第41話 霊峰のふもと -7-
「俺の話を聞いた師匠は、ここで死んだと思って新しい人生に踏み出せと言ってくれてな。魔術の基礎を教えてくれた。魔術師の都に連れて行って、サルバール師の塔に紹介してくれたのもその人だ。村に戻ればまた売り飛ばされるくらいのことは、そのころの俺にもわかったからな。ありがたい話だと思って真面目に修行したよ」
オウルはまた酒を飲む。普段より量が多い。
「ちょっと待ってください。先ほどから疑問なのですが」
アベルが口を挟んだ。
「身売りされるなどと、どうしてそのような目にオウル殿は遭ったのですか。人間を売買するなど、神殿の戒律で厳しく禁じられていることです。罪のない少年がなぜそんな目に」
「普通にあったじゃない、大神殿の門前町に、奴隷取引所」
アベルの話を、今度はハールーンが遮る。
「僕の姉さまはとても優しい人だから、そういうものを目にするととても悲しい顔をなさっていたけれど。その悲しい顔がまた、たとえようもなく美しいのだけれど。心の美しい人がどれだけ嘆いても、そういう商売はこの世からなくならないものだよね。それで僕の姉さまは」
オウルは『姉さま、姉さま』と連呼する変態の口にイモを突っ込んでだまらせた。単純にうるさい。
「そのような罪深いものは大神殿の近くにはありません。たぶんハールーン殿は、貧しい人に仕事を紹介する口利き屋のことをカン違いなさっているのでしょう」
アベルが不機嫌に言ったが、おそらくハールーンの言葉のほうが正しい。娼婦のことを『高級旅館の従業員』と言っていたように、表向きのきれいごとを真に受けているのだろう、この『元』クサレ神官は。
「普通によくある話だよ。借金が返せなくなったんだ。で、そのカタに売り払われたというか、無理やり連れだされたんだよ。このとおりの田舎暮らしだ、金になるものなんて家畜と人間くらいしかないからな。で、やせたヤギとやせた子供を比べて、俺のほうが売り物になると思われたわけだ」
オウルは言う。
「ほう。ヤギに負けなくて良かったな」
バルガスが珍しく茶々を入れた。表情ひとつ変えなかったせいもあって、まったく面白くなかった。
「しかし、人を売り飛ばさなければ返せないほどの借金とは。どうしたらそんなことになるのです」
アベルはまだ納得できないようだ。
「失礼ながら、このようなのどかな山村であれば俗世とは関わらずに晴耕雨読の生活ができそうなものですが。オウル殿のご家族は、いったいどのような罰当たりなことをしでかしたのです」
本当に失礼きわまりないなとオウルは思った。
「あのな。ここはド田舎だっていうだけで、仙境でもなんでもないんだよ。食っていくくらいのものは確かに、畑や狩りで取れるさ。だがよそから買わなきゃいけないものもいろいろあるんだ。農具や家具、食器や武器。ちょっといい着物が欲しい若い女もいるし、神官や村長なんかの学があるやつは新しい本も欲しがる。ド田舎でも、外とは交流はあるんだよ」
「しかし、であれば手持ちの金銭であがなえるだけの買い物をすればよいのでは。家族を奪われるほどの借金をするというのは人としてどうかと思いますぞ」
「ばくちで身ぐるみはがれたやつに説教されたくないんだが」
オウルもムッとして言い返す。
「アベル。こういう交通の便の悪い村には、だいたい決まった旅回りの商人が来るんだよ」
ロハスが間に入った。
「お金がなくてもある程度の生活ができる分、こういうところの人は町の人間に比べてお金を持っていないんだ。そういうこともあって、商人はだいたい掛け売りをするんだよ。商品を先に渡して、お代は次の収穫のときにもらう。そうすれば次のときにもまた新しい商品を渡して、いつまでも商売を続けていける。自分のナワバリに出来るわけ」
「むむ」
アベルは眉根を寄せた。
「理解しがたいのですが、つまりそれはこの村ではものを買うときは必ず借金をしなくてはならないということでしょうか。それは不道徳なことなのでは」
「アベル。世界中が大神殿と同じじゃないんだよ。商売の取引というものは、土地それぞれの事情に合わせて柔軟に行うべきものなのです」
ロハスは諭すように言うが、隙あらば暴利をむさぼろうとするごうつくばりの商人が偉そうに説法するのは、それもやっぱりどうなのだろうとオウルは思った。
だが、ツッコんでいたら話が進まない。ロハスの説明は間違いではなかった。
「まあ、そういうことだ。じいさんの代からこの村に来ているなじみの商人がいてな。村人はみんな、そいつに借金があった。だけど別にそれで困ったことはなかったんだ。この世に魔物が現れるまではな」