その感情は不必要だと述べたはずです
俺の家族は、俺、お母さん、お父さん、お兄ちゃんの四人家族だった。お兄ちゃんとは十五歳くらいの差があり、俺が生まれた時には既にこの魔法学校へ通っていた。全寮制のため、お兄ちゃんは毎日家にいるわけではなかったが、同じ街に学校と家があることから、頻繁に顔を見せていた。
特に友達がいなかった俺は、お兄ちゃんが家に来るのを楽しみにしていたし、一人の時は家にあった本を読んでいた。それらのほとんどは神話に関する本で、お兄ちゃんが集めたらしい。
ある日、お兄ちゃんが女の人を連れて家に来た。当時四歳だった俺の中にある記憶では、彼女は綺麗な銀髪で、不思議な雰囲気の人だ。顔はもう覚えていないに等しいが、お兄ちゃんと仲が良く、よく笑い、優しかった。
それからお兄ちゃんは、家に来る時は決まってその女の人を連れて来た。いつしか俺は、その女の人のことをお姉ちゃんと呼んで慕うようになっていた。
そしてまたある日、俺はお兄ちゃんに連れられて、街の中央にある王城へと向かった。勿論お姉ちゃんも一緒だ。
王城の一角にある豪勢な舞踏会場では、パーティが優雅に盛り上がっていた。
何故こんな場所に連れられたのかもわからず、初めて見るものばかりで、お兄ちゃんにくっ付いて歩いていた俺は、気付けば王様の前にいた。王様の横には、俺と同い年くらいの金髪の女の子がちょこんと立っていたことを覚えている。
そこで繰り広げられた会話は、今でも忘れることが出来ない。
「王様、この子が人類最後の希望です」
と、お兄ちゃん。
「そうか、その子が宵詠ルウトか。よもやこれほど小さき肩に重荷を背負わせることになるとは」
と、王様。
「ええ、責任を感じずにはいられません。また、その際には必ず王女殿下のお力添えが必要となります。どうか、ご協力を」
「ああ、そのつもりで今日は本人を連れてきた。娘のシェムだ、仲良くしてやってくれ」
王様に紹介された金髪の少女は、一歩前に出てスカートの裾をすまみ、お辞儀をする。
「シェムです。よろしくお願い致します」
そして、お兄ちゃんは俺の背中を押して前へ出させながら言う。
「ルウト、シェム様がお前の一番最初の友達だ。仲良くしろよ」
ここまで思い出して、俺は暗闇に突き落とされたような気持ちになる。
これは俺が五歳になるまでに起きた昔の出来事で、こんなにも色々なことが思い出せるのに、唯一思い出せないものがある。
それは……。
――それは、お兄ちゃんとお姉ちゃんの名前だ。
街に魔物が攻め入り、住宅区の大半が荒地となって一週間。
俺の行いを、間違いだと言って罵る人はいなかった。
寧ろよくやったと褒められたし、感謝もされた。
けれど素直に喜べない。
俺は、一体何を間違えたのだろうか……。
俺には、一ヶ月間の休暇が与えられた。家族を魔物との戦いで突然失ってしまうと、精神を病む人が多い。それを懸念して与えられた休暇だった。真面目に授業に出てもいいし、部屋から出なくてもいいし、遊び呆けてもいい。
俺は兎に角一人になりたかった。誰とも話したくなかった。
だから、アインには部屋の外に出ているか、リビングに居てもらうようにした。
また、同室のリュウが授業から帰ってくると、寝た振りをした。
では、彼が授業に行っている時間は……?
「……」
俺は、ひたすらに本を読んでいた。
魔法使いだったお兄ちゃんが俺のために書いた、最後の本。
あの時、お母さんから受け渡された物。
「……」
その本には、数々の魔法が記されていた。
何故こんなものを俺のために残したのだろうか。
魔法は、詠唱や名前を知っていれば使えるというものでもないのに。
と、半ば読み飛ばしてページをめくっていると、ひらりと一枚の紙が床に落ちた。どうやら本に挟まっていたようだ。
「これは……」
何枚かの紙を、折って束ねた手紙のようだった。宛名には俺の名前が書かれている。
俺はその手紙を丁寧に開き、読み始めた。
"親愛なる弟へ。ついにお前は俺が残した最後の本を読んでいる。まさか本当にこの時が来るとは思っていなかったが。今お前に伝えておかなければいけないことがあるんだ''
出だしはこんな感じだった。
字は走り書きでかなり汚く、急いで書いたことが伺える。
''この本は俺が書いた物で、書いた理由は明白だ。ここに書いてある魔法を直ちに覚えて欲しい。今のお前には時間があるんだろう?一つでも多く覚えて、使えるようにするんだ"
「時間が……ある……」
確かに俺には一ヶ月の自由時間がある。
でも何故、過去のお兄ちゃんがそんなことを知っているのだろうか。
"あと、俺がよく家に連れてきていた女性がいるだろう?お前はお姉ちゃんと呼んで慕っていたな。実は、その女性は人間ではない。この意味が分かるな?"
もうほとんど顔を覚えていないが、確かにお兄ちゃんと仲が良くて、俺とも遊んでくれたその人は……機械人形だった。
勿論最初からではないが、知っていた。そうだと知ったのは、お兄ちゃんが第三次侵攻で死んだと聞いた時だ。死者の名簿の中に、お姉ちゃんの名前はなかった。当時は何故名前が無いのか分からなかったが、育つにつれて俺は理解していた。お姉ちゃんは、お兄ちゃんの機械人形だったのだと。機械人形は、死者には入らない。
"俺とお姉ちゃんは、今から大事な戦いに挑む。第二次侵攻だ。人間は、しっかり勝利を収めるだろう。だが、俺とお姉ちゃんはこの戦いで死ぬ。避けられない運命なんだ"
何故……?
何故お兄ちゃんには、自分が死ぬ未来がわかるのだろう。
何故、人間は勝つのに、お兄ちゃんとお姉ちゃんは死んでしまうと言いきれるのだろう。
''なぁ、ルウト。俺では力不足だ。今回の戦争で人間が勝っても、得られるのは一時的な平和でしかない。第三次侵攻はすぐにやってくる。止められるのはお前だけだ''
この辺りから、手紙に書かれた文字が滲んでいた。
読みにくい上に滲んだ字を、必死に追いかける俺の手は、手紙をきつく握りしめていた。
''人類最後の魔力系魔法使い。お前が最後の希望だ。勝つための道は全て用意した。俺は、その為に本を残したのだから''
「どういう……意味だ……」
そして手紙は最後の文となる。
''……本当に、すまない''
俺は、読み終わってもたっぷり数十秒はそのまま硬直していた。
俺が子供の頃読んでいた本や、この寮まで持ってきた本は、昔お兄ちゃんが読んでいた物で、神話に関するものが多い。
そして、俺が持っている魔導書は、お兄ちゃんが最後に家へ帰ってきた時、自分にはもう要らないものだからと渡してくれたものだ。
その時お兄ちゃんは言った。
''これは、神話の登場人物をこの世に呼び出せる、世界でひとつの魔導書だ。ルウトがこの魔導書を持っていることは二人の秘密にしよう。……本当のことは、誰にも言ってはいけないよ''
そうして残してくれた全ての本は、今の俺の固有魔法を支えている。
お兄ちゃんは、俺が魔力系だということを知っていたし、第三次侵攻がすぐに来ることも予測していた。今の俺に、持て余すほどの自由時間があることも。
「未来予知……?」
俺は、魔法使いとしてのお兄ちゃんを、全くと言っていいほど知らなかった。
しかしこの手紙を読む限り、未来予知が出来たのだとしか思えなかった。
「いや、そんなことより、優先しなきゃいけないな」
この本に書かれた魔法を使えるようにしろというのなら。
俺は、浮上してきた謎を一旦頭の隅に置いて、魔法の練習をするべく立ち上がった。手の中には、いつもの魔導書と、最後にお兄ちゃんから託された本の二冊がある。
「アインに付き合ってもらうか……」
しかし。
部屋を出てもアインの姿はなかった。
普段なら扉のすぐ横で静かに立っているのに。
「……おかしい」
彼女が自発的にどこかへ行ったのか?
機械人形には意思がない。
人間として生きろという命令を受けた彼女でも、まだ自発的に行動することは出来なかったはずだ。
だとしたら……。
背中を冷たい汗が流れる。
考えられるのは、最悪の事態だ。
機械人形は、契約者が生きていれば勝手に放浪しない。勿論俺は生きているし、リビングか部屋のドアの横でいるようにとアインにお願いした。
機械人形は、契約者の言葉のみに従う。誰かに呼ばれたとしても、契約者が行っていいと言わなければ移動することは無い。
機械人形は、契約者を守ることを第一の目的として生まれる。意思がない彼らでも、契約者が攻撃を受けそうになれば、命令がなくても意図的に守ろうと動く。
そして機械人形は、命令がなければ人間を攻撃しない。どれだけボロボロになっても。心臓部の停止が危ぶまれようとも。
俺が佐久原先生に寮の案内を受けた時、佐久原先生は白いゴム製の腕輪を俺に見せてこう言った。
''これは、私達が契約者を亡くした機械人形を判別する際に使います。また同時に、機械人形が貴方の所有物であるということを万人に知らせる役目を持ちます。腕輪をしている自分の機械人形が何者かによって破壊された時、貴方は優位に立てます。逆に腕輪をしていなかった場合は悪戯で破壊されても仕方が無いということです''
……アインは、その腕輪をしていない。
「ネオ……っ」
俺は、焦る気持ちと、バクバクと大きく波打つ心臓を抑えて、必死に学園へと走った。
目的地は生徒会室。
俺だけの力でアインを探すには時間がかかる。
「頼む……!」
――機械人形は知らない。
――人間が、嘘をつく生き物だということを。
こんにちは、ご飯の食べすぎでお腹が苦しい作者です。
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