第9話:砦の魔術師 -3-
石造りの砦の中に入り込むと、鬼ガラスの追撃もなくなった。
改めて見てみると、誰の体にも嘴やかぎづめでえぐられた傷あとがあった。
いや、訂正。アベルだけはなぜか無傷だった。
非常に理不尽だが、もういい。アベルについていちいちツッコんでいたら身が持たない。
「回復……」
言いかけて、あの怪しげな『ビックリドッキリルーレット』のことを思い出し、言葉を切る。
「いや。ロハス、薬草くれ」
「ウン。戦闘の後は回復だね」
ロハスも袋を探る。
「ああ、皆さん。回復なら、私がお役にたちますぞ。この縄をほどいてくだされば」
とアベルが言ったが、全員が無視した。
薬草で傷を治した後、砦の奥へ向かう。
氷の洞窟とは違い、この場所は濃厚な魔力に満ちているというわけではなかった。
「その魔術師とやらがどこにいるのか。しらみつぶしに探すしかないのか」
オウルがぼやく。
「何を言ってる」
ティンラッドが振り返って、精悍な顔に笑いを浮かべた。
「相手の居所など、決まっているだろう」
オウルは驚いた。ロハスもアベルも、ティンラッドの顔を見る。
「何だ、本当に気付いていないのか?」
ティンラッドは呆れたように言った。
「砦を預かる人間の考えることなど決まっている。上の、一番見晴らしがきく場所にいるよ。ほかに考えられるところはない」
なるほど、とオウルは思った。それは一理ある。
魔術師と言えば、自分の研究場所にこもっているというものと思いがちだが。ここにいる男は、魔術師とはいってもこの砦を三年に渡り占拠している相手だ。
しかも、魔物を操って来る者を追い払っているという。その目的がどこにあるかは分からないが、この峠の封鎖が目的なら『見晴らしの良い場所にいるはず』というティンラッドの予想には根拠がある。
「しかし、バルガスとかいったか。ソイツの目的は、いったい何なんだろうな」
オウルは呟いた。ティンラッドはそれを聞き、肩をすくめる。
「さあな。本人に聞いてみるしかないだろう」
それはそうなのだが。
聞いて簡単に応えてくれる相手とは思えないし、相手の肚のうちを探っておきたくもある。
魔術師が魔物を操り、国境を封鎖する理由。それがどうしてもオウルには分からない。
そもそも、何度も言うが世界に魔物が現れた理由も、その正体も不明なのだ。大半は獣が変化したと考えられているが、それならなぜ突然、そんな現象が起きたのか。まだ突き止めたものはいない。
当然、魔物を操る方法なども分かっていない。
まあ、それについては百歩譲って、バルガスなる男が独自の研究の末、その方法にたどり着いたと考えてもいい。
だが、それでどうして、次にする行動が砦の占拠なのか。
そんなことをして、魔術師に何か得があるとは思えない。
この峠道は確かに、ソエル王国と西の地方をつなぐ主要な街道ではあるが。王国に入るには、いくらでも他の道がある。
オウル自身は海路から、ロハスは砂漠越えの道でこの国に入国しているし、アベルに至ってはこの砦を避けてそこらを山越えして麓の森に巣食っていた始末。
この砦を占拠しても、得るものは何もない峠道だけ。
魔術師が自分の研究拠点を守ろうとするならわかる。魔術師は自分の研究に熱中するものだ。
だが、ここには渦巻く魔力の気配も、熱気も何もない。がらんどうの廃墟だ。
シグレル村で、バルガスのことを聞いた時から。オウルはそれが不思議だった。実際に砦に足を踏み入れて、違和感はますます強くなる。
ティンラッドは刀を『皓月』に持ち替えていた。
相手の狙いが分からないまま交戦状態に入るのは気が重い。それが魔術師ならなおさらだ、とオウルはため息をついた。