第1章-14
1週間後、有働氏お馴染みのバーを貸しきっての打ち上げ。いろいろな音楽関係者が有働氏の
招待で集まり、めぐの方も松岡直也グループのメンバー、ミュージックジャーナル誌の矢野、
高橋がなり、師匠である松原正樹を呼んだ。盛り上がったことは言うまでもないが、
多くの業界関係者と交流が出来て、参加者は大いに有意義であった。
それから1ヶ月ほどが経過した12月初旬、めぐはいつもの小料理屋で女将の手料理を食しながら
談笑していた。そこへ有働氏が満面の笑みを浮かべながら入ってくるなり、
「めぐチャン、凄いコトが起こったんだよ、MTVが予想より大幅なペイパービューを上げたんで
アイアン・メイデンとコチラに臨時ボーナスが出ることになったんだよ!」
有働はめぐの隣に座り、更に興奮した口調で続けた。
「それだけじゃない。めぐにアメリカへ来いと招聘がかかったんだよ!MTV側が全面的に
バックアップしてくれるということだ。アメリカデビューだよ。これ凄いことだよ!」
めぐは突然の出来事で返す言葉が無かった。夢にまで見たアメリカでの活動・・・。
それから有働氏は会話の一部始終を詳しくめぐに話し1時間後に席を立ち、
「今から行かないといけない所があるんでもう行くよ。あっ、それから1万ドルのボーナスは
全部君にあげるから今度口座番号を教えてよ!」
有働氏はあわただしく出て行ったが、めぐは「ありがとうございました」とお礼を言うのが精一杯だった。
小料理屋を後にし、ギターを肩に担ぎながら歩くめぐの頭の中は有働氏の報告で頭がいっぱいだった。
外はチラチラと雪が舞い降りて身にしみる寒さだったが、心の中は暖かい感じがした。
叶わないと思っていたアメリカでの活動。それもレールがしかれている。松岡さんになんて
言えばイイかな・・・。ずいぶんと御世話になったので、脱退も言い出せないな・・・。
あれこれ考えながら歩道を歩いていた。
そこへ酔っ払い運転であろう背後から蛇行運転の1台の車が歩道に乗り上げて、
めぐを後ろから跳ね飛ばした。めぐの身体は一瞬宙に浮いて3mほど先の
電柱に頭部を強打。そのままめぐは動かなくなった。掴みかけた夢が一瞬にして途絶えた瞬間だった。
アスファルトの上に眠るように横たわる上には雪が薄っすらと降り積もる。
めぐは救急車で病院に運ばれたが、着いた時には息絶えていた。
87年12月8日の出来事であり、奇しくもその日はジョン・レノンの命日であった。
連絡を受けた両親は夕方には到着。冷たくなった娘の姿に号泣した。
松岡を始めバンドのメンバーも信じられないといった反応で、現実を受け入れられなかった。
女将は事故後すぐに現場に通りかかった常連から、ギターを持った女の子が車にはねられたとの
情報を聞き、付近の救急病院に電話し、到着した未明には既にめぐは青白く冷たくなっていた。
霊安室で自分の娘同様に先立ってしまった運命を怨み長い時間泣きわめいた。
矢野は昼過ぎに取引先から聞き、霊安室でめぐと対面し遺体にすがり付いて泣き続けた。
香坂にいたってはラジオ収録で大阪に行っていたこともあり、深い交友関係を知る者も
あまりいなかった為、死亡したことを知ったのは3日後だった。
めぐの遺体は翌日、故郷である福井に運ばれて親族での密葬となった。もちろん東京での
仕事関係や親交のあった人間など誰も呼ばれなかった。両親の心境としては、たった1人の
愛娘を東京という魔物にさらわれたということだろう。
石原めぐ・・・享年22歳 ギターとロックを愛し、誰からも愛されたが、あまりにも短過ぎた生涯だった。
第1章・終わり
序章というか、前置き的な第1章が考えていたより長くなってしまいました。
いよいよ第2章より本格的な物語のスタートとなります!