第10話:アベルの使命 -4-
バルガスは部屋の一つの前で足を止めた。その扉にも、もうおなじみになった紋様が描かれていた。
「ここだ。入れ」
扉を開け、低い声でうながす。
ティンラッドを先頭にぞろぞろと中に入った。バルガスが戸を閉めた。内側にも同じ紋章が描かれていた。
「戦いの敗者として、ひとつだけ教えておこう。私のここでの役目は、国境を封鎖してソエルを孤立させることだった」
皮肉たっぷりの声音で闇の魔術師はそう言った。
「孤立って。ここを封鎖したって他にも入国する道はあるだろう」
「そちらにも手は打ってあるだろう。詳しいことは知らんがな」
オウルの疑問に、バルガスは冷たく答える。
「もっとも砂漠越えの道や間道には手を打つまでもない。魔物の横行で通行は稀になっている。塞ぐべきはこの砦と、後は海路くらいのものだ。私はこちらを請け負った。連れてきたあの魔犬どもと、私の術で砦の兵士たちはたやすく潰走した。その後やることと言えば、ここに居座って砦を取り戻しに来るものがいないか監視することと、犬どもを養ってこの道を通ろうとする人間を追い散らすことだけだったが」
黒いローブをひらめかせ部屋の中心に行く。
その床には大きく魔法陣が描かれていた。
「もう一つ目的があった。この魔法陣を描き維持すること。もっとも」
薄い唇がもう一度、皮肉な笑みに大きくゆがむ。
「誓いの剣が折られた時にこめられた魔力が雲散し、もはやこの陣は用をなしていないが。ここを去るにあたって、私自身のけじめとして自分でこれを破壊しておきたい」
「もう機能してないんでしょ? いいんじゃないの、放っといても」
ロハスが言った。
「左様。魔力の無駄遣いでは?」
アベルもうなずく。
「あのな。ど素人の商人はおいといて、そこの神官。アホか」
思わずオウルは口を出してしまう。
神殿と魔術師。術の体系は違っても魔力を利用することでは根幹は同じはずだ。それなのに、どうしてここまで無知なのか。理解に苦しむ。
「今はこの陣は機能していないが、しかるべき魔術師がそれなりの方法を取ればまた動かすことが可能ってことだな?」
灰色の瞳で射るようにバルガスを見る。
「そういうことだ」
バルガスはうなずいた。
「だが、それだったら分かっているヤツならもう一度この陣を構築できるんじゃないのか?」
オウルの疑問は魔術師としてはもっともなものだった。
バルガスは嗤った。
「一からこの呪術を発動させようとすればそれなりの手間と生贄がいる。そう簡単には再構築できん」
それは不穏な言葉だった。
バルガスは不愉快な笑い声を立て、床の魔法陣に杖を向けた。
「私がこの場所での仕事を請け負ったのには、私なりの理由があった。だが術が破れた今、それはもう詮無いことだ。この先は約束通り君たちと共に戦おう。ただそれは、それが私自身の目的にも適うことだからだ」
魔力が高まっていく。黒檀の杖が燐光を発する。
「私自身の目的を果たすため、私は過去の自分に訣別する」
チリチリと。
全身の毛が逆立つのを、オウルは感じた。
室内の空気が殺気立っている。
「モロット・グローマ!」
その瞬間。
雷鳴が響き、稲光が奔って全員の目を灼いた。
物の砕ける音。細かい破片が飛び、彼らの体を傷付けた。
焦げ臭いにおいが部屋中に漂った。
全てが静まった時、彼らは石の床が砕け散り、黒く焦げ付いているのを見た。
魔法陣は跡形もなかった。