第7話:森の怪異 -7-
ティンラッドはもう、新月を構えている。
オウルも月桂樹の杖を構えた。ロハスもヒノキの棒を取り出す。
「ガル……」
防御魔法をかけようとした時だ。
鮮血が飛んだ。
真っ黒い影がティンラッドに襲い掛かり、一瞬で三人の間を駆け抜けた。
「船長?!」
ロハスが大声を上げる。
「大丈夫だ。何ということはない」
胸と腹を切り裂かれたティンラッドは言った。
「オウル。防御呪文を急げ。相手は速いぞ、気を付けろ」
「ああ」
焦りつつも、集中して防御魔法をかける。重ねがけが必要か、とも思う。
同じ呪文を対象に重ねてかけた場合、効力は一度目よりも落ちるが、それでもないよりはマシだ。
ティンラッドが対応できないほど速い相手なら、防御を上げることが肝心だと思う。
そこで、思い出した。パーティにはもう一人、素早さの数値が高い人間がいるではないか。
「おい、神官! アンタ、棒っきれでもなんでもいいから、少しでも戦闘に参加しろよ。いや、回復魔法が先だ、船長の傷を治せ!」
答えはない。
というか。
アベルの気配自体が、ない。
「え?」
思わず。オウルは辺りを見回した。
ティンラッド。
ロハス。
自分。
魔物の気配。
以上。
「って?! あのクサレ神官、どこへ行きやがった?!」
「魔物にやられたってわけじゃ……ないよねえ」
ロハスも、脱力しきった声でつぶやく。
今こそ、オウルは理解した。アベルの、レベルに似合わない突出した素早さの値の謎を。
彼はここに来るまでの行程でも、戦闘に遭ったら脇目もふらずに逃げ出していたに違いない。
仲間がいても当然のように見捨て、一心不乱に逃げて、逃げて、逃げ続けた結果が、あの突出した素早さなのである。
「逃げたらレベルは上がらないから、そりゃあ低いままだよねえ」
ロハスの声が棒読みに近くなっている。
「って。あの素早さは逃げ足の速さかよ」
呆然とするオウル。
金属音が響いた。
「君たち、ぼーっとしている暇はないぞ!」
ティンラッドの叱責が響く。
新月の黒い刃が、魔物の鋭く長い爪を止めていた。
魔物はティンラッドの身長を上回る、巨大な黒ヒョウだ。
だが、爪も牙も通常のものより鋭く長い。
「す、すまん。今、アンタの攻撃力を上げる」
ティンラッドに向け、エレバルの呪文を唱える。
続けて観相鏡をかけ、魔物のステイタスを見抜こうとする。
サーベルパンサー・くろ
たいりょく:270
まりょく:0
つよさ:300
すばやさ:680
「やっぱり、速いな」
舌打ちする。
強さはティンラッドと互角ということろだが、速度が乗ることで打撃力は倍加されていくはずだ。
魔物はしばらくティンラッドと組み合った後、力押しで倒せないと見て後ろに跳び、距離を取った。
「来るぞ! 気を付けろ!」
魔物から目を離さないまま、ティンラッドが叫ぶ。
確かに、さっきの状態より今の方が危険だ。
「ガルデ!」
もう一度、オウルは防御呪文をかけた。続けて、
「ペルラハン!」
魔物に向けて杖をふるう。
素早さを減少させる呪文だったが、魔物が動く方が早かった。
行き場を失った魔力は、その場で雲散霧消する。
「逃げられたか」
呟く。
その背中を、思い切り突き飛ばされた。
「どけ!」
ティンラッドの怒号。
新月の刃が走る。魔物のうなり声。
助けられたのだとすりむいた膝の痛みを感じながら、オウルは気付いた。
「畜生。これじゃ、ただ足手まといになってるだけだ」
「ウン、まあ、初めからそれは見えてるんだけどさ」
ロハスは観念したのか諦観しきっているのか、非常にやる気がない。
「分かったようなこと言ってるんじゃねえよ!」
それをオウルは怒鳴りつけた。
「何か考えねえと。いつまでも船長に守ってもらえるわけでもないだろうがよ。とにかくヤツの足を止めるぞ。そうすれば船長が勝つ」