第1章-10
高橋と何となく噛み合わない会話を続けていると知った顔が暖簾を潜ってきた。
「あら〜、有働さんいらっしゃい!」女将がにこやかに出迎える。
めぐにとって有働が来たのは、場を逃がれるのにちょうど良かった。
今度はめぐの右隣に有働が座り、めぐが挟まれる形に。
高橋と有働は初対面であったが、女将が気を利かせてウドー音楽事務所の社長で
あることを高橋に告げ、彼は現在の設立会社の名刺を出して交換した。
「まあ、私のやってることと大して変わらんということだな、ワッハッハ〜ッ!」
有働は高橋のビジネスに肯定的だということを意思表示し歓迎した。
「あ、そうそう、きっとこの時間だったら君がいると思って来たんだ。実は
奴らがいよいよ来るんよ、ほら君が気にいっていたアイアン・メイデン!」
有働はめぐに告げると彼女は両手を前に組んでうれしさをアピールした。
「もちろん東京公演の最前列を取ってあげるよ。10月だからまだ少しあるけど」
「凄くウレシイです!一番観たかったライブなので、絶対スケジュール空けます!」
「私の特権で楽屋に連れてってもいいよ、彼らも君だったら歓迎するよ!」
こんな会話で盛り上がるも、左隣の高橋は置いてかれた雰囲気となってしまった。
夏の暑い時期となったが、めぐはまだまだ部屋にエアコンを入れるほど豊かでは無かった。
彼女のホームキャンプとなっている六本木のスタジオにはどの場所も快適な
涼しさがあったので、ほとんど寝る以外は入り浸りのような感じになった。
8月になると日本には盆という慣習があったが、この業界には無縁であった。
しかしながら故郷の両親に元気な姿を見せないとという気持ちは誰よりも
持っていた。帰る時間は充分にあったが、往復2万円という旅費は今のめぐに
とっては大きな負担だった。
香坂には定期的に食事させてもらい、夏の風物詩である冷麦や素麺が口に出来た。
タンクトップなどの夏服も程度の良いものをもらって衣料面でも助かっていた。
9月になり、小料理屋で晩御飯を食べさせてもらっているとにこやかに有働が
入ってきた「やっとチケット手に出来たよ。はい、2枚どうぞ!」
約束通り日本武道館公演の最前列中央という特等席だった。
「2枚もくださるんですか、何とお礼を言っていいのか、ありがとうございます!」
「本来は私が一緒に観たかったんだけど、さすがにハードロックだけは。。。」
過去に苦い思い出があったのだろう。めぐは誰と行こうか迷った。
普段お世話になっている香坂を誘おうと思ったが、ミュージックジャーナル誌の矢野に話をしたところ、取材がてらこんな好条件は無い、是非オレに!」
と猛アピールしてきたので彼と観に行くこととなった。
彼にはアイアン・メイデンの最新アルバムをもらったこともあって、ごく自然な
誘いであって当然かも知れないなと自分自身を納得させた。