第43話 深い森 -3-
さらに一時間あまり山を登る。古い石造りの祠は仲間たちが想像したより立派なもので、天候が急変した時など中に逃げ込むことも出来そうだった。
オウルはすぐに掃除用具を出してきて降り積もった落ち葉や木の枝を丹念に片付けていく。実家の荒れた様子にはあきらめの表情を浮かべただけだった彼だが、ここではそれが当然という様子でてきぱきと働いている。崖下りを出来るだけ後に回したいロハスもそれに倣い、心を込めて祠を掃除した。
ティンラッドはロハスに声をかけ、『なんでも収納袋』から綱を出させた。バルガスとハールーンに手伝わせ、ちょうど良い長さのものを探し、強度を確認する。
アベルはブラブラしていたが祠の掃除が終わると、
「では大神殿の三等神官として、私がお祈りをいたしましょう。『山の神さん』などと言ういかがわしい存在にではありませんぞ。唯一の神に祈るのです。そこのところはきちんとご理解ください、特にオウル殿」
念を押しつつずかずかと祭壇の前に立った。オウルはそっぽを向いている。アベルがどう言おうと、彼がここで祈るのは『山の神さん』に対してなのだろう。
アベルがお祈りを終えてから外を見ると、靄はさっぱりとなくなって空は明るく晴れていた。オウルはホッとした様子になった。
「ちょっとすそ野を通るだけだから必要ないかと思ったんだが、やっぱり来るべきだったんだな。南の森もお山の神さんのものだと聞いたことがある。ちゃんとお清めをして挨拶にくることにして良かったぜ」
しきりにうなずいている。
「ねえ、ちょっと」
ハールーンがひそひそとロハスに耳打ちした。
「早くここを離れたほうがいいんじゃないかなあ。オウルがどんどん『山村に生きる若者』みたいになってきてるよ」
崖を下りるのはイヤだったが、ロハスもそれには同意しないわけにいかなかった。なんだかんだいってもここはオウルの故郷なのだ。少年時代の気分に戻りつつあるのかもしれない。
とりあえず『ツッコミをしないオウル』というのが仲間としては非常に違和感だった。この状態は終わりにしたい。
「よし。戻って崖を下りるぞ」
ティンラッドが元気よく言った。もう誰も反論しなかった。
帰り道は下りなので、行きほど時間はかからない。ただし、ロハスが転ぶ回数は増えた。
がけ崩れの跡地に着くとティンラッドはまず道のわきに生えている丈夫そうな木を見つくろい、縄を結びつける。そしてそれを思いきり引っ張った。
「よし。大丈夫そうだな」
「待て、船長。念のために呪文をかける」
オウルが月桂樹の杖を取り出した。
「ザカリト!」
木の根元あたりに円を描くように杖を動かしながら、呪文を唱える。一時的に土を固める呪文である。大雨の後などで土が崩れるのを防ぐために使われる術だ。今回は、ほぼそのとおりの使いかたである。
「これでしばらくは大丈夫なはずだ」
「よし。行くぞ」
ティンラッドは綱の反対側の端を腰に結び付け、思い切りよく急な斜面に飛び出した。そのままひょいひょいと、一番近い木に向かって坂を下りていく。
危なげない足取りに見えるが、よく観察していると彼が地面に足をつけるたびに小石や砂が流れ落ちていくのがわかる。やはり足場はそれほど良くはないようである。
「よし。いいぞ、オウル」
木にたどり着いたティンラッドは、綱を幹に巻きつけてから大きく手を振った。張られた綱を手すり代わりにして、オウルはおっかなびっくり斜面に下りる。
足を踏み出すと、やわらかな砂の中に足首まで靴がめりこんだ。音を立てて砂が流れ、石が転がっていく。ティンラッドのように、体が沈み込む前に進んでしまうのが正解なのだろう。しかしわかっていても、そんな風に体が動くわけもない。
砂漠を思い出す。あの砂の大地もこんな風に、旅人の足を絡めとろうとしてきた。どこまでも続く茫漠とした場所では意識を散漫になり、どこへ向かって何のために歩いているのかもわからなくなりそうだった。踏み出すたびに沈み込む足は、気力と体力の両方を奪っていった。
だがここには、あの場所とは別の怖さがある。踏み出す場所を一歩間違えたら、全ての砂が流れ出してまるごと崩れ落ちてしまいそうなのだ。危なっかしいことこの上なく、気を緩めることが出来ない。自分で提案したことながら、オウルはこんな道を選んだことを激しく後悔した。
へっぴり腰でティンラッドのいる場所との中間あたりまでたどり着き、
「ザカリト」
再び土を固める呪文を使う。オウルが二番手なのは、こうやって仲間のために足場を作っていくためだ。
最初の木にたどり着くだけでヘロヘロになってしまった。
「よし、よく来た」
ティンラッドがオウルの腕をつかんで木の下に引っ張る。ホッとしながらもオウルは、
「……ザカリト」
また呪文をかけた。そうしながら、これは気休めに過ぎないなと思った。
もし土砂崩れが起こったのなら、こんな木など根こそぎ下まで流される。オウルが魔力を振り絞って、ちょっとばかり固めたまわりの土も運命を共にするだろう。
「よし。ロハス、来い」
ティンラッドが大声で呼んだ。
「ちょ、ちょっと待って。心の準備が」
二の足を踏むロハスの背中を、ハールーンが非情に小突いた。
「さっさと行って。僕が後ろから見てるから大丈夫。ほら、早くしないと下に着く前に暗くなっちゃうよ」
押されたロハスは足を滑らせ、綱につかまりながら盛大に斜面を滑り落ちる。
「あ~れ~!」
悲鳴が谷に響き渡った。