第1章-6
ミュージックジャーナル誌で働く矢野は、新年号の駆け込み記事で追いまくられていた。各ライターが書いた
アルバム紹介のレイアウトと記事の抜粋をしていた時、ふと一つの記事に目が留まった。
「へぇ〜、女性ギタリストか、凄いなぁ〜、俄然こういうのって興味あるんだよなぁ〜」
矢野は松岡直也グループのアルバムレビューを読みながら、めぐに会って取材したいと強く感じた。
めぐは年末には故郷に帰ろうかと思ったのだが、大晦日オールナイトライヴに出演することとなり、せっかくの仕事をキャンセルすることは自身が許せなかった為、帰郷を断念し東京で年を越すこととなった。
電話では状況してから頻繁に母と話していたのだが、父の方はまったく声すら聞いていない。まだ怒っているのか
心の底では非常に気になっているのだった。
あわただしく大晦日となり、オールナイトライヴが始まったのだが、彼女の出演は午前3時頃だった。
カウントダウン近くには一杯いた客も3分の1ほどになっていたのだが、それでも熱狂的に盛り上がっていた。
めぐは、普段は人前では滅多にプレイしないスタジオミュージシャン達と同窓会さながらのジャムセッションを
プレイした。もちろん大喝采を浴び、彼女は意気揚々とステージ脇に引っ込んだのだが、1人の男が彼女めがけて駆け込んできた。
「君、凄いよ!俺いろんなギタリストのプレイ観てきたけど、まさにカルチャーショックを受けたって感じで最高だよ!」とまくし立ててきた。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
ファンだと思ったが一応めぐは彼に問うた。
「あっ、これは失礼、俺はミュージックジャーナル誌編集部で働いている矢野って者です」
彼は胸ポケットから名刺を差し出してめぐに渡した。楽屋で取材か雑談かわからないような会話で2人は
明け方近くまで話した。
彼は自分と3歳年上の24歳であること、とにかくジャンルを問わず音楽が好きで好きでたまらないということが
めぐにはよく解かり、最近は同年代の者と話をしていなかったので、思いかけず会話がはずんだ。
全て予定が終わり、会場を出たが外はまだ薄暗い朝で、めぐが遠慮するのに矢野はギターと機材の入ったカバンを持って駅に歩いていった。
とりあえず2人とも新宿方面ということで山手線で新宿まで行き、ここで別れようと思ったのだが食事でもして帰ろうと矢野が言い出したため、特に目的もないままいつもの歩道をとぼとぼ歩いた。
ふといつも御世話になっている小料理屋を見るとまだ灯りがついているではないか。めぐは彼を後ろに従えて
恐る恐る格子戸を開けるとやっぱり女将の姿が...
「新年明けましておめでとうございます。昨年は御世話になりました。また今年も宜しくお願いいたします」
めぐは丁寧に女将に対して決まりきった挨拶をした。女将も同様にめぐに返した。
「まだやってたんですね」めぐが尋ねると
「そうなのよ、さっきまでお得意さんの新年会があってここで年越しなのよ」
女将はこう言ったが彼女の来た意味をすぐ察知し
「早く入って食べてらっしゃいよ」と言ってくれたので2人で中に入った。
「へぇ〜、今日は彼氏同伴なんだ〜!」
冷やかすような口調で女将はめぐにほのめかすと
「いいえ!この方は音楽業界の人で...」と何故か言葉に詰まってしまった。
その後に矢野が素性を女将に話し、2人でいつもより豪勢で美味しい朝食!
その後そのまま店を出て2人は再会を約束し、別方向へ歩いて帰っていった。
東京に出てきて、初めて楽しくも充実した元旦であった。