第6話:平穏な村 -3-
馬車が森に入る。
時々かみつきリスが頭上から小石や木の実を投げつけて攻撃してくる他、大した波乱もなかった。
一度だけ長爪グマが現れたが、これはティンラッドが苦もなく倒した。
「あ、ほら。村の領域に入ります」
しばらく行ったところで、若妻が馬車から顔を出して指さした。
道の脇に、境界を示す古びた朽ちた石の柱が立っていた。当たり前の形と素材で、特別なものには見えない。
あっという間に馬車はその横を走り抜けた。
「信じられない。本当にこの先は、魔物が出ないのか?」
オウルの言葉に、若妻はちょっと不本意そうに口をとがらせる。
「ホントですってば。すぐに分かりますって」
「だが、この先の西の峠は魔物のせいで通行できなくなっているんだろう?」
その言葉に、彼女は表情を曇らせた。
「ええ。それはそうなんですけど」
「だったらおかしいじゃないか。それだけ近くに魔物の巣があるのに、どうしてアンタの村は無事なんだ?」
「それは、わけがあるんです」
若妻は言った。
「わけ?」
ティンラッドとロハスも顔を上げる。
若妻は困ったように顔を伏せた。
「その。西の峠に魔物がたまっているのには、わけがあるんですけど。それは村の恥になることなので……。私の口からはちょっと。村に着いたら、もっと偉い方に聞いてみていただけませんか」
そう言ったきり、その件について彼女はピタリと口を閉ざしてしまった。
何とか口を開かせようとオウルが思案していた時。
「見ろ」
ティンラッドが短く言った。
その声に顔を上げた、彼の目に飛び込んできたのは。
「普通のウサギだ!」
ロハスが大声を上げた。
当たり前の小さな野ウサギがニ、三匹、ぴょんぴょんと道の脇を跳ねて、茂みに飛び込んでいく。
「飛び跳ねウサギじゃないぞ。ホントのウサギだ!」
「嘘だろ」
オウルは思わずつぶやく。
魔物の登場とともに、消えてしまった普通の動物。
それが今、彼らの目の前にいる。
「あっちにもいるぞ」
ティンラッドの視線が、上の方に向かう。
そこでは、さまざまな小鳥たちが羽ばたき、さえずり合っていた。
「うわあ。あれ、捕まえたらいくらで売れるかなあ」
ロハスが呆然と呟く。
「信じられねえ」
オウルは袖で目をこすった。
「信じられなくても、目の前に確かにいる。それは事実だ」
ティンラッドは固い声で言った。
オウルは、まるで古い記憶の中に迷い込んだような気がした。
かつて、当たり前だったもの。
今は、失われてしまったもの。
いったい、この森で何が起こっているのか。
彼らには想像もつかなかった。
森の中を半日走って、馬車はようやく村にたどり着いた。
魔物除けの生垣はあったが、その傍の番小屋は放置され、番人もいなかった。
収穫の終わった農地で干し草作りをやっているのは農夫やその家族だけで、魔物を警戒する兵士の姿はない。
「イーナじゃないか! どうした、里帰りか?」
何人かの農夫が、馬車に乗っている若妻に気付いて声をかけた。
「ちょっとね。この冬は、この人とこっちで過ごすから! またよろしくね!」
まだ娘のような若妻は、明るく答えを返す。
彼女とその夫が一緒だったおかげで、ティンラッドたち三人もさほどあやしまれず村に入ることが出来た。
「うちに寄って行ってください。両親にもてなしをさせますから」
若妻が言った。
そのまま馬車は進んで、一軒の農家の前で停まった。
「イーナ! どうしたの、急に」
「便りがなくて、心配していたんだぞ」
老夫婦が駆け寄ってくる。
「ごめんね、父さん、母さん。いろいろあって」
若妻は両親と抱き合った。
それから事情を簡単に説明し、ティンラッドたち三人も「町の恩人」として紹介された。
「そうですか。それは、娘と婿がお世話になりました」
老人は鷹揚に言った。
「まあ、汚いところですが、お茶でも飲んでいきなさい。それから、宿屋へご案内しましょう」