第42話 えんじ色の小箱 -3-
みんながアベルの顔を見た。
師匠から『ニセ神官』として手配された男はちょうど、ふかしたイモに大口を開けてかぶりついたところだった。前日からイモばかり食べている気がするが、村の畑だったところに残っていたのを比較的まとめて収穫できたのである。獲ったなら食べる。それが世の摂理である。
「どうかひまひたか?」
イモを咀嚼しながらアベルは首をかしげる。
「食いながらしゃべるな。あと、大事な話をしてるんだからちゃんと聞いてろ」
オウルは不機嫌に言った。これ以上は注意しても無駄である。
「アベル。何か心当たりはないの」
ハールーンはぐいぐい行く。普段は怠惰なのだが、やる気になったときは行動が速いし容赦もない。むら気の見本のような性格だとオウルは思っている。
しかし、追及して答えが返ってくるなら苦労はしない。なんといっても相手はアベルである。
「なんのほほろはたり(心当たり)れしょうか?」
まだイモをもぐもぐしている。自分が事態の焦点になっているというのに全く緊張感が感じられない。
「何か大神殿の弱みを握ってるんじゃないかって言ってるの。高位神官の醜聞とか。そういうのがないと話がおかしいでしょ」
ハールーンはいらいらし始めた。まだまだ修行が足りないなとオウルは思ってから、アベルの存在に慣れつつある自分に気づいて戦慄した。
アベルはイモを飲み込んでからきっぱりした口調で、
「失礼なことをおっしゃいますな。大神殿の神官たるもの、清廉であることが何よりも求められます。人に知られて困るようなことをするわけがありません。考えてからものをお言いなさい」
と言った。口もとに食べかすがついたままだった。
「まあ、そもそもこいつの存在以上の醜聞はなかなかねえよな」
オウルはため息をついた。
「でも、それだけだったらこんなことにはならないでしょ。たとえアベルが『歩く大神殿の汚点』だとしても」
ハールーンも頑張る。
「あのさあ」
ロハスが口を挟んだ。
「オレ、思うんだけど。あれを調べてみるときが来たんじゃないかなあ」
「あれ?」
みんながきょとんとした。
「やだなあ、みんな忘れたの」
ロハスは呆れた顔になる。『なんでも収納袋』を取り出して、ごそごそと中を探った。
「特にハルちゃん。自分で受け取っておいて忘れないでよ。ほら、オレの姉ちゃんの家に泊まっていたとき、町で変な男に渡されたでしょう」
取り出されたのは、汚らしい油紙の包みだった。
「何、それ。僕は知らないよ」
ハールーンはまだきょとんとしているが、オウルは思い出したような気がしてきた。
「そういえば、確かそれは……俺がお前の極悪姉貴の家の風呂場のカビ取りをさせられていたときに、お前らがフラフラ町へ出てもらってきたものだったんじゃ」
「姉ちゃんは姉ちゃん、オレはオレ」
ロハスはそう言って、姉の所業を終わった話にした。
「アベルは覚えがないって言ってたけどさ。やっぱりあやしいよ、これ。姉ちゃんの家では中までは見なかったけど、ちゃんと調べたほうがいいと思う」
油紙をはずすと、えんじ色の布の張られた高価そうな小箱が現れる。
「あ、思い出した」
モノを見たとたんに、ハールーンがあっさりと前言を翻した。
「覚えてる、覚えてる。ロハスと街を歩いてたら、ヘンな男に絡まれたんだよね。これをアベルに渡せって、無理やり言われてさあ」
「うん、そう」
ロハスはうなずく。ハールーンの言うことに深くツッコまなかったところに、深い諦観があるようにオウルは感じた。
「オレ、気になることは帳簿に書き留めてあるんだけど。ええとね」
帳簿を取り出して頁をめくる。
「ルザの街に滞在した、二日目の午後だね。市場を見に行った途中で、知らない男に渡されている。『ガイルンに預かった。必ずアベルに渡してくれ。それで片が付く』。ほらね、あやしい素振りであやしい言葉だったから忘れないように書いておいたんだよ。どう考えても変でしょう?」
オウルも思い出してきた。確かにあやしい話で、だからこそそのときも皆で話し合ったのだ。
だが確か、それを聞いたアベルは……。
「私には全く心当たりがないのですが。ガイルンという名前にも聞き覚えがありません」
やはりきょとんとした顔で首をひねったのだった、今と同じように。
「いや待て」
オウルは言った。
「俺のほうに覚えがあるぞ、その名前」
確かにどこかでガイルンという名前を聞いた。アベル関連でだ。
ロハスの姉の家での話し合いでは、何も引っかからなかった。
おそらく大神殿で聞いたのだろう。あそこではアベルの旧知にいろいろ会った。中でも多く話を聞いたのは、ソラベルをのぞけばエリオス神官と、そして。
「わかった。あの婆さんだ。門前町で会った、どこかの娼館のやり手ばばあ」
「誰ですか、その人は。私にはそんないかがわしい知り合いはおりませんが。そんな不道徳な場所も、大神殿の門前町にはありませんぞ」
アベルのたわごとに、オウルは付き合わなかった。ツッコんでも意味がない。
「いいや、覚えてる。確かにそこでガイルンって名前が出た。お前が借りた金を踏み倒したから困ってたっていうような話だった。結局それで、その男は夜逃げしたっていうようなことを言われていたぞ」
昔も今も、どこへ行ってもアベルはアベルであり、周囲の人間に迷惑をかけずにはいられない存在なのだとしみじみ思ったので、よく覚えていたのだ。
「ああ、私も覚えているぞ」
ティンラッドが手を打った。
「たしか、マドラさんとか言っていたんじゃないかな。なかなかおしゃれな女性だった」
「むむ。もしやそれは『憩いの館』のマドラさんでは。もちろん覚えていますとも」
アベルはうなずいた。
「門前町では久々にお話ができて嬉しかったものです。こんな状況になってしまっては、あのかたがご存命であるうちにもう一度お会いできることがあるかどうか」
「不吉な言い方をするなよ、確かに相手は婆さんだったけどよ」
オウルはあきれ果てた。
彼とマドラはかなり親しかった様子だし、おまけにアベルは金まで借りていたのだ。(そしてやはり踏み倒した)だというのに、いくら何でも失礼この上ない。
「しかし、マドラさんがそうおっしゃっていたとなると……」
アベルはしばらく眉間にしわを寄せて考えてから、
「思い出しました、古物商いのガイルンですな。彼なら私の親友でした。再会がかなわず、実に残念でした」
とても明るく言った。
どいつもこいつも、このパーティに集まる人間はどうしてこうなのだろう。
オウルはつくづくそう思った。