第6話:平穏な村 -6-
この村では、熱い風呂に入れたのが何より嬉しかった。
雪に閉ざされたトーレグの町では薪や石炭は貴重品で、凍死しない程度にしか使うことを許されなかったのだ。
風呂上りに部屋で、オウルが日に褪せたわらのような色あいの髪をがしがしと拭いていると、ロハスがふらりとやって来た。
「やあ。風呂、どうだった?」
「熱かった」
オウルはそっけなく答えた。
「お前も入って来い。臭いぞ」
「ウソでしょ?!」
ロハスはあわてて自分のにおいをかぐ。
「ソエルの城下町で仕入れた最新流行の香水を使ってるんだよ、そんなはずは!」
「香水臭いんだよ」
オウルは吐き捨てるように言った。
ロハスはなんだ、と言って、勝手にその辺にあった腰掛に腰を下ろす。
「船長は?」
「まだ女の子たちと飲んでた」
「困ったもんだな、あの人にも」
オウルはため息をつく。
「で? 何の用だ」
ロハスは笑った。
「うん。それがね。面白い話を仕入れたんで、耳に入れとこうと思って」
オウルは眉をしかめる。
「そういう話は船長のいるところでしろよ」
「あの人、どうせ聞く気ないじゃん」
「そうでもない。聞いてなさそうで聞いてるんだ、あのオッサンは」
「へえ、そうなんだ」
「そうだよ」
ロハスは組んだ膝の上に肘をつき、あごをその上に乗せる。
「まあ、いいや。船長にはまた話すよ。先に聞いといてくれ」
オウルはロハスの顔を見る。
新参の仲間の顔は、いつも通りヘラヘラしていて真意が読めない。
「重要な話なのか?」
「うーん、どうだろう。その判断がつかないから、魔術師さんに聞いておいてもらいたいと思ってね」
耳にかかった黒い髪を軽く引っ張って、ロハスは少し真剣な表情になった。
「例の、若奥さんとそのお父さんが言っていた『村の恥』なんだけどね。遠回しに話を持ってって何とか聞き出した」
「早いな」
オウルは驚いた。
親子の素振りから、よそ者には話したくない事情があるのだろうと察していた。聞き出すのは難しいだろうと思っていたのだが。
「ま、商売は情報が命だからね。その辺はオレなりに手練手管がいろいろ」
ロハスは肩をすくめる。
「で、どうやらその話というのは、ひとりの魔術師に関わっている」
「魔術師」
オウルは眉間にしわを寄せた。
「この村の生まれで、魔術の才能がある男がいたんだと。初めは村の魔術師から習っていたんだが、あんまり筋がいいんで師匠が魔術師の都に連れて行って、正式に学ばせることにしたんだ」
「へえ」
相槌を打つ。
魔術師になるには、要は師匠について学び皆伝の免状をもらえればいい。地方在住の魔術師に習っても魔術師の都で学んでも、それは同じだ。
ただ、地方で一人で住まう魔術師から魔術を教わるより、魔術師たちが集って術を研鑽し合う都で学んだ方が魔術についての理解も深くなることが多いし、新しい研究の成果を知る機会もある。
世間的にも、魔術師の都で学んだ魔術師の方が『格が高い』という扱いを受けられる。
「それが? 落第でもして帰って来たか?」
それは不名誉な話だろうが、『村の恥』と言うほどのことだろうかとも思う。
オウルも魔術師の都にいたから分かるが、あそこで学ぶのは簡単なことではない。
事実、免状をもらう前に都を去る若者も多いのだ。期待して送り出した村人にしては不本意だろうが、本人の適性もある。仕方ないことだ。
「近いけど、違う」
ロハスは声を低めた。
「そいつは魔術師の都で立派に免状をもらって、先生のところで研究にいそしんでいたらしいんだけどね。三年前、突然村に帰ってきた」
オウルは黙って眉を上げる。
都で、研究生活を選んだ魔術師がそこを出て故郷に帰ってくる。それは修業期間に落第するのとは話が違う。滅多にないことだ。
免状をもらって、しかも師の下に残ることを許されたのなら。その魔術師は研究者としての適性がある人間のはずだ。そういう者が自分の研究を諦めるというのは簡単なことではない。
諦めたのではなく、諦めざるを得ない事態になった。そう考えるのが普通だ。
都でよくある派閥争いに巻き込まれでもしたか。
だが、三年前となると。
オウルは眉間に深くしわを刻む。……いや、違う。ソエルの出身者はいなかった。
「つまり、ただ帰ってきたわけじゃないんだな?」
オウルは訊ねた。
そういうこと、とロハスがうなずく。
「帰ってきたその男は、出て行った時の純朴な若者じゃなかった。どうやら……魔物を従えていたらしい」
「魔物だって?」
オウルは驚いた。人間が魔物を従える。そんな術のことは聞いたことがない。
「そう。そして、その魔術師は西の砦の兵士を追い払って自分のねぐらにした」
「ちょっと待て」
オウルは思わず、寝台から立ち上がった。
「じゃ、西の峠にいる魔物の親玉って言うのは」
「そう。その魔術師さ」
ロハスは言った。
「名前はバルガス。この村生まれの正真正銘の人間だよ。ソイツが今度の敵だ。村の恥って言うのは、そういうことさ」