第9話:砦の魔術師 -10-
ティンラッドは走った。
敵の魔術師は彼を近付けまいと、炎を撃ち出してくる。
その内の一つが、彼の腹に当たった。熱さと衝撃を感じる。だが、それだけだ。炎の弾丸は革の胴着を焦がすことも、その中の皮膚や肉をただれさせることもなかった。
先ほど、オウルが何かしていた。その効果だろう、と思う。
彼のパーティーの魔術師は。攻撃魔法こそ使えないが、なかなか良くやってくれる。そう思い、ティンラッドはニヤリと笑う。
敵は自分の攻撃に効果がなかったのを見定めると、彼の斬撃を避けようと右に動いた。その判断は素早い。動きも理にかなっている。
あの村の神官は、この魔術師のことを手の付けられない不良少年だったように話していたが。
この剣術は、正式な師にきちんと教わったものだ。そして、それを長年の間、体にしみこませるように鍛え続けてきた男のものだ。
ティンラッドの刀が奔る。
バルガスの剣がそれを受け止める。
二つの刃の間に火花が散り、また、離れる。
ああ、いいな。とティンラッドは思う。
血がたぎる。
これでこそ、生きている甲斐があるというものだ。
相手は間を取ろうとするが。こちらはそれを許さない。
間隔があけば、魔術で攻撃される。そうなると不利だ。
刀で戦っている分には互角、いや、「必殺」のスキルがある自分に分があるだろう。相手は魔術で防護を固め、ティンラッドの攻撃による衝撃を緩和しているようだが。
今の自分には、オウルの術による力と速度の上乗せもある。
簡単ではないかもしれない。だが、勝てる見込みは十分にある。
ぴしゃり。足元で、水が跳ねた。
そういえば、オウルの指示でロハスとアベルが何かやっていたか。
何をするつもりなのか。毎度毎度、分からない。
びっくり箱みたいで面白い。そう思っている。
仲間にするのは。そのくらいでなくては、つまらない。
それにしても。
「暑いな」
ティンラッドは、呟いた。
風の通る砦の屋上は、いつの間にか。
ひどく蒸していた。
気温が変わったわけではないのに、肌が汗ばむ。
バルガスが。不快そうに舌打ちをした。
「やられたな。貴様の連れているゴミども、ただの道化かと油断していれば」
黒い目が。射抜くようにティンラッドをにらみつける。
「私の魔術属性が炎と風だと見抜いたか。この環境ではどちらの効果も落ちる。一時しのぎだが、なかなかやる。魔力の制御も見事だ。小物魔術師と侮ったな」
ティンラッドは。ふむ、と首をかしげて相手の言葉を咀嚼する。
たとえば。身を刻むほどに鋭い風は、陸上でしか吹かない。海の風はどんなに激しくても、人の肌を切り裂くことはない。
乾いた空気。おそらくそれが、先ほどの風の術の、切れ味の秘密だ。
水を撒くことで、それを緩和したのか、と思う。
いや。水では。この量では。それだけでは湿度は変わらないだろう。ということは。
氷の洞窟で、オウルが魔術で一瞬にして湯を沸かしていたことを思い出した。
この湿気はそれか。
蒸発しない程度に水を加熱し、蒸気をわずかながら発生させている。
それが、彼のパーティーの魔術師のやったこと。
「ふふん」
ティンラッドは笑った。
この程度の蒸気では、炎の術はさして影響を受けまい。だが、既に防炎の術は施されている。
それに、炎の術も乾いた空気の中での方がより効果的であるだろうことは、想像に難くない。
「面白いだろう、私の仲間は」
誇るように、言った。
バルガスは唇を歪めて嗤った。
「面白くはないな。だが、認識を改めよう。無能なゴミ扱いして失礼した。だが、多数を相手にするのなら、魔術師にはそれなりの戦い方がある」
そう言って。
魔術師であり剣士でもある男は、素早く自分の黒檀の杖を、離れたところにいる三人の方に向けた。
その喉から、低い、恫喝するような響きの大声が発せられる。
「エンフ・ザンバラーギィ!」