第43話 深い森 -7-
木から下りてきたティンラッドによると、彼らがいる場所は森の真ん中あたりだろうとのことだった。
川筋を離れてから、街道にはさほど近づかずに森の中心へ向かって歩いてきたことになる。
「まあ、道のない森を進むんだからこんなものだろうな」
と、オウルは言った。ただし、これからは小まめに位置確認をした方が良いかもしれない。逆戻りするよりはマシだが、そこそこ広い森を東西に往復するばかりではいつまで経っても街道にたどり着けない。
「じゃあ、ここに手袋を吊るすね」
通ってきた道の目印になるように、またここで位置を確認した印として、ロハスのすり切れた手袋の片方を吊るす。前日の斜面下りで商人がダメにした手袋は五対。片方ずつ使って行けば十ヶ所に目印を置くことが出来る。
川沿いから森に入って来たときと、この場所で一枚ずつ使ったので、残りはあと八枚。
「ロハス殿の手袋の残りで足りるうちに、街道に着きたいものですな」
アベルが言った。破れた手袋で道のりを数えるのもどうかと思うが、長いこと森をさまようのは確かにあまりよろしくない。オウルも仕方なく、神官に同意した。
そろそろ森に魔物が出るかもしれない、という情報はティンラッドを喜ばせた。
「やっと魔物と戦えるのか」
明らかに喜ぶところを間違っているが、ツッコんでも無駄である。こういう人間なのだ。
「いつ以来かなあ。自警団とかいう連中が邪魔だったからなあ」
「あのな船長。確かに今の俺たちにとっては、神殿自警団は見かけたら逃げなきゃならない敵だ。だけど一般の旅人には、街道を魔物から守ってくれるありがたい存在なんだ。そこは忘れるな」
オウルはつい、口を挟んでしまう。しかしティンラッドは、
「いや、邪魔だった。あいつらが剣や鎧をガチャガチャ言わせて街道を歩き回るから、魔物が寄ってこなくて困ったじゃないか」
と言い張って譲らない。魔物が寄ってこないからといって困るのはティンラッドくらいだとオウルは思うが、そのツッコミは心の中に秘めておいた。これ以上言い合っても虚しいだけだからだ。
「カニ以来かなあ」
「カニ以来かもね」
ロハスとハールーンがうなずきあうのは、最後に魔物と大きな戦闘をしたときの話である。ロハスの故郷で魔ガニを獲ったときの話だ。
「そんなに前になるか。砂漠では毎日のように魔物に出会えたのになあ」
ティンラッドは心から残念そうに言った。
「とりあえず進むぞ。こっちから南に行けそうじゃないか?」
オウルは茂みをかき分けながら言った。魔物に遭おうが遭わなかろうが、街道を目指さなくてはならない。
少しずつ南に向かうにつれ、ハールーンの言ったとおり魔物の姿が目に入るようになってくる。
ヒカリゴケのお守りの効果で小さな魔物は寄ってこないが、基本的に小さな魔物がいるなら大きな魔物もいるということである。一行は周囲への警戒度を上げた。
「枝の上も注意した方がいいよ」
「だからって足元をお留守にするな」
「茂みの中から飛び出してくるものがいるかもしれない。気を付けたまえ」
「一番後ろと一番前と、どっちが魔物が飛びかかってくる可能性が高いかなあ」
皆がてんでに勝手なことを言うので、ロハスとアベルは怯えるばかりである。
「そんなにいろいろ言われても、いっぺんに上も下も前も後ろも見るわけにいかないよ」
「なんでもいいですから、とにかく守っていただきたいですぞ」
泣きごとを言っても魔物が遠慮してくれるわけはなく、
「うわあ。ミミズの魔物が出たあ」
「うひゃあ。ヒルの魔物が落ちてきましたぞ」
悲鳴も絶えない。
「はいはい、どいてどいて」
その手の『お守りの効果から逃げようとしたのに逃げきれず姿を現してしまった』感の強い、それほど大きくない魔物たちはハールーンの砂ヘビのエサになる。ちなみにハールーンだけは、ヒカリゴケのお守りを身に着けていない。
「そのヘビ、少し大きくなったんじゃねえか」
魔物を食らう魔物を、少し離れたところから観察しながらオウルはハールーンに尋ねる。
「どうだろう。ちょっとは大きくなったかもね」
「最終的には人間より大きくなるんだよな?」
砂漠で出会った、この種の成体を思い出す。あまり出会いたくない種類の魔物だった。
「そうなるまでには何年もかかるよ」
「けど、そうなったときはどうするんだ。そんなのが四匹も入るような壺を持って歩くわけにもいかないだろう」
ハールーンはちょっと考えてから、
「そうだねえ。連れて歩けないくらい大きくなってしまったら、悲しいけれどお別れするしかないねえ」
と言った。
「お別れって、具体的にどうするつもりなんだ」
「別に。こういう森とかに適当に放せば、きっと自分たちの力で幸せに生きていってくれるんじゃないのかな」
何も考えていなさそうな顔であっけらかんと答えられ、オウルは呆れた。
「魔物を育ててあちこちに放すなよ。迷惑以外の何物でもないだろうが」
「だって、他にどうしようもないでしょ」
「せめて砂漠に連れて帰れ」
それもどうなのかと思わないでもないが。とりあえず、こいつは全く反省していないのだ、とオウルは理解した。
目が合った魔物を家にこっそり連れて帰って飼っていたせいで、生まれたオアシス都市を両親ごと滅ぼしてしまった少年時代の出来事から、ハールーンは何も学んでいないし成長もしていない。放置していたら同じことを何度でも繰り返すに違いない。
どいつもこいつも、気が遠くなるような問題児ばかりだ。
そんなやつらと『無実の罪を晴らす旅』をしなければならなくなった運命を、オウルは心から呪った。