第40話:逃走 -5-
森の奥まった場所にある崩れかけた農場跡にたどり着いたのは、夜明けも近い時間だった。
「遅かったな」
暗がりからバルガスが現れる。
「悪い」
オウルはロハスとハールーンを睨む。
「ケチとバカのせいで遅くなった」
幸運値マイナス二百の男が、手がかりが残された石を『偶然』蹴飛ばしてしまったり。(全員で暗い茂みの中を探した)
ごうつくばりの商人が、珍しい野草を見付けてしまい『掘り出して売り物にする』と言って聞かなかったり。
非常時だというのに無駄に時間がかかったのである。
「アベルは無事か。どうなってる?」
たずねると、バルガスは口許を歪めた。
「残念ながら」
「まさか」
暗い口調にオウルは緊張する。間に合わなかったのか。いや、間に合わなくても無理はないくらいの時間は経っているのだが。
「……死んだのか?」
「いや。ぴんぴんしている」
ツッコむべきかどうか迷ったが、やはりそれは普通に残念なお知らせだと思ったのでオウルは流すことにした。
「相手は何人だ」
ティンラッドは身を低くし、灌木の間から廃屋の様子をうかがう。
「初めはアベル君を入れて五人だったがね」
バルガスは低い声で説明する。
「その後、あちこちから手下らしい者が集まって来た。今は相手方だけで十二人だ。外に七人。弓を構えて辺りを警戒している。戸口に剣を持った者が二人。中の三人は頭領か、それに近い者たちだろう。魔術師や神官崩れらしい者はいない。少々武器が使える盗賊集団というところではないかな」
「大神殿の神官が、そんな怪しげなやつらとつながりがあるのか」
オウルはまだ半信半疑だった。
「別におかしなことではない。神官たちの操る術は、基本的に戦闘向けのものではないからな。我々、塔の魔術師であれば弟子に何人か武闘派を育てておけば良いことだが、大神殿では限りがある。それは想像がつくだろう」
言われてみると、簡単に想像できた。しっかりと武装した筋骨隆々の神官たちが警備する大神殿。
「あー」
間抜けな声を上げてオウルは頭をかいた。駄目だ。根拠はないが、それは駄目だ。
神秘さも神聖さもへったくれもない。どんな敬虔な信者でも、そんな光景を目の当たりにしたら神殿への幻想ががらがらと崩れ去ってしまうのではなかろうか。
「世俗的なものは神殿という場に合わぬのだよ。そして武力をもって自分の属する集団を守るという発想は、非常に世俗的だ。だから神殿が武装しようと思ったらそれなりの背景と理由を用意せねばならない。神殿自警団は魔物時代の到来と、それに伴う治安の悪化を背景に成立した。それでも世間に受け入れられるには『信者による自発的な協力機構』でなくてはならなかった。一歩進んで、神官が武装するようになればそれはもう世俗権力に他ならない。そうすれば人々が大神殿を見る目も変わってしまう」
そうだろうなあ、とオウルは思った。何というか、そういうことをされると『ありがたみが薄れる』のだ。
とはいえ本当のところはアベルのような神官もいれば、ソラベルやエリオスのような者もいる。神官だからと言って聖人ではない。普通の人間だ。(アベルは妖怪なのではないかという疑問についてはこの際、目を瞑ることにした)
自警団のような存在がなくては困ることもあるだろう。具体的には魔物に襲われた場合だ。
そして、自警団すら使えないような用事の場合は……。
「盗賊団か」
オウルは呟いた。
分からないでもないが、出来れば知らないままでいたかった社会の裏事情である。
「珍しい話ではない。むしろ神殿と裏社会のつながりは自警団の設立よりずっと古い。神殿の人間であれば、伝道や悔悛を導くという名目であの手の輩と接触もしやすい」
バルガスは乾いた口調で言った。こちらはさして思うこともなさそうだ。
「そういう話はどうでもいい」
ティンラッドが割り込んできた。
「さっさと戦うぞ。私が飛び込むから、君たちは適当について来なさい」
「待てよ船長」
オウルは仕方なくティンラッドをなだめる。
「アベルが人質になってるんだ。正面から乗り込んでも面倒な事態になる可能性もある。ここはよく考えてだな」
言いながら『そもそもどうして自分たちはアベルを助けに来ているのだろう』と考えてしまい、オウルは虚しい気分になった。
目の前でさらわれたものを見捨てるのは確かに気分が良くない。しかし、だからといってあの神官は苦労して助けなくてはならないほど大切な仲間だっただろうか。
もしかしたら自分はまた、しなくてもいい苦労をわざわざ背負いこんでいるのではないか。そんな気がしてきた。
「アベルは建物の中?」
ハールーンが尋ねた。
「尋問されてるの? それとも拷問?」
なぜか嬉しそうである。
「どちらでもない」
こちらは心なしか残念そうに、バルガスが答えた。仲間内でのアベルの人望が透けて見える気がする。
「そこそこ面白いことにはなっているがね」
肩をすくめる。
「オウル君なら分かるだろう。説明してやれ」
急に振られてオウルはギョッとする。
「何で俺だよ。知らねえよ」
「おや」
バルガスは眉を上げる。
「まさか遠耳の呪文も使えないと言うのではないだろうな。そんな輩が魔術師を名乗るなどおこがましい以外の何物でもないが」
「遠耳……」
オウルはきょとんとした。それなら確かに使える。使えるが。
この術は読んで字のごとく、自分の聴力を強化して離れた場所の音も聴きとれるようにするものだ。魔術としては基本も基本、入門時に術者としての適性があるかを測る試金石のようなものである。身に着けていない魔術師などいない。
しかしオウルがこの呪文のことを忘れていたのにはわけがある。これは簡単だが『使えない』種類の呪文なのだ。闇雲に聴力を強化してしまうので、四方八方の音が全部聞こえてくる。
例えば隣りの部屋の会話を盗み聞こうと思っても、建物中全ての会話や生活音が聞こえてしまうのだ。狙いのものだけ聞き分けることは至難の業である。
だが待てよ、とオウルは思った。聞き分けが難しかったのは、この術を教わったのが街中であったからだ。
見渡す限り森しかないこの場所。言葉を発する者は、自分たちと敵しかいないだろう。
「そうか」
オウルは杖を構えた。頭に描く構築式は単純だ。
「チァンティング」
二音節の言葉で、自分の可聴域が広がっていくのが分かる。
傍にいる仲間たちの声や息遣いはそのままに、離れたものの音や声もすぐ近くにいるように聞こえだす。
泉に葉が落ちる音、木の上で小さな魔物が身を動かす音、どこかの巣穴にそこそこ大きな魔物も身をひそめている。
農場の崩れた塀の傍で見張りの男があくびをしている。別の男は頭領に対する愚痴をひとりでこぼしていた。そして、
『では私の後に続いて唱えてください。教義問答第五章十五節。神の声を聞く者は幸いなり。神の声を聞く者を讃えよ、神の宮に仕える者を讃えよ。其は神により選ばれし者である。……はい、どうぞ』
アベルののん気な声が聞こえて来た。
続けて、
『神の……声……』
『幸い……』
ぼそぼそと復唱する声がする。
『声が小さいですぞ。もう一度!』
『か、神の声を聞くのは……。お頭、何だっけ』
『分からねえよ。あんな長いの、一度で覚えられるか』
『やれやれ、仕方がありませぬなあ。大神殿で教義を学ぶ見習いなら、十に満たぬ子供でもこれくらい復唱してみせますぞ』
アベルは非常に偉そうである。
こいつ確か、十歳より前の記憶はないとか前に言っていなかったか。きっとアベル本人ではなく他の優秀な神官見習いの子供のことなのだろう。そう思ってオウルは納得した。
『畜生、お祈りなんかどうでもいいんだよ』
頭と呼ばれた男の声が高くなる。
『俺たちはただお前の知っていることをしゃべらせたいだけなんだ。祈祷書なんかしまえ。小箱の行方を言うんだよ!』
『ですから私の知っていることをお話しているのですが』
なぜかアベルは冷静である。
『私は神官ですから、皆様にお話しできることは神の教えしかありません。ですのでどんどん参りましょう。夜が明けるまでにこの章を終わらせますぞ。ソラベル様が私を皆様の元にお遣わしになったのは、おそらくこの伝道の使命のため。皆様の魂の救済のため、微力ながら我が力を尽くしましょうぞ』
「オウル、聞こえる? アベルどうなってる?」
横でロハスが聞いた。
「どうなってるって言われても……」
オウルは説明に困った。
アベルのとんちんかんさと話の通じなさが猛威を振るっている。そうとしか言いようがない。
横目でバルガスを睨む。『面白いことになっている』と言ったバルガスは、自分でもあの会話を盗み聞いているのに違いない。しかし説明するのが嫌なのでオウルに丸投げしたのだ。
このパーティには本当にろくなヤツがいない。改めてオウルはそう思った。