第7話:森の怪異 -10-
その牙が届きそうになった瞬間。
ティンラッドは身を沈めた。
そのまま。
張り渡された網の下をくぐり、その反対側に身を滑らせる。
「いいぞ。離せ!」
オウルの声がした。
「ひえええ」
ロハスの悲鳴。
長身のティンラッドの頭を食いちぎろうと跳んだ魔物は。
道を横切って張り渡された網に、頭から突っ込んでいた。
「ロガム!」
オウルの声が響く。
月桂樹の杖が網を叩く。
頭から突っ込んだ魔物に巻き付き、絡んだ網は。
見る間に色と材質を変え、魔物の動きを固く拘束する。
ロガム。
物質を一時的に金属に変化させる呪文である。
もがく魔物の爪も牙も。
体に食い込む網を、簡単に引き裂くことが出来なくなった。
「船長。長くはもたねえ」
オウルが言う。ティンラッドはうなずいた。
もう、魔力は十分にためてある。
こうなっては、魔突を使うほどの相手ではなかったが。
「彼」との戦いは楽しかったから、ティンラッドは惜しいとは思わなかった。
「魔突・諒闇新月!」
声とともに。魔力を乗せた突撃が、魔物の頭を砕く。
一撃で、魔物は息絶えた。
「やれやれ。死ぬかと思った」
道にへたり込むロハス。
「まあまあ楽しめたな」
刀身に付いた血をぬぐい、ティンラッドは新月を鞘におさめた。
オウルが木から下りてくる。
「何とかなって助かったぜ。しかし、きついな」
「きつい? 何が」
たずねるティンラッドに、オウルは眉を上げる。
「アンタは楽しんでるかもしれないがね、船長。俺たちは魔物が出るたびに冷や冷やなんだよ。命がけとか、趣味じゃないんだ」
そう言って、オウルは来た道を少し戻った。視界の隅に、シグレル村の境界を示す道標が立っていた。
オウルはかがみこんで、それを子細に調べ始めた。
ロハスはロハスで、元の材質に戻りつつある網を、おっかなびっくり回収する。
「ああ、もう。少し破けちゃった。オウル、補修してよね! これじゃ売値が下がるじゃないか、その分の損失はどうしてくれるのよ」
「知るか。おかげで命が助かったんだから、差し引きゼロだろう」
「それとこれとは別」
そう言ってから、ロハスは魔物の死骸に目をとめた。
「オウル。皮なめしの術が使えたよね。コイツの皮はいで! ヒョウ皮は、高く売れるぞお」
もう嬉しそうな顔をしている。
ブレないヤツ。
と、オウルは思った。
「あ。それより。船長の傷、手当てしなきゃ」
思い出したように、ロハスはティンラッドを振り返る。
いや、本当に今思い出したのだろう、とオウルは思う。
網>ヒョウ皮>船長、という重要度がハッキリ分かる。
ひどい話である。
「あの神官がいればな」
苦々しい思いでオウルは立ち上がり、振り向いた。
「アイツ、あっという間に逃げやがった。信じられねえ」
その時。木立の間から、パチパチと手を叩く音がした。
「逃げてなどおりません。私、神官アベル。ここにて皆様の戦いを見守らせていただき……いや、いつでも助力できるように待機しておりました」
アベルが、木の陰から顔を出し。
「いやあ、皆様お強い。これで私も、安心して皆様とご一緒に旅ができます」
にこやかに笑っている。
-アベルがなかまになりたそうにこっちをみている!-
「あっ、てめえ! よくもおめおめと、また顔を出せたな!」
怒るオウル。
「何がいつでも助力できるように、だ! だったら、いくらでも船長に回復呪文をかけるヒマはあったろうよ。全部片付いてから顔を出すとは、どういう了見だよ、お前!」
「呪文ではありません。神言ですぞ」
「どっちでもいいんだよ!」
叫ぶオウル。
「いいか。船長が何といおうと、金輪際俺はお前が仲間だなんて認めないからな! 大事な時にパーティーを見捨てて逃げるようなヤツに、背中はまかせられないんだよ!」
「まあまあ、オウル殿。そんなこと言わずに。怒ると健康によくありませんぞ」
「お前が言うなあ! お前のせいで怒ってんだよ!」
「オウル。そう怒鳴るな」
ティンラッドが飄々と言う。
「戻ってきたなら、それでいいだろう。探す手間も省けたし」
「そうそう。船長のケガも治療してもらわなきゃいけないし」
同調するロハス。
「知るかあ!」
オウルは怒鳴った。
「俺は嫌だぞ! こんなヤツ、仲間じゃねえ! 森に帰れ、この妖怪!!」
その怒号は。森の中にこだまするのであった。