第40話:逃走 -2-
ゆっくりついてくるよう仲間に指示して、ハールーンは先に立って進んだ。日没とともに閉ざされた門の周辺には篝火がたかれ、自警団が哨戒に当たっている。
「ここを開けてください」
団員のひとりに近付いたハールーンは丁寧に、しかしはっきりと要求した。
「誰だお前は。顔を見せろ」
自警団員が剣の柄に手をかけ、厳しい声で言う。当然の反応だ。
だが、
「そのような態度を取ると後悔することになりますよ」
ハールーンの口調には静かだが冷然とした威厳がある。太守の血筋がものを言うのだろうか。上からものを言う態度が身についている。
「俗服を纏っておりますが、私たちは神官です。密命を受けて至急、旅立つことになりました。名前は申せません、顔も見せられません。……知ればあなた方に災いが降りかかるでしょうしね」
口許が嘲るように吊り上がる。『そんな笑い方をする神官はいねえ』とオウルは言いたかったが、アベルという例がある以上そのツッコミは意味をなさない。
この世にはどんな可能性も存在し得る。アベルの存在はその体現であるのかもしれない。
「いや、しかし」
自警団員たちはとまどい、互いに顔を見合わせる。
「お言葉だけで門を開けるわけには。せめてどなた様の命なのかだけでも明かしていただけないでしょうか」
口調が丁寧になっている。偉そうな態度に気圧されたようだ。
「大神殿の密命と申しているでしょう。それに横から口を出すとおっしゃるのですか。誉れある神殿自警団の一員のあなた方が?」
ハールーンは呆れ果てたと言わんばかりの声を出した。
「皆様の日々の尽力には私どもも感謝はしております。しかし、それでも皆様は大神殿の敬虔なる信徒であるにすぎない。それについてはお分かりいただけていると思っておりましたが」
ソラベルの言い草からあちこち拾ってきているな、とオウルは思った。歯に衣着せなさすぎる気もするが、要約すればソラベルも同じようなことを言っていた。大神殿の神官というのは基本、俗人を見下しているのだ。それが彼との出会いで理解出来たことである。
だが。
オウルは仲間の背中を見てため息をつく。
傲岸不遜さでなら、ハールーンも負けてはいない。むしろ勝っている。
「そ、その。神官さま」
出まかせを信じ込んでしまったのか、自警団員の腰はますます低くなった。
「もちろん我らも分はわきまえております。卑しい俗人なりに大神殿のため尽くしたいとこうして自警団に身を置いているのでございます」
「当然のことですね。人は神によって生かされているのですから」
ハールーンはますますふんぞり返る。
押しの強さだけでこの場を乗り切ろうとしているらしい。未だかつてこんなひどい城門破りがいただろうか。いてほしくないとオウルは思った。
「しかし我らにもお役目があるのです。夜間に身分を明かさず城門を通ろうとする者を通してはならぬというのは大神殿から申し渡された決まり。いかなる事情がありましょうとも、お言葉だけで門を開いてしまうのはやはり……その、我らが……」
自警団員も食い下がる。それはそうだろうなあと思った。偉そうな態度を取るやつが現れたというだけで門を開いていては、番人の意味がない。ここは役目上、頑張らねばならないところだろう。
なぜか心情的には相手の味方をしたくなってきている。いや、開けてもらわなければ自分たちが困るのだが。
「何と融通の利かない。先ほど、内殿から響き渡ったあの音を聞かなかったというのですか」
ハールーンは声を尖らせた。
「あれを聞いてもなお分からぬのですか。今は火急の時なのですよ」
自分の使った魔術を都合よく話に出されて、オウルは複雑な気分を味わった。自警団員に申し訳ない気持ちになってくる。
「申し訳ありません。そのう、先程の轟音につきましては我らも訝しんでおりましたが。神殿から何の説明もございませんし、あのう」
自警団員たちは困り切った様子である。この偉そうなだけのバカを疑おうというやつはひとりもいないのだろうか。人間というのは権威に弱いものだなあとオウルはわけもなく悲しくなった。
「信頼する自警団の皆さまがこんなにも頑迷かつ愚昧であるとは。情けないことです」
ハールーンはやれやれと首を横に振り、服の中を探った。お前は何様だとオウルは思った。城門破りにここまで罵られる筋合いは、自警団員たちにもないだろう。
そんな感慨は知る由もなく、砂漠から来たニセ神官は懐から出した物を前にかざした。
「仕方ありません。あなた方も神殿に仕える者ならこの意味はご存知でしょうね。これでもまだ、私たちを疑うのですか」
それは、黒く塗られた木の札のようなものだった。目にした途端に自警団員たちの顔色が変わる。
「ま、まさか……。そこまでの事態が起きているのですか」
「分かったら早く門を開けてください。それから、この責任の所在が知りたければ」
「い、いえ。もう十分でございます。お前たち、早く門を開けろ。この方々をお通しするのだ」
「良いですよ。教えて差し上げます」
ハールーンの紅い唇が、帽子の下で妖しく笑う。
「ここで起きたことの意味が知りたければね、ソラベル様にお聞きなさい」
囁き声をかき消すように、重い門扉が開かれた。
「我らが通り過ぎたなら、またしっかりと門を閉めておくように。神官の名を騙って門を開けさせようとする者が来るかもしれません。よく身元を聞き出して、簡単に通してはなりませぬ。今はそれだけのことが起きているのです」
ハールーンは偉そうにそう指示をして、するりと門を出る。仲間たちもそれに続いた。
外に出てしまえば、今夜は月もない。いくらも歩かぬうちに逃亡者たちの姿は夜の闇に紛れた。
「思ったより簡単にいったねえ。最後はやっぱり殺さなきゃダメかなって思ったんだけど」
城門から離れるとハールーンがそう言った。小声だが上機嫌な様子だ。
「ちょっと偉そうに言えば簡単に言うとおりになるんだから、世の中にはダメな人が多いよねえ」
「お前にだけは言われたくないと思うぞ」
オウルは苦々しく返す。こんな他人を舐めくさった男に『ダメな人』扱いされるのは相手が気の毒である。そもそも、世の中にハールーンよりダメな人間はそうそういるものだろうか。それを探す方が難しいのではないだろうか。
「で、どこに向かうんだ。船長」
オウルはティンラッドに顔を向けた。ハールーンが城門を開けさせた種明かしも気になるが、今はアベルの救出が先だ。とても残念な話だが。
「さあ。知らない」
風の匂いを嗅いでいたティンラッドは軽く答えた。オウルは驚く。
「知らないって。アベルの居所が分かったからみんなで行くって、あんたが言ったんじゃねえか」
「居所が分かったとは言っていないぞ。追いかける算段が付いたと言ったんだ」
ティンラッドは肩をすくめてから説明した。
「さっき、盗賊たちが縄を登って防壁を越えたと言っただろう。下りたらちょうど、バルガスが野宿している近くだったんだ。時間がないから蹴飛ばして起こして、アベルがさらわれたから後を追ってくれと頼んだ。それから私は君たちを呼びにいったん大神殿に戻った」
バルガスも気の毒にとオウルは思った。そんな理由(アベルを助ける)で夜中に起こされたら、オウルなら殺意しか湧かない。
それにしても、ロハスが場所代を値切って便利の悪い場所に野宿させたのが吉と出たわけだ。アベルが幸運なのかバルガスが不運なのか、微妙なところだが。
「バルガスのことだから、探せば何か手掛かりを残してくれているだろう」
ティンラッドは明るく言う。
「わざわざ俺たちを呼びに来なくても。そのまま船長と先達で追跡してくれても良かったのによ」
オウルは何だかげんなりした。戦力的には、その二人がそろえば十分だと思う。
ティンラッドが戻って来てくれなかったら、ソラベルの弟子たちを振り切って逃亡することが出来たかどうか分からないのだが。
「人手があった方がいいだろう」
「俺たちに出来ることなんか大してないだろ」
「分からないぞ。誰が役に立つかはその時次第だからな」
と言ってから船長は、
「それにそのまま出発してしまった方がいいと思ったからな。食事は美味かったが、どうもあそこは気に食わなかった。つまらない人しかいない」
不機嫌な顔をした。
そう言えばティンラッドは一貫して大神殿に留まることに不満を漏らしていた。彼もソラベルのきな臭さを感じ取っていたのだろうか。
やり方や感じ方は違っても、ティンラッドもハールーンもソラベルの前で警戒を解いてはいなかった。『大神殿』の名前に安心しきっていた自分は甘かったのだろうか。
……とにかく今はアベルだ。先々のことを考えると怖くなるが、まずは仲間の救出に集中しよう。
軽く頭を振り、オウルは歩き出した。大神殿の威容に背を向けて。