第43話 深い森 -2-
「えっ、ここ?」
問題の地点にたどり着くまでには、予定よりやや長い時間を要した。主にロハスが転んだりやる気をなくしたりもう進みたくないと泣きごとを言ったりしたからである。
眼下には一面に森が広がっており、人里らしきものは見えない。
「森が切れているあたりに川筋みたいなのが見えるだろ。あれが街道だ」
とオウルは説明するのだが、正直なところロハスには判別がつかなかった。それよりも、
「噓だろ。ここを下りるって、無理無理、ムリムリムリムリ」
そっちのほうが気になってたまらない。『山道から森へ下りられるところがある』とオウルは説明していた。しかし実際にその場所に着いてみれば、そこに道など存在しない。
標高差も変わっておらず、森で一番高い木のてっぺんすら見下ろせてしまう。眺めているだけで頭がクラクラした。『これからここを下りる』と言われているのだから、なおさらである。
「崖じゃん。今までと同じ崖じゃん。ムリだよムリムリ、死ぬよ死ぬ。こんなところ下りられない」
「うるせえな、よく見ろ」
オウルはじろりとロハスをにらむ。
「今までのところは完全に切り立った崖だったが、ここだけは違うだろ。斜面になっていて、足場になりそうな木や岩も見えている。ひいじいさんの時代に崖崩れがあったところらしいから注意は必要だろうが、魔術で足元を固めながら進めば何とか行けると思う」
そう言われても、ロハスには違いがあまりわからなかった。
なるほど、確かに今までの崖と違って赤土が広がり、傾斜も緩やかかもしれない。しかしそれは『比較的』というやつである。完全に垂直な崖よりは多少マシという程度の斜面である。
崖から足を踏み外せばまっすぐに落ちて死ぬだろう。しかしこの斜面を下りようとしても、滑り落ちるだけで結局は死ぬだけではないだろうか。そんな未来しか見えない。
「道じゃないじゃん。オウルはオレたちを殺す気なの」
ロハスは猛抗議する。オウルは不機嫌になった。
「俺だって通らなくていいのならこんなところを通りたくねえよ。けど、俺たちは大神殿に目をつけられた。どこへ行ってもおたずねものなんだ。これくらいの無理をしねえといったん追っ手をまくことも出来ない」
「九割死ぬと思うんだけど」
追っ手をまけても行き先が天国では意味がないと思うロハスだった。
「いや」
黙って斜面を見ていたティンラッドが口を開く。
「行けそうだぞ。大きな木は根を張っているだろうから、そこを足掛かりにすれば崩落を起こさないようにして下りられるんじゃないかな」
「そりゃあ、船長なら行けると思うけど」
ロハスは暗い口調で言った。運動能力の化身のようなティンラッドと、ただ山道を歩いているだけで転ぶロハスとでは持って生まれたものが違いすぎるのだ。ティンラッドに出来ることがロハスにも出来るとは限らない、いや出来ない、たぶん確実に。
「私が一番近い木まで先に行って、綱を張ろう。君たちはそれにつかまって下りてくればいい」
ティンラッドは言った。
「バルガスとハールーンは真ん中と殿を受け持って、他の仲間を補助してやってくれ。出来るな?」
運動神経の良いほうである二人はうなずく。
「命綱も付けさせた方がいいんじゃないかな。特にロハスとアベル」
ハールーンが仲間たちを懐疑的なまなざしで眺めながら提案する。
「僕、イヤだよ。落っこちていくロハスをそのたびごとに拾いに行くのなんて。面倒くさいもの」
最初から、複数回転落するのが前提にされていた。しかしロハスは反論できなかった。自分でもそうなる未来しか見えない。
「命綱、ぜひお願いします」
「私もお願いしますぞ」
名指しされた二人は粛々と賛意を表明した。
「俺はたぶん大丈夫だ」
オウルは言った。
「山場の危なっかしいところを通るのはそれなりに経験がある。魔術で補助するためにも、自由に動けたほうが都合がいい」
「わかった。じゃあオウルとハールーンとバルガスで、ロハスとアベルを助けてやってくれ」
船長の言葉に、三人はうなずく。それでもロハスの顔の憂いは晴れなかった。
なんだかんだ言って、アベルは村までの山道でも転んでいないのである。ちょっと足を滑らせても、たたらを踏んで姿勢を維持していた。何度も転んで泥だらけになったのはロハスだけなのだ。
この斜面で自分だけが命を落とす。そんな気がして不安でたまらない。
「では早速行こうか。ロハス、綱を出してくれ」
ティンラッドが元気よく言った。楽しそうですらある。
どうしてこの船長は危険な場面であればあるほど生き生きとしてくるのか。つくづく理解できない。
こういう時、いつも率先してツッコんでくれるオウルも今回はどうやら船長側である。裏切り者、とロハスはこっそり考えた。
「下のほうでは少し霧が出ているのではないかね」
バルガスが指摘した。オウルが眉を寄せて下を見る。
確かに広がる森にはぼんやりと靄がかかり、それが少しずつ濃くなっていくようにも見えた。
「急いで下りればいい」
ティンラッドは下りる気満々だが、
「いや、斜面の途中で霧に巻かれるのもまずい。少し様子を見よう」
オウルが言う。
「オレも賛成」
ロハスは熱心に言った。
「綱の準備もしっかりした方がいいと思うし。すぐには下りないほうがいいよ」
本音を言えば一生、下りたくない。しかし追っ手が出ているだろうことを考えるとそうも言えない。辛いところである。
オウルは少し考えた。
「……もうしばらく上がれば、さっき話した『お山の神さん』の祠がある。そこなら霧が濃くなっても落ち着いて過ごせる。そこで命綱の準備をして、天気がどうなるのかを見るか?」
「神さんの祠か。それは私もちょっと見たいな」
ティンラッドが興味を示したので、話はすぐに決まった。