかに不審そうに彼を見つめた。

『おまえは帰ったと思っていたぞ?今まで何をしていた?女どもと世間話か?』

『はい。帰るつもりでしたが、ついつい話がはずんでしまいまして・・・』

 女とも誰とも長話をしたがらないネデルの嘘は彼にはお見通しだった。ハン、と主人は息を荒げた。

『おまえが世間話などするものか!だが・・まあ、いい。おまえに用事があったからな、呼びにやる手間が省けた』

 ネデルは顔色をうかがうように主人の顔を見上げた。別部族と戦う前のように高揚し、晴れやかな顔をしている。彼の視線をとらえたカレブは自分に近寄るよう、手招きした。

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