第41話 霊峰のふもと -9.-
「魔物が出始めたころは、そういう旅回りの商人がたくさん行方不明になったから。うちの経営が苦しくなったのも、そのせいで回収不能になった債権が増えたせいもあったんだよね」
ロハスが汁物をすすりながら言う。
「うちの実家みたいなそこそこ大きな商売をしている店は、そういう旅回りの商人に品を卸したりもしていたんだ。掛け売りでさ。年に一回の期日にお金を納めてもらうんだよ。で、また掛け売りで商品を卸して、次の年にお金を返してもらうの」
「ううむ? それはつまり、ここの村人が商人からものを買っていたやり方と同じということですか?」
アベルがますます首をひねる。
「そうそう。同じ仕組みだよ」
ロハスは軽くうなずいた。
「そういう輪が、魔物が出るようになったせいで壊れちゃったんだよね」
「本当に、いろんなことが変わったよな」
オウルは言って、また天井を見上げた。
「この村もさ。金を稼ぐために一家で村を出ることを決めた家も何軒もあったし、俺以外にも売られたヤツはいた。俺の家族はなんとか残ろうとしていたけど、この村そのものがもう駄目になりかけてたんだろうな。あのときには」
「消息がわからなくなった商人のナワバリから未払いの代金を回収しようとしても、盗賊スレスレみたいなやつらしか仕事を受けてくれる人間はいなかったからね。あのころは」
ロハスも嘆息する。
「オレの親父はそれで断念したんだけど、『神の秤商会』はあきらめなかったんだろうね。そういうやつらがやった取り立てはひどいものだったって聞くよ。……ここの人も、村を捨てて町で稼ぐか、借金から逃げ出すか、どっちかしか出来なかったんだろうなあ」
「オウルの家族は?」
うつらうつらしているように見えたハールーンが急に顔を上げ、はっきりと聞いた。
「今、どうしてるの? ちっとも話に出てこないけれど、連絡は取ってるの」
オウルは低く笑って、酒瓶をつかみ取り、残っていた液体を一気にのどに流し込んだ。
「魔術師の都で学ぶようになって三年目に、たまたま兄貴と出会ったんだ。大きな商人のパーティで荷物運びみたいな仕事をしていた。俺の顔を見て驚いていたよ。『生きていたのか』と絶句して、事情を話したら、殴られた」
「え、殴られたの」
「喜びのあまり? なんで今まで連絡しなかったんだ、心配したんだぞ的な?」
みんなキョトンとした顔をする。
「そういうわけでもないな」
オウルは首を横に振った。
「兄弟弟子が一緒にいて、止めてくれなかったら殺されるところだったから。俺を売ろうとした商人は魔物に食われて死んだけど、考えてみればそれで借金がなくなるわけでもなかったんだよ」
ため息をついて、空っぽの瓶をさかさまに振った。一、二滴のしずくが杯に落ちただけだった。
「俺を買うはずだったやつが、金を払ったのに商品が届かないって騒ぎだして、なんだかんだあって、村にまた別の商人が来たらしい。その商人は妹を娼館に売ると言って両親を脅しつけたそうだ。母親は絶望して、その夜に妹を絞め殺して自分も首を吊っちまった」
また天井を見上げた。
「たぶん、その梁だろ。ボロ家だから、他に人間の体重を支えられるようなものはないから」
仲間たちもつられて上を見る。
黒っぽい木でできた太い梁が焚き火の明かりに照らされて、彼らの頭上にあった。
「その後、父親もこの家を捨てた。町で働いていた兄貴のところに転がり込んで、最初は一緒に働こうとしたらしいんだが。すっかり酒びたりになっていて、半年もたたないうちに病気になって死んだそうだ。ここで暮らしていたころは、祭りのときにしか酒を飲まない男だったんだがな」
オウルはそう言ってから、ぎごちなく笑った。
「兄貴には縁を切られた。二度と顔を見せるなと言ってた。俺があさはかだったからな、仕方ないよ」
沈黙が落ちる。
誰も何も言わないまま鍋を空にして、新しい酒を瓶が空になるまでみんなで飲んで、最後にロハスが言った。
「あのさあ。うちも似たようなものだし。オウルのせいじゃないよ。でないと、うちの親父が死んだのもオレたち兄弟のせいってことになっちゃうし。姉ちゃんが恋人と結婚できなかったのは、まあ、オレたちが不甲斐なかったからかもだけど」
「うん。オウルが戻って、もう一度売られたって、同じ結果になったかもしれないしね」
ハールーンも言った。
「それでも自分を責める気持ちはわかるよ。僕もそうだし」
顔にかかるやわらかな金髪をかきあげ、砂漠生まれの暗殺者はまっすぐにオウルを見る。
「話してくれてありがとう。僕は、オウルの口から事情が聞けて嬉しかった」
青い瞳を見返してオウルが何か言う前に、ハールーンは糸が切れたようにごろりと床に転がった。そのまま大いびきをかき始める。
「あーあー。弱いくせに飲みすぎるから、ハルちゃん」
ロハスが苦笑して毛布を引っ張り出し、ハールーンの体を覆う。
「そろそろ眠るとするか。オウル君は夜番をしなくてもいい。久しぶりの実家だ、ゆっくりしたいだろう」
バルガスがいつもどおり冷ややかに言って、のっそりと立ち上がる。
「いや」
オウルは言った。
「俺が起きてるよ。……この家じゃ、眠れそうにない」
「そうか。じゃあ私が一緒に夜番をしよう」
ティンラッドが言った。
「この村があったころの話をもっと聞きたい。伝説の剣についてとかな」
「だから、あれは与太話だって」
オウルは辟易した。
「万が一そうじゃなかったとしても、もうどこにあるかなんてわかりゃしねえよ。あきらめろ、船長」
「縁があったらどこかで出会えるかもしれないじゃないか」
ティンラッドは言い張る。オウルは前々から思っていたのだが、この陸に上がった船長はけっこうしつこい。
「わかったよ。覚えていることは話すさ」
降参して彼は言う。
「けど、参考になる話は期待するな。つまらない思い出ばっかりになる。それで良ければ勝手に聞けよ」
それでいいと船長は言った。
他の仲間たちが寝袋にもぐりこんだ横で、オウルは火の晩をしながらぽつりぽつりと思い出したことを話した。ティンラッドは時おりあくびをしながら、どうでも良さそうにそれを聞いていた。