その感情は不必要です
俺は走りながら魔導書を開いて詠唱する。
「主よ、我が呼び声に応え、その身を我に捧げよ。今こそその力を持ちて目覚め給え。我が名はルウト・ドゥ・レイ。我こそが新たなる世界神、御身を支配する者なり。ディオース・ヘルト・トゥテラリィ・レジュレクシオン・マクスウェル」
精霊の主マクスウェル。
彼は髭を生やしたおじいさんで、黄金の車椅子に座っていた。他の神霊とは違って、呼び出した瞬間に独自で守護に当たる訳では無い。
頭の中に、彼のしわがれた声が入ってくる。
『新たなる主よ。どの精霊をご所望か』
「俺の魔力を半分使っていい。出来るだけ強い精霊をたくさん。逃げ遅れた人を守ってくれ」
『ふむ、しかと承った』
その声を最後に、マクスウェルの気配は消えてしまった。しかし、俺の周りに様々な色の光が生まれ、A区からC区へと飛んでいく。
その光の一つひとつが精霊だ。
俺が知っているマクスウェルは、戦うための力を持っていない。彼に授けられた力は、膨大な数の精霊を統治するための力だ。
生存者はA区からC区に散らばっていて、更にその中のどこにいるのか分からない。それを探して守るには、かなりの数の協力者が必要となる。
しかし、そんな数の神霊を召喚する魔力は、いくら魔力系といえども持ち合わせていない。
そうなると、精霊の主であるマクスウェル一人を呼び、そこから彼に無数の精霊を呼んでもらい、更に統治までしてもらうのが一番現実的な策だ。
「急がないと……っ」
俺は、数多の精霊が飛んでいく美しい光景を視界から追い出し、自分の家があるB区へと向かった。
街へと入り込んだ魔物から身を隠しながら辿り着いた家の周辺は、他と同じように半壊状態だった。
見覚えのある団地を探し出し、まだ無事そうな自宅を見つけると転がり込むように庭へと入る。
玄関には鍵がかかっており、インターホンを押すと、あろう事かよく見知った顔の女性が出てきた。
「はーい、こんな時にどなた……ルウト……?」
「お母さん……」
一つにまとめた茶色の髪に、見知った部屋着。俺と全く似ていない顔。間違うはずがない。やはり避難していなかったのだ。
俺は思わずお母さんに飛びかかり、服を掴んで叫ぶ。
「どうして避難しないんだ?!状況が分からないのか?!死んじゃったら、帰る場所も、思い出も、何も残らないんだぞ」
お母さんは何も言わない。
ただ微笑んで、掴みかかった俺の手を優しく包んで外した。
少しずつ冷静さを取り戻す俺は更に問う。
「お父さんは……?」
「仕事に行ったのよ。ここには戻ってきていない」
お父さんは、お母さんを置いて避難するような人だっただろうか。
……決してそんな人ではない。
「ルウト」
「なに……?」
「ここは、貴方が帰る大事な場所。真っ先にお母さん達がここを見捨てて逃げることは出来ないのよ。例え、死んでしまうとしても」
「命よりも、場所の方が大事だって言うのか……?」
「そうじゃないわ。人は生きる場所や目標がないと生きられない。ルウト、よく聞いて。お兄ちゃんは……」
お母さんの声を遮って、金属をかき鳴らすような甲高い咆哮が街中に轟いた。明らかにあのハーフドラゴンのものである。
地面が揺れている錯覚さえ起こしそうなその咆哮に、思わず耳を塞いで目を閉じる。
「っ……!」
慌てて目を開けハーフドラゴンを見ると、顎を目一杯に広げ、口の中に炎を生み出していた。
「まずい!」
俺は魔導書を広げて早口で詠唱する。
「ディオース・ヘルト・トゥテラリィ・レジュレクシオン・アテーナー」
詠唱直後、一体のハーフドラゴンの口から熱線が放たれる。それは街に直撃する前にアテーナーによる楯で受け止められるが、流石に残された半分の魔力では長くは持ちそうにない。
「お母さん、早くこっちに!逃げないと!」
俺がそう言って手を差し出すが、やはり彼女は首を振る。そして、悠長に玄関の中へと戻り、靴箱の隣に置いていた小さなカラーボックスの中から、一冊の本を取り出した。魔導書のように分厚いそれを、俺に差し出す。
「お兄ちゃんが貴方の為に遺した最後の本よ。持って行きなさい」
「それよりも……!」
今は逃げる方が先決だと言おうとして戦慄する。視界の隅に、二体目のハーフドラゴンが炎を蓄え始めるのが映ったのだ。
あれを受けたら、魔力切れでアテーナーによるアイギスの楯は崩壊してしまう。
「くそっ……!」
ダメだ……やっぱり俺ひとりじゃ。
せめて死ぬなら一緒の方がいい。
と、俺がお母さんに寄ろうとした時。
「マスター」
すぐ後ろで声がした。
驚いて振り返ると、そこにはやはり俺の相棒。
銀の三つ編みと深紅のワンピースを風になびかせ、攻撃媒体を実体化させたアイン。
「どう、して……」
ここまでその羽で飛んできたのだということは予想できたが、彼女には来るなと言ったはずだ。
「命令を執行中です」
アインは短く淡々と答える。彼女にはたった一つの命令しか与えていないのに、何故。
この時驚いているのは、俺だけではなかった。
「アイン……?アインなの?」
と言ったのは、お母さんだ。
お母さんがアインの名前を知っているわけがない。
彼女は手を口元に当て、目を大きく見開き、その瞳から涙さえ流していた。
「え、お母さん……?」
「ああ、そうだったのね。ルウト、貴方……またアインに会えたのね?よかった、本当によかった。てっきりアインも死んでしまったのだと思っていたけれど、まさか生きていただなんて」
「どういうこと?」
俺は混乱気味に訊くが、詳しく聞く時間はなかった。
轟音と共に、俺の魔力がまたぐんぐんと減り始める。二体目のハーフドラゴンが熱線を吐き出したのだ。
バリバリと削れるアイギスの楯の音が聞こえるようだった。
「え、ちょっと」
アインは俺を引き寄せ、お姫様抱っこをする。攻撃媒体の動きからして、このまま飛んで離脱するつもりだ。
「アイン、待って。お母さんも一緒に」
「これを持って行って。貴方は生きて。そしていつか、この住宅区域を、私達の家を、魔物から取り戻して」
お母さんは、涙に濡れた目で笑う。
俺の手に本が渡されたその瞬間、アインが俺の制止を聞かずに空へと舞い上がった。
「待て。嘘だろ、おい、降ろせよ……っ」
――そして俺は、絶望の風景を見る。
見渡す限りの、魔物に侵食された住宅街。
その奥に巨体を構える、二体のレベル四の魔物。
その口から吐き出される熱線。
一滴も残さず尽きる魔力。
俺は絶叫せずにはいられない。
今まさに崩れ落ちるアイギスの楯。
熱線に焼かれる街。
目の前で家が飲み込まれる。
焼かれたそこには、何の跡も残っていない。
思い出の跡も、彼らが生きた証も。
――何もなくなった。
……。
死者の数は定かではない。
しかし、A区からC区に住んでいた人の三分の一は命を落としただろうと言われている。
生き残った人々も皆例外なく、自分の家をなくした。
後に、A区からC区が完全に王都から切り離されることが正式に決まり、王都の区域は、和風飲食店が立ち並ぶD区から始まるものとなった。
A区からC区の内側にあったM区からO区に、歩行型の魔物から身を守るための防壁が建設され始めた。
街を守ろうとした俺の功績は称えられ、俺は瞬く間に学園内で有名人となってしまった。結果的に街の防衛は失敗しているが、少しでも救われる人数を増やしたのは俺で、実際に召喚した精霊から守られたという人にお礼も言われた。
それからネオは、会長としての仕事が増えたのか、俺を思ってのことなのか、しばらく俺の前に姿を現すことは無かった。
リュウやシェムからは心配の目を向けられている。
正常運転なのはアインくらいだ。
俺の両親は死んだ。
お母さんは目の前で。
お父さんは、俺がお母さんと会った時既に息を引き取っていた。もしその時生きていたなら、お父さんは避難せず家に帰ってきていたはずだ。そして、お母さんと同じ選択をして、共に死んでいっただろう。
俺は、守れなかったのだ。
遺されたのは……残ったのは、たった一冊の本と、二度と消えない心の傷だった。
こんにちは、授業に付いていけない作者です。
この作品も、10話を迎えることが出来ました!
もし1話からここまで、全部読んでくださった方がいましたら、是非お礼を言わせてください。
1話でも読んでくださった方にも、勿論お礼を言わせていただきます。
ありがとうございました(*´ω`*)
こうして書いてみると、リュウよりネオの方がルウトとの接点が多い気がしました。当初の予定では、ネオよりリュウの方が出番が多かったのですが……( ̄▽ ̄;)ナンテコッタ。
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