第6話:平穏な村 -8-
女はしばらく黙っていた。
それから、朱い唇を軽く噛んで。
「神官様は、さぞかしバルガスの悪口を言ったでしょうね」
とだけ、言った。
「そんなヤツじゃない、とでも?」
「さあ。私には、教義のことは分からない」
女の声は、低い。
「でも。私にとって彼は、みんなが言うほど悪い子じゃあなかったわ」
ティンラッドはうなずいた。
「その男が村を出て行くことになったという事件について知りたい」
女は。また黙る。
「言えないのか?」
挑発するような声に。
彼女は、長身の船長をにらむように見上げた。
「別に、大した話じゃないわ。私の父には二人の弟子がいた。バルガスと、ディミトリ。私たちは三人、兄妹のように育ったわ。でも、バルガスとディミトリは、いつも仲が悪かった。父が何度いさめても、喧嘩してばかりいた。それでも、子供の時は大したことは起きなかったのだけれど。ディミトリが十六歳になった日、二人は父に無断で術比べをして」
女の低い声が。かすれて、途切れる。
「それで?」
ティンラッドは、無情に促した。
女の首が。ガックリと下を向く。
「ディミトリが、大怪我をしたわ。神官様の手当てが早かったのと、父の看護で何とか一命は取り留めたけれども。そうして父は、バルガスを『魔術師の都』に行かせることに決めた。話は、それだけ」
ティンラッドはしばらく。
その話が本当かどうか見抜こうとでもするように、黙って女を見つめていた。
それから、言った。
「最後に一つだけ。十二年前に死んだという、君の夫の名前は?」
女の唇が、あざけるように歪む。
「ディミトリよ。彼は、魔術比べで受けた傷が完全に癒えなくて、結婚して五年で死んだわ。これで満足?」
ティンラッドは顔をしかめた。
「ありがちなロマンスだな」
「そうね」
女は言った。
「でも、当事者にとってはこれで、大事件だったのよ」
そう吐き捨てるように言うと、彼女は。
彼らに背を向けて、墓地を去っていった。
残された旅人たちは、黙ってその背中を見送った。
その姿が見えなくなった時。
「気の毒に。フリージアは、バルガスのために人生をめちゃくちゃにされたのじゃ」
急に後ろから声がして、オウルはギョッとした。
老神官がひげをしごきながら、そこに立っていた。
「な、なんだ。アンタ、そこで聞いていたのか」
「わしがいてはフリージアも話しづらいだろうからな。物陰に隠れていた」
「悪趣味だな」
思わず、呟いてしまう。
老神官は、不敬な発言をした魔術師をじろりとにらみつけ、また口を開いた。
「ディミトリとフリージアは、その前からたがいに好き合っておった。それに横恋慕したバルガスがディミトリを殺そうと、術比べを仕組んだのだと、村の噂じゃった」
それから、付け加えた。
「お主ら。西の峠に向かうなら、道中では妖怪に気を付けるがよい」
「よ、妖怪?」
三人は顔を見合わせた。魔物というなら、話は分かる。だが、妖怪というのはいったい?
「神のお恵みで、この村は魔物の害から救われることが出来たが。その代り、一年ほど前からおかしな妖怪が西の森に住みついてしまったのじゃ。わしらは『オクレ妖怪』と呼んでおる。西の森を人が進むと、後ろから、『オクレ、オクレ』とこの世のものならぬ声がするのじゃ。食糧をひと包み、後ろに投げるとその怪異は収まる。行くのなら、余分に食糧をもっていくことじゃな」
「それ、そのオバケが食糧を食べるってことですか?」
ロハスが首をひねった。
「物を食べるんなら、生き物なのじゃあ? 姿を見た人はいないんですか?」
「いるとも。振り返ってしまった者がな」
老神官は、声を潜め、恐ろしげな表情を作った。
「この世のものとも思えない奇怪なものが、食糧をむさぼりくらっていたそうな。であるから、この妖怪に出会っても決して振り返ってはならぬぞ。呪われるかもしれんでな」