笑顔の正確な意味が定義されていません
「攻撃媒体展開。目標を視認。命令を執行します」
どうやら、アインは俺のお願いを命令として受け取ったようだった。機械人形には意思がない。契約者がやれと命令しない限りは意味のある行動を取らない。だから、彼女が魔物と戦うためには''命令''が必要だった。
「デカい……っ」
俺は、人間には不可能なスピードで魔物の方角へと向かったアインを必死に追いかけた。
やっと追いついた時には、アインが驚異の跳躍力で魔物へと跳び立っていた。
俺の目にも魔物の姿が見えるようになっていて、それは白い巨大な鳥のようだった。その巨大さは、一軒家の上に着地すれば一瞬で家を破壊出来そうなほどである。三つの赤黒い球体が、本体だろう鳥の部分を囲むように浮いていて、鳥だけなら神獣と讃えられそうな神々しさがあったが、球体からは禍々しさのみが感じられた。
既に街の中は混乱と悲鳴に支配されていたけれど、アインに視線を向けた瞬間に俺の感覚器官は街の喧騒をシャットアウトした。
静かになった世界に、魔物とアインの姿だけが映る。
初めてレベル四の魔物を見たというのに、妙に冷静な思考が巡る。
「あれがアインの攻撃媒体か」
機械人形には、それぞれに合った攻撃方法がある。ほとんどが剣や銃などの武器を使ったもので、その武器のことを攻撃媒体と呼ぶ。希に自分の体を攻撃媒体とする機械人形も存在する。どんな攻撃媒体であっても、機械人形はそれを常に持ち歩くものだった。
しかし、アインがそれらしいものを持っているのは見たことがない。攻撃媒体のない機械人形だという可能性もあったが、その謎が一瞬で解ける。
彼女の背中には、六枚の羽があった。羽と言っても、それらはひし形を横に伸ばしたような形をしており、透明でピンク色をしている。そして、背中にくっ付いているわけではなく、アインの背中側から羽のような形を取りながら追随していた。
「上空は魔物の得意場所と断定。動き、攻撃方法から最適な対応策を構築します」
空にいるアインの声が俺に届くはずはないが、俺の耳には確かに聞こえた。
彼女の羽は、それぞれがいくつもに分裂するようだった。ただし、分裂する数を増やすと個々の大きさは小さくなる。
しっかり羽としての役目も果たすようで、飛行も可能なようだ。
分裂した羽は不規則な動きをしながら魔物に飛来していく。
すると、魔物の周りに浮いていた球体が淡く発光した。それを視認した直後、同じく赤黒い無数の光が球体から発射され、アインの羽にぶつかり、爆発を生む。羽は消えてしまったが、すぐにアインの背中に復活するようだ。
同時に、魔物が口を開けたのを俺は何とか視認した。
そこに赤黒い球体が生み出され、一際大きな光を放ち、魔物の口元から放たれる。
「まさか……!」
その球体が、他の球体とは違ってこちらに向かって飛んできているように見えるのは気の所為ではないだろう。
俺は急いで魔導書を開く。
本を左手に持って体の前に差し出すと、勝手にパラパラとページがめくれていき、最終的に開かれたページは白紙だった。その何も書かれていないページに右手の指を乗せ、横になぞっていく。俺の指がなぞった場所には、光を発しながら古代文字が書かれていくが、そんな文字など読めるはずがない。しかし、不思議と俺の頭はその読み方と意味を理解していた。
俺の声はその古代文字を読んで詠唱を始める。
「主よ、我が呼び声に応え、その身を我に捧げよ。今こそその力を持ちて目覚め給え。我が名はルウト・ドゥ・レイ。我こそが新たなる世界神、御身を支配する者なり。ディオース・ヘルト・トゥテラリィ・レジュレクシオン・アテーナー」
詠唱が終わった瞬間、俺を中心にして竜巻のような旋風が駆け抜ける。その風は物凄い速さで周りに散っていき、それと同時に美しい女性が見えたような気がした。その姿は風と一緒に散ってしまって、視界には一秒も捉えることが出来ない。
けれど彼女が、古代に生まれ、現代では神として扱われているアテーナーという女性に違いなかった。
俺の魔法は、神話や古代の神や天使、悪魔、精霊を味方として蘇らせる。長々しい詠唱が必要なのは初めて召喚する時だけで、その時のみ白紙のページを使用する。
これは新しい主従関係を作り出すための契約のようなもので、先程まで白紙だったページには埋め尽くすように古代文字が記述されている。その文字は二度と消えず、次にアテーナーを召喚する時はこのページを開くことになる。
防御型の俺は、この魔法を防御のためだけにしか発動することが出来ない。自分からの攻撃は不可能で、あくまでも相手が攻撃してきたからし返す正当防衛での魔法だ。
上空を見上げると、魔物が放った球体が街に落ちる前に霧散していくところだった。
今、街全体にはアテーナーの力で透明な楯が張られているはずだ。楯に触れたものはこうして霧散するのだろう。
俺がこの状況でアテーナーを選んだ理由はこの楯にあった。彼女は、アイギスと呼ばれる最強の楯を持っている。
「市街地の上空に魔法防壁を確認。強度問題なし。最適な対応策確定。マスターに提案します。」
アインは俺が詠唱している間、魔物に街を攻撃する余裕を与えないように動いていたようだ。当たり前ではあるが、息一つ乱れていない声で俺に告げる。
「最善策内容、魔物の撃ち落とし。作戦実行許可を要求」
「許可する」
俺の返事は早かった。迷う必要がなかった。
アインの声が俺に届くように、俺の声もアインに届くようだった。
アインの羽が細かく分裂して、魔物の背中に次々と突き刺さる。それは突き刺さった瞬間に爆発して魔物に悲痛な叫びを上げさせた。すのまま隙を与えず、復活した羽を巨大な二枚の羽に作り直し、その羽で魔物の右翼を切断する。飛行不可能となった魔物は、バランスを崩しながら街へと墜落する。
逃げ遅れてまだ市街地にいた住人たちからは悲鳴が上がったが、勿論魔物が彼らの上に落ちることはない。アイギスの楯に衝突した魔物は、断末魔を上げながら暴れまわった。しかし、もう飛べないために楯から逃れることは出来ない。飛べなくなった魔物は、驚きの行動に出た。
「嘘だろっ……」
楯に張り付いたままなんとか体制を立て直すと、その嘴で楯の破壊を試みたのだ。
嘴が楯に当たって甲高い音を上げるたびに、魔力がゴリゴリ削られるのが分かる。
召喚した神や天使、悪魔の能力を保つためには、相応の魔力を消費し続ける必要があった。複数の英雄を同時に召喚することも可能だが、その分多くの魔力を消費することになる。
今回、ただ楯を展開し続けるだけならあまり負担はなかった。けれど、壊されないように強度を保ち続けるには、相手の強さにもよるが、とにかく相手がレベル四の魔物だと膨大な魔力を必要とした。
街全域に展開されていた楯を魔物がいる場所に限定して、出来る限り魔力消費を抑える。
「マスターの莫大な魔力消費を確認。原因排除に移行」
「アイン……?!」
俺が止める暇もなく、魔物の左翼が吹っ飛び、首が落ち、胴体がいくつにも斬り分けられた。
大量の鮮血と、魔物だったものが街に降り注ぐ。それらは逃げ遅れた人々に降りかかり、直撃を受けた建物を半壊まで追い込んだ。
俺の頬にも、べとべとした血が張り付く。
無表情でこちらに帰ってくるアインを見て、何故か笑わずにはいられなかった。きっと彼女は、自分が悪いことをしたとも良いことをしたとも思っていない。俺のために命を張っただけだ。
「マスター、命令を完遂しました。……マスター?」
なんだか頭がぼうっとする。力が抜けてアインに倒れ掛かる。
「ごめんな、急激な魔力消費には慣れてないんだ」
この責任は、全て俺が負おう。
俺は、意識を失う直前に誓ったのだった。
……。
…………。
赤。赤、赤、赤赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
黒。
「アイン……!」
「……マスター」
目を開けると、ぼんやりした視界にアインの赤いワンピースが映った。
「マスターの無事を確認。魔力量異常無し」
「あ……え……?」
視界がクリアになるにつれて、俺の中で混乱が増していく。俺は今薄暗い牢屋の中にいるらしい。腕は手首で拘束されている。鉄格子を挟んで向こう側にアインがいて、更にその向こうに誰かがいるようだ。その誰かが言う。
「ああ、やっと起きたんだね。暴走もしないみたいでよかったよ。起きたばかりで悪いけれど、君の機械人形ちゃんを退けてくれないかな」
「え……?」
「この男は不審人物認定済。理由、マスターを保護する名目で投獄。私の最優先はマスターの命。ここでマスターを守るために行動中」
なるほど。
アインは、俺の身の安全が確保されるまで俺の前から退かないらしい。
これは意思のように見えてそうではない。機械人形は契約者の命を守るように出来ており、アインもその法則に則っているだけだ。''守りたい''と発言し始めると、意思ということになるが……。
「誰だか知らないけど、とりあえず俺をここから出してくれ」
「そうだね、そうしよう。で、鍵を開けるためにそっちへ行きたいんだけれど、君の機械人形ちゃんが退いてくれないんだが」
……。
これは、なかなか面倒な事になりそうだった。
明るいところで見ると、男は瑠璃色の髪で、目も同じ色をしていた。背は当たり前のように俺より高い。
アインをどうにか説得して男の不審人物認定を解き、同時に解放された俺は、アインと一緒に男に連れられて、学園内の一室に通された。部屋の前には生徒会室と書かれた札が下がっていた。廊下や部屋の窓から見える外は、もう真っ暗だった。
「生徒会室って、勝手に入っていいのか?」
「勿論、君は勝手に入ったら怒られるだろうけど、オレは別だからね」
男が長机に設置された椅子に座り、オレがその向かいの椅子に座ったところで、男はにこやかに話を始めた。
「俺の名前はネオ。生徒会長だ。君は入学式を明日に控えた新入生だね?」
「は?!生徒会長?!」
「君は新入生で間違いないね?」
「あ、はい」
ネオは俺の驚きを無視して話を進めてくる。
「機械人形ちゃんの方も含めて名前を教えてもらってもいいかな」
「宵詠ルウト。こっちはアイン」
「じゃあ、ルウちゃん。君はルールを犯した」
「ルウちゃん?!」
ちゃん付け?!ふざけるな!と言いたかったが、ネオはまたしても俺の反応を無視して話を続ける。
「知らなかったかもしれないけれど、一年生は魔法法律の授業が終わるまで魔物を討伐してはいけない。何故なら、知らないうちに法律違反をした魔法の使い方をしているかもしれないからだ」
魔法法律の授業が終わるまでクエストが受けられないという話はリュウから聞いた気がした。
「あの時、レベル四の飛行型魔物が街に接近した。オレ達は魔物討伐のために街へ向かったけれど、どこの誰の物なのか分からない機械人形が既に魔物と戦っていた。それに、君が街に張った防御型の魔法を学園が警戒して、魔物に近づかず様子を見ろという指示がくだった。確かに君のお陰で救われた命もあるかもしれない。でも、君のせいで出た被害もある。最初から学園に任せていれば、もっと上手くいった。これが学園の言い分」
何も言い返せなかった。
つまり、俺はあの魔物を殺すべきではなかったのだ。魔物が道にもたらそうとした被害をアインを一緒に防いでいればそれでよかった。なのに、街に防御壁を張ってしまった。魔物を単純に殺してしまった。魔物と戦っている、所有物の証である腕輪をしていないアインと、俺の巨大な防御魔法を学園が警戒して、手練の魔法使いが近づけなかったことも知らずに。
「君を牢屋に入れたのは、魔力の暴走を防ぐためだよ。魔力の使い過ぎで倒れた魔法使いは、目が覚めたとき自分の魔力量に身体がついていけなくて暴走する可能性があるから。それにしても、一人でレベル四を倒したって言うのに、もう魔力量に異常がないなんて凄いね」
それは多分、俺が魔力系だからだろう。このことは秘密にしておけと言われているため、適当に流しておく。
ネオは一通り俺に説明した後大きく伸びをして、ふと思い出したように言う。
「あと、君が持っていた本は魔法法律が終わるまで没収だから」
「え」
「何か文句でも?君は学園に目をつけられたんだよ。ちゃんと大事に保管してあげることに感謝してほしいね」
返せといっても返してはくれないだろう。それに、魔法が使えない間は持っていても仕方のない物でもあるし、大事に扱ってくれるというのならこれ以上逆らわない方が俺のためになるような気がした。
「じゃあ、明日からよろしくね、ルウちゃん」
ネオは、語尾に音符がつきそうな響きで俺に笑いかけた。
機械人形は人間ではない。
だから、人間同士のコミュニケーションでは無視される風潮がある。
そのことに寂しさを覚えずにはいられなかった。
こんにちは。乾燥肌に襲われている作者です。
後書きまで読んでくださるなんて、とてもお優しい……!!
今回の話はルウトが気を失うところで終わるはずだったのですが、気づくとネオが登場しており、なかなか止まれずにここまで来てしまいました。ネオの初登場は入学式にするか迷ったのですが……。
何はともあれ、ここまで読んでいただけてとても嬉しいです!ありがとうございましたm(_ _)m