涙について学習を開始します
翌日。俺は物音で目を覚ました。
起きる予定だった時間よりも三十分早い。物音は電気がついたキッチンの方から聞こえてくる。耳をすますと、物音に混ざって声も聞こえた。
俺の隣で寝ていたはずのアインの姿はない。
近くにあるリュウのベッドもカーテンが開けられており、リュウの姿は見えなかった。
「ふぁあ……こんな早くにどうしたんだろ……」
俺は欠伸をして立ち上がり、目を擦りながら声のするキッチンへと向かった。
キッチンへのドアは半開きになっており、そこから覗き込むと、リュウとアイン、それに見たことのない青年の姿が見えた。黒髪で藍色の目をした彼には、驚くほど表情がない。
「機械人形……?」
何となく三人の中に入りづらかった俺は、そのまま覗き込むような形で会話を聞くことにする。
「アイン、ルウトといなくていいのか?」
と言ったのはリュウだ。
アインは無表情で淡々と答える。
「その機械人形の無害を確認後、マスターの元へ帰還します」
「搭載されてる、周囲への警戒度が高いのか……?まあいい、こいつは俺の機械人形だから、正真正銘の無害だ」
「両者の血液データを分析、検索。一致を確認。記憶媒体へ、橘リュウの機械人形を登録。呼び名が設定されていません」
「ああ、こいつの名前は……」
と、そこで、リュウと目があってしまった。
「ルウト?」
「あっ……」
隠れるにはもう遅かった。
俺は苦笑しながら半開きのドアを開けて三人の元へと進む。
「ごめん、ちょっと出て行きにくくて」
「いや、いいよ。こっちこそ、起こして悪かった」
「おはようございます、マスター」
俺はアインの隣に座り、始めて見る機械人形へと目を向けた。てっきりリュウには機械人形がいないものだと思っていた。
「それで、名前は何て言うんだ?」
「シュン・アングウィス。それがこいつの名前だ」
「シュンか、よろしく」
俺はシュンに微笑むが、勿論シュンの表情はぴくりとも動かない。それどころか返事もない。まるで、こちらの声が届いていないかのようだ。
リュウは苦笑して続ける。
「こいつはちょっと特殊でな、またすぐに学園の検査官に預ける」
「特殊?」
「まあ、そのうち話すよ」
「分かった」
リュウが少し困ったように笑ってそう言うため、これ以上追求することは出来なかった。
そして、その笑みさえふっと消してシュンに声をかける。
「じゃあ、もう戻って」
リュウにしては少し冷たい口調だった気がした。シュンへの対応と、俺への対応の差に違和感がないわけではなかったが、機械人形に対しては皆こんなものなのかもしれない。それに、リュウとは出会って数日間しか経っていないのだ。俺が知らない何かがあってもいいだろう。
シュンは短く了承を告げ、俺やアインには目もくれずに部屋を出て行ってしまった。
彼は、検査官の所にずっといるのだろうか。特殊だと言っていたし、何かの検査を受けているのかもしれない。
それ自体はおかしくないのだが、俺は思わず訊いてしまう。
「いいのか?」
「何が?」
「いや、そう言われると困るけど……シュンはずっと検査官の所にいるんだろ?折角出てこれたのに、そんなにあっさり帰してしまってよかったのか?」
「ルウトは優しいな。シュンは機械人形なんだから、一緒にいたいとか可哀想とかはあんまり思わない。それに、今は検査官の先生に見てもらう方が大事だから」
そういうものなのか。では、そう言っているリュウの表情が、少し寂しそうに見えるのは気のせいなのだろうか。
「ところで、ルウト」
「どうした?」
「そろそろ準備を始めないとダメなんじゃないか?」
「え……」
時計を見ると、普段起きる時間を少し過ぎた所だった。三十分も早く目が覚めたのに、その間ずっと話し込んでしまっていたようだ。
「やば、もうこんな時間、パン焼かなきゃ」
俺は慌てて立ち上がり、机の上に置いてあった食パンを手に取る。
リュウは、慌てる俺の様子をにこにこしながら眺めるのであった。
教室前には人だかりが出来ていた。一緒に登校した俺とリュウが何事かと顔を見合わせ、アインをそこに待機させてからドアを開けると、原因は明らかだった。
教室の真ん中あたりで、何人もの女の子に囲まれて苦笑いのシェムがいる。
「王女様! 是非仲良くしてください!」
「わ、私のことは気軽にシェムと呼んで頂きたいですわ」
「王女様も魔法使いになりたいんですか?!」
「い、いえ、私は……」
「王女様!」
「こっち向いてー!」
「が、学校ってこんなに賑やかなのかしら……」
この調子だと、友達もすぐに出来そうだ。王女という身分のせいで人が近づきにくいのでは、と心配していた俺は、忙しそうなシェムを見てこっそり安堵した。
流石にチャイムが鳴ると人は散っていき、ホームルームではシェムの紹介がされた。そこで彼女が、''そこにいる宵詠ルウトは自分の夫になる男だ''などと発言し、俺は散々な目に合うのだった。
最初の授業は魔法理論基礎である。
この授業では、魔法、魔力、機械人形など、魔法使いに関わることを広く浅く学ぶらしい。担当の先生は、雅という名前の女性だ。彼女は一年Bクラスの座学を全て受け持っているという。
「まずは属性の話から始めます」
雅先生は凛とした声で授業を始めた。
「魔法は必ず一つの属性を所持しており、属性には、地水火風、光闇、そして月の七種類があります。一般に、水は火に強く、火は風に強く、風は地に強く、地は水に強いとされています」
地水火風の属性が、所謂三すくみのような関係にあることは有名だった。
更に、光闇はお互いに弱点であるという、不思議な関係であることも有名な話だ。
「このように、普通はどの属性も弱点の属性を持っているのですが、月だけは例外です」
月属性なんてものはこの授業で初耳だった。
「月は上位属性と呼ばれ、弱点を持ちません。その上どの属性にも強大なダメージを与えることが出来ます。しかし、月属性の魔法使用時の消費魔力は膨大なものです」
だとすると、月属性の魔法はほとんどが上位以上の魔法なのだろう。
「属性は、自然現象や物理法則に従います。魔法で作られた火でも、水をかければ消えてしまうということが簡単な例です。なので、特に雨の日は注意する必要があります。火属性は威力が落ち、水属性は威力が上がる。風属性の威力にはムラが出ますし、地属性はぬかるみのせいで思ったようにいかない場合があります」
何でも魔法を使えばいいというものではない。
「そして重要なのは、魔物には属性がありません。どの魔法を使って攻撃しても、属性によってダメージが変わることはないのです。そのため依頼では、自分の得意魔法か、環境に適した魔法を使うことが推奨されます」
そう言えば、と授業を聞きながら思う。
魔法には必ず属性があるなら、俺の固有魔法は何属性なのだろうか。神霊を呼び出す魔法には、環境からの影響はないだろう。
ネオの固有魔法も、別の魔法で発動させた幻惑を本物にするものなら、固有魔法自体は外からの影響を受けない気がする。
環境からの影響もなく、見た目や効果から属性が判断出来ないなら、何を材料に判断すればいいのか。
「今日の授業はここまでにしましょう。次も座学なので、私が担当します」
次の授業は午前中の最後の授業であり、魔法法律概論だった。
学園の時間割は午前に二教科、午後に二教科、必要な人は夜に一教科で組まれている。一年のうちは、基本的に夜の授業はない。そして、魔法法律概論は毎日の時間割に組み込まれていた。
休み時間は、欠伸をするリュウと、もう既に疲れた顔をしているシェムと三人で話して過ごす。
リュウに、俺とシェムが幼なじみであることを話した。確か俺のお兄ちゃんがお互いを引き合わせたのだ。何故お兄ちゃんが王女と関われるような立場だったのかは分からないし、何を思って引き合わせたのかも分からない。
その後、シェムにもリュウのことを紹介する。二人とも案外早くに仲良くなれそうだった。
そして、お昼は三人で食べる約束をしていると、ちょうどチャイムが鳴った。二限目が始まると、また雅先生が教卓の後ろに立つ。
「では、魔法法律概論を始めます。この科目では、魔法に関する法律の基礎的な部分のみを教えます」
法律を定めているのは、魔法使い以外の一般市民が選んだ議員達と、魔法使いが選んだ議員達であり、最終的に法律の案を承認するのは国王の仕事である。
「絶対に忘れてはいけない大事な部分は三つあり、一つ目は、攻撃魔法を人に向けないことです」
ちらりとシェムを見ると、頬杖をついて少し退屈そうにしていた。
正真正銘の国王の娘であり、触れたものの魔力を断絶する特殊な能力持ちである彼女にとって、魔法法律は今更学ぶものではないのかもしれない。その点では、彼女はこの分野ではかなり強いだろう。
「両者合意の上であっても、人に攻撃魔法を向けることは違法です。その魔法が何らかの理由で発動しなかったり、発動したけれど当たらなかったりした場合も例外ではありません。向けただけでも違法なのです」
確かに、学園の授業や行事には、魔法使い同士が魔法を使って争うような模擬演習などは存在しない。
力試し等は、魔法を使って作成された動く的を使用して行われる。その的は、実際に魔物の姿をしているものが多いらしい。
「二つ目は、魔法使いの将来についてです。周知の通り、魔法使いとしての適正がある人間は限られています。そのため、魔法使いは必ず魔力が関係する職業に就かなければならないことが定められています」
それを聞くと、教室がざわつき始めた。この法律を知らずに入学してしまった生徒達だろう。将来の選択をかなり狭められたのだから無理もない。俺もこのことを知っていたわけではないが、卒業しても魔法使いとして魔物を討伐するつもりだったため、衝撃は少なかった。
「静かに!」
先生が手を叩いて注目を促すが、ざわめきと動揺の中に飲み込まれてしまって、生徒たちには届かない。
よく見ると、冷静なのは俺とリュウ、それにシェムだけのようだった。
「リュウ……」
俺は隣に目を向け、どうしようと視線で訴える。しかし、リュウは首を横に降り、どうしようもないという意見を表した。
その途端、机を強く叩くバンッという音が教室中に響き渡った。その場は一瞬で静かになる。
音を出したのは、リュウの前の席に座っているシェムである。彼女は全員からの視線を集めながら乱暴に立ち上がり、怒りを表した表情で一同を見渡して言う。
「あまりこういうことは言いたくありませんが、だからこそ、一国の王女の言葉として聞いてください」
その声はとても静かで、彼女の口からは聞いたことがないほど低かった。
「単刀直入に言うと、魔法使いは死ぬためにある職業です」
「シェム……?」
「軍という機関を聞いたことがありますか?昔、王都以外にも国が存在した頃。私達人間は、他国の人間と戦争をしていました。その戦争の最前線で戦っていたのが軍人です」
それを聞いた誰かが呟く。
人間同士が戦争なんて有り得ない、と。
「軍人の中に、稀に異能力を持つ者がいました。彼らの力は戦争で大いに役立った。やがて戦果は拡大していき、戦争で勝った国が領土を広げ、そこでようやく、人間は魔物の存在を知ったのです。自分達の平和な暮らしを、人間同士の戦争によって侵された魔物達が、ついに反撃を始めました」
今では、先生を含め教室にいる全員が、シェムの言葉を静かに聞いていた。
やはりシェムは人の視線や演説には慣れているのか、流暢に言葉を並べていく。
「悲しいですが、それでやっと、他国の人間同士が手を取り合う道ができました。戦争は、人間と魔物によるものへと変わっていきます。異能力は魔法と呼ばれるようになり、魔物には魔法しか効かないと研究が進みました。軍は魔法学校へと姿を変え、そこに通う全ての軍人が魔法を使える人間となり、彼らは魔法使いと呼ばれました。しかし、魔法使いは戦争で戦って死ぬもの、という概念は消えませんでした」
俺は、魔物との戦いで死んでしまったお兄ちゃんと、お兄ちゃんがよく一緒にいた機械人形を思い出さずにはいられなかった。当時子供だった俺は、その機械人形のことをお姉ちゃんと呼んで慕っていた。その時はまだ、人間と機械人形の違いも、魔法使いと機械人形の関係も知らずに。
お兄ちゃんにはきっと、いつか自分が戦いで死ぬのだと分かっていたのだろう。
「今では、魔法使いは魔力関係の仕事に就かなければならないという法律で、貴方達が戦場以外の場所で活躍できる選択肢を与えているだけマシです」
シェムは視線を床に落とし、一層小さな声で呟くように続ける。
「……数少ない魔法使いは、本当は命を懸けて戦わなければならないのです」
そう締めくくったシェムが席についても、しばらく物音一つしなかった。
誰もが王女の言葉にどう反応すればいいのか分からず、困惑していた。
しかし、静寂は永遠には続かない。
突然、先生が持っている端末から甲高いアラートが鳴り響いた。全員が驚いて先生を見る中、端末の画面を見た先生が目を見開く。そして、ゆっくりと生徒を見回して口を開いた。
「……皆さん、後は自習にします」
「急にどうしたのです?」
と、シェム。
「急用が出来ました。全員、端末を気にかけておいてください。すぐに指示が出るはずです」
「指示……?」
先生は相当焦っているのか、混乱する俺達の質問にもロクに答えず、早足で教室を出ていってしまった。
場が騒然となり、生徒達が各々の端末を確認し始める。俺も端末を見てみると、異変はすぐに見つかった。何故か、王都の北にあるA区と呼ばれる場所からC区と呼ばれる場所までに避難勧告が出されている。確か、A区からC区にあるのは……。
「……住宅街だ」
「え?」
思わず出た言葉に、リュウが反応して聞き返す。
「A区からC区は全部住宅街で構成されてる」
「ちょっと待て、それはやばいんじゃねぇか?避難勧告が出てるってことは、恐らく……」
そう、何の予兆もない、突然の避難勧告だ。
そんなの、魔物が攻めてきたからに決まっている。
しかも、避難までさせないと人々を守りきれないほどの魔物が。
「行かなきゃ」
「待てルウト。行くってどこにだ。まさか戦いに行くんじゃないだろうな?すぐに上級生が魔物討伐に向かうはずだ、お前が行く理由はない」
「行かなきゃいけないんだ」
「だからどうして?! 死にたいのか?!」
「リュウ」
リュウの名を呼んで会話に入ってきたのは、冷静さを全く失っていないシェムだった。彼女は、少しだけ悲しそうに、淡い微笑みを作る。
「ルウトには、行きたい理由がありますのよ」
「行きたい理由……?」
「はい。B区には、ルウトの家族が住んでいるのですわ」
俺にとって、家族とその家だけが、幸せな思い出を作り出せる場所だったのだ。お兄ちゃんとお姉ちゃんがいなくなってしまっても、家族だったという事実や証拠は、そこでは絶対に消えないから。
「そういうわけなんだ。悪いな、リュウ。絶対生きて帰るよ」
俺がリュウに笑いかけて席を立つのと、教室の前側のドアが物凄い勢いで開くのは同時だった。
「えっ……」
ドアを開けた張本人は学園に通う全ての生徒が知っている男で、そいつは無遠慮に教室に入ってくる。後ろから、青髪ポニーテールの女性がついて入ってきて、困った顔で男を止めているようだったが、男は女性を振り切り、迷わず俺のところまで歩いて来た。
俺はよく知ったその顔を見上げて小さく笑う。
「……校則違反はしてないけど」
「知ってるよ。たった今緊急クエストが発令された。……君の力が必要なんだ、ルウちゃん」
6話から10話までは、1日に1回投稿する、連続投稿期間となっております。
そのため、あとがきを10話の時にまとめて書かせていただきます。
お読みくださり、ありがとうございました。