第42話 えんじ色の小箱 -2-
「考えるべきこととは何ですか。今日の昼食の献立ですか」
アベルが聞き返した。今、朝食をとっている最中なのだが。人生において他に大切なことはないのだろうか。……ないのだろうな、とオウルは諦めとともに考えた。
「そんなわけないでしょ。もっと大事なことだよ」
ハールーンが不機嫌に応える。
「ソラベル一等神官の反応。アベルがムカつくから殺したいまでは僕もわかる。実行に移すのもわかる。でも、大神殿全体を動かして罪人として手配するのはそれとは問題が違う。僕たちは盗賊に襲われて反撃しただけで、言われているようなことはひとつもやってない」
確かに、とオウルはこっそり思った。大神殿で彼らの働いた主な狼藉は、こう言っているハールーン自身が自警団を倒して懐から財布と貴重な符を奪ったり、神官を騙って城門破りをしたり、それとティンラッドが内殿の警備を殴り倒したことくらいである。
手配の理由として述べられていることに比べたら微罪である。たぶん。
「無理やりに罪人に仕立て上げたとわかったら、ソラベルの立場だってマズくなるはずだ。アベルが邪魔なだけだったら、逃げ出して二度と大神殿に近づかないでいてくれればそれで十分なはずでしょう。でもこの反応は違う。明らかにそれを越えてる」
ハールーンの青い瞳が再び仲間たちを見る。
「あのう」
アベルがおそるおそる片手をあげた。
「私のことを殺したいと思うのがわかると言われてしまうと、少々傷付くのですが」
ハールーンは無視した。そして誰もアベルに同情しなかった。
「大神殿の中にも派閥争いくらいはあるんでしょ。どうなのアベル」
冷たい調子で問いつめられたアベルはあわてて、
「そ、それはもちろん」
うなずく。
「全ての神官を統べるのはセペロス筆頭神官さまです。それに次ぐ勢力を持っていらっしゃるのはマルティアス一等神官ですな。このお二人が大神殿の二大派閥というか、そういう感じなのです」
「ふうん。で、あのソラベル一等神官はどっちの派閥なの」
ハールーンは更にたずねる。
「ソラベルさまは、そのう」
アベルは言いよどんだ。それから、
「あの方は大神殿の一等神官の中でも一番の小物と申しますか。派閥に入れてもらいたくてどちらにもすり寄っているのですが、小物すぎてどちらからも相手にされていないと申しますか。おおよそそんなお立場ですが、あえて言えばマルティアス様の派閥のほうがたまに好意的です」
盛大に師匠をこき下ろした。バカ弟子の中でも最高峰に位置するだろうアベルにここまで言われるソラベルの小物っぷりにオウルは少し同情した。
だがその小物に自分たちが追い詰められているのだということにすぐに気付く。たいへん面白くない。
「名前はどうでもいいけどさ。どうせ知らない人だし」
自分で聞いておきながら、ハールーンの対応は雑である。確かに知らない相手だが、今のは重要情報なのではないだろうかとオウルは思った。
「ソラベル神官ひとりでは、僕たち全員を罪人として世界中に手配するなんてことはできないことはできないと思うんだ。小物ならなおさらね。実際に話してみて、基本的には臆病な人だと思ったし。あの人の裁量で出来るのは、アベルを脅して大神殿から追い出すくらいのことだと思うよ」
実際、それが一番最初にソラベルがやったことなのだ。妖怪を野に放たずに、大神殿でしっかり飼い殺しておいてくれれば良かったと思わずにいられないが。
「アベルの罪状がニセ神官ってことになっているでしょう。でも大神殿にはアベルを知っている人がいっぱいいるんだし、あの、なんて言ったっけ、名前は忘れたけどアベルと仲良さそうな人。ああいう人とか、知ったら当然、不審に思うでしょ。それを押さえつけるだけの力が動いているってことになる」
「エリオス神官な」
オウルはつい、口を挟んでしまった。それと『アベルと仲が良さそう』と言われるのは、きっとあの神官にとっても不本意だろうと思った。
ハールーンの推論には今のところ異論はないが、基本的に他人に対する意識が雑すぎる。もう少し世界に対して優しさを向けられないのだろうか。
「名前とかどうでもいい。どうせ、もう会うこともないだろうし」
残念ながら、優しさをふりまく気はなさそうだった。
「僕が言いたいのは、ソラベル神官ひとりがこの事態を起こしたとは思えないってこと。大神殿の派閥のどちらかが動いてる、そう思ったほうが納得できる。つまりさ」
青い瞳がもう一度、この上なく冷たくアベルを見据えた。
「アベルにはそれだけの価値があるってことなんだ。大神殿の偉い人が放置しておけないくらいに。その意味をきちんと考えないで動き出すのは、間違いなく悪手だと思うよ」