第42話 えんじ色の小箱 -5-
「それにしても大神殿ってホントに贅沢だよね」
ロハスがしみじみと言った。
「こんな立派な箱を、使わないからって簡単に払い下げちゃうなんて。見たところそんなに古くないし、傷んでもいないのに」
「耳が痛いですなあ」
アベルはもったいぶった態度で答える。
「ソラベルさまは尊敬すべき一等神官であり、我が師でもありますが、これを目にしたときは正直なところ私もどうかと思いましたぞ。このような立派な小箱を壁の穴に押し込んで……」
「ちょっと待て」
オウルはアベルを止めた。
「壁の穴って何だ。その箱は、ソラベル神官がお前に『捨てておけ』って渡したんじゃないのかよ?」
「オウル殿。私はソラベルさまの掃除係だったのですぞ」
なぜかアベルは胸を張った。
「上司が『捨てろ』というのを何もせずにただ待っている掃除係などおりますか。捨てるべきものを事前に探し出して処分することこそが掃除係の職務。そうではありませんか」
「ん?……まあ、そうか?」
オウルは首をかしげる。間違ってはいないかもしれないが、何かが引っかかる。
「そうなのかな」
ロハスも首をかしげた。
「そうかも。僕は掃除しないからわからないけど」
ハールーンが自信なさげに言う。
「お前は掃除しろよ」
オウルは余計なツッコミをしなくてはならなくなった。いや、今はハールーンよりアベルである。
「待て。本当に待て。どうやってその小箱を手に入れたのか、一からきちんと説明してみろ、妖怪」
「いつものことながらオウル殿は少々失礼だと思いますぞ。仲間といえど、親しき中にも礼儀ありです」
妖怪に説教されてしまった。
「まあ、いいでしょう。大した話ではありません。その日、私はいつものとおりソラベルさまの執務室を掃除しておりました。まずは窓を拭きました。半分ほど拭いたところで疲れましたので一服しようと、ソラベルさまが机の引き出しに隠していらっしゃる砂糖菓子を一個いただき」
オウルはツッコむべきなのか迷った。なぜ窓を一枚拭き切らないうちに休憩をするのか。なぜ上司の茶菓子を勝手に食べるのか。そもそも『小箱のことなど知らない』と言っていたのにかかわらず、なぜ回想が無駄に細かいのか。
しかしツッコんでいたら話が進まなそうな気がする。何しろ相手はアベルなのだ。
オウルが断腸の思いでツッコミをあきらめたとき、
「知らないって言ってた割に細かく覚えてるじゃん、アベル」
とロハスが恨みがましくツッコんだ。オウルの気遣いは無駄になった。
「ひとつ思い出したら他のこともまとめて思い出したのです。そういうことはあるものでしょう」
「最初に聞いたときに真面目に考えてなかっただけでしょう。ホント、アベルっていいかげんだよね」
ハールーンが辛辣に言う。しかしアベルはやっぱり気にしない様子で、
「それはともかく、菓子を食べ終わってから私は部屋を見渡しました。そこで気付いたのです。壁沿いに置いてある棚が斜めになっていたことに」
と続けた。
「待て。窓は」
オウルもツッコんだ。自分だけ我慢しても他のものがツッコむのでは意味がない。それなら気になったことはツッコんでしまったほうが精神衛生上マシである。
「窓はどうしたんだよ。半分しか掃除していないはずだろう」
「オウル、オウル」
ロハスに袖を引っ張られた。
「昔のことだからさあ」
「いつのことでも、話の中でも、気になるものは気になるんだよ。なんで作業の途中で他のことに気を取られてるんだよ、このバカは」
「そっち側の壁には、大きな本棚に並んで小さな棚がいくつか並べられていたのですが。そのうちのひとつが斜めになっていたのですな。片側だけはみ出している様子が非常に見苦しく、すぐに直さねばと思ったのです。几帳面なタチですので」
「だから窓は。几帳面なやつはやりかけた仕事をやりっぱなしにしないんだよ。窓を最後まで磨いてからやれよ」
オウルはイライラしたが、やはりアベルは気にしない。
「私はそこへ行き、はみ出していた棚を押し込もうとしました。ところが、うまくいかないのです。こう、ぎゅうぎゅうと押し込もうとするのですが、何かがつかえていて途中で止まってしまうのですな」
両手両足を踏ん張って、物を押し込もうとするそぶりをしながら熱を込めて説明する。
しかしそこはどうでも良かった。むしろ細かく説明されればされるほど、放りっぱなしになった窓のことが気になる。
「何かが裏側に落ちてつっかえているのかもしれない。私はそう思って棚を動かしてみることにしました」
アベルは更に、棚を動かす動作もして見せた。
「すると、なんということでしょう。棚の後ろ側の壁に、小さな扉があったのです。それが半開きになっていたので、棚が元の位置に戻らないのでした」
「隠し扉?」
アベルの昔話の意外な展開に、オウルは思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。ロハスとハールーンも目を丸くしている。バルガスは相変わらず冷ややかな表情で口を閉ざしており、ティンラッドはうつらうつらしている様子だった。
「それでお前、どうしたんだ」
オウルはたずねる。
「もちろん、きちんと閉めようとしましたが」
アベルの答えは明快だった。
「そこをきちんと閉めないと、棚がきれいに収まりませんので。閉めようといたしました」
「そういうところ、あっさりしてるよね。アベル」
ロハスが感想を述べた。これを『あっさりしている』で片付けてよいのだろうかとオウルは思った。
窓を拭いていたはずなのに、上司の机から菓子を取り出し勝手に食べ、最後にはなぜか謎の隠し扉まで発見している。率直に言って意味がわからない。
「ところが、閉まらないのですな」
アベルは続ける。
「何かが引っかかっているのだと思いました。そこで私は中をきちんと整理しなくてはなるまいと思いました。掃除係ですから」
棚の裏側に作られていた秘密の隠し扉の中身を整理するのは、はたして掃除係の仕事なのだろうか。
何の話を聞かされているのか、オウルはだんだんわからなくなってきていた。