第40話:逃走 -1-
最初にアベルに案内された『近道』を通って内殿を抜け出した。
「まさかこんなことで役に立つとはな」
役に立ってくれない方が良かった。心からそう思う。
初めてこの道を使うハールーンとロハスからは、
「何だよこれ。最悪だよ、最悪の道だよ」
「ていうかこれ、道って言っていいの。ただの斜面じゃん」
と抗議が出たが無視する。神官たちに捕われるよりはマシだと思うしかない。
驚くべきことにティンラッドは、壁の隙間の『道』をどう通ったら良いのか記憶していたようだ。入り組んだ建物の間を迷うことなく進んでいく。ハールーンもこういう場所は得意な様子だ。狭さをものともせず、影のようにすり抜けていく。
苦労したのはオウルとロハスだけだったが、それでも『捕まるよりマシ』と思って無言で耐えた。普通の道に出るとホッとした。
「船長。あんたはさっきもここを通って外に出たのか?」
「そんなわけはないだろう。盗賊たちを追いかけて、そのまま出たぞ。何だか裏口みたいなところの木戸が開いていて見張りもいなかった」
やはり何者かが手引きしていたのか。何者か……おそらくはソラベルが。
「そんな道があったなら、そっちから出たかったよ」
壁の隙間の洗礼を受けたばかりのロハスは不機嫌だ。ティンラッドは『無理じゃないかなあ』とのん気に答える。
「戻ってきた時には、見張りも戻っていたからな。止められて面倒くさかったから、強引に突破したが」
「あんたもかよ。それじゃ盗賊と変わらねえよ」
オウルはため息をついた。話を聞いていると、こうして追われる立場になったことが正しい運命だったような気がしてくる。
「静かに」
ハールーンが低く言った。
「前から人が来る。自警団の巡回かも」
「マズいな」
オウルは舌打ちした。
「穏便にやり過ごせねえか」
防壁の外に出るまでは騒ぎを起こしたくない。
「分かった。僕に任せてくれたら何とかする」
ハールーンが言った。
「みんなは物陰に隠れていて。絶対に声を出したり姿を見せたりしないでね。特に船長」
「殴って黙らせてしまえばいいんじゃないかなあ」
「仲間の足を引っ張るなよ船長。ほら、こっちに来い」
オウルはロハスと協力してティンラッドを路地裏に押し込んだ。
すぐに角を曲がって自警団員の一団が現れる。松明を持った男の後ろに続く人数は五人か六人というところか。
「ああ、自警団員の皆さん。良かった、ここで会えて……!」
ハールーンが高い声を上げた。わざとらしくふらついて敷石に手を突く。
「どうした。君は市民か。誰だ」
「大神殿の神官様から頼まれたのです。必ず自警団の方にお伝えするって……」
体も声も震わせている。器用なもんだなとオウルは呆れた。
「ソラベル様が、ソラベル様が大変なことに……」
「一等神官のソラベル様か?」
戦闘の男がうずくまったハールーンをよく見ようとかがみこむ。
「ならば我らも使いをもらって向かう途中だった。何があったのだ」
どうやらオウルがソラベルをせっついて呼ばせた自警団員であったようである。自分はなぜあんな余計なことをしたのだと、オウルは激しく後悔した。
「お静かに」
ハールーンはわざとらしく辺りを見回した。
「ここでは言えません。もし誰かに聞かれたら大変なことになるのです」
「いったい何があったのだ」
「それは……極秘で……」
声をひそめるが、離れたところから聞いているオウルはハラハラする。既に話のつじつまがあっていない。緊急の使いとして来たはずなのに話は出来ないと言い出すなど、意味が通らなすぎる。自分だったら即座にツッコんでいると思った。設定を煮詰めないで話し始めるからこうなるのだ、反省しろと思う。
「話せないとはどういうわけだ」
やっぱり自警団員にもツッコまれている。
「君は、我々にわけもわからぬまま危険に飛び込めと言うつもりか」
「そういうわけでは」
ちょっとためらう様子(演技)を見せてから、ハールーンは決然とした表情(演技)で顔を上げた。器用なものである。
「分かりました。この路地の奥に僕の家があります、そこで簡単に事情をお話ししましょう。そうしたらすぐにあのお方のところに向かってください。こうしている間にも、ソラベル様に危険が迫っているのです」
迫真の演技で『こちらです。松明は消してください』と言いながら、ハールーンは別の路地に自警団員たちを引き込んだ。
そして、次に出てきた時にはひとりだった。
「はあ。チョロいね。お金も大して持ってなかったよ」
ケロリとしている。
「さ、さっさと行こう」
「盗賊かお前は」
ツッコんでしまってから、本当にそんなようなものだったと気が付いた。こんなことなら自分が呪文を使った方がマシだったかもしれない。どんどん余罪が、それも濡れ衣でない分が増えていっているような気がする。
「何だか実家の商売が潰れた時のことを思い出すよ」
ロハスも暗い顔で言った。
「一度返しきれない負債が出来ると、坂道を転がる雪玉みたいにそれが増えていくんだよね。まさか、あんな思いをまた経験することになるとは。しかもたった一晩の間に」
「その例えはやめてくれ」
ものすごく不吉な気分になる。
「面白いじゃないか。変化があって」
空気を読まない厄ネタ拾いがのんびりと言った。
「常識の外で生きているやつは黙っててくれ。俺たちは今、普通の良識ある人間の会話をしてるんだ」
そう言ってティンラッドを押しのけ、オウルとロハスは一緒にため息をついた。
「さて、どこから出る?」
城壁が近付いてくるとティンラッドは嬉しそうに言う。
「さっき来た時は、城壁の人目の付かない場所に盗賊たちが縄を仕掛けていた。私もそれを使って出入りした。そのままにして来たから多分使えると思うが、君たちも試してみるか?」
「やめてくれよ」
オウルはうんざりして言い、
「無理無理」
とロハスも言った。
田舎の村の魔物避けの柵や生垣とは規模が違う。大神殿を囲む防壁の高さは、二階建ての建物の屋根より高いのだ。
ティンラッドやハールーンはともかく、オウルやロハスの体力ではもたもた登っている間に見つかってしまう。いや、見つかる前に落ちて怪我をする。
「だったらどうする。門を破るか? 私は別に戦っても構わないが」
「だからどうしていつもそんなに戦いたがるんだよ。他の方法は考えられないのかよ」
と言いつつ、オウルも妙案は浮かんでいないのだが。
「堂々と門を出ればいいじゃない」
ハールーンが言った。オウルはそれを疑わしげな眼で眺めた。
「お前な。そう言ってまた、物陰で何かする気だろう。暗殺はほどほどにしてくれ、余罪をこれ以上増やすな」
「失礼だな」
ハールーンは気分を害した顔になる。
「僕だって、殺すより楽な方法がある時はそうするよ。大体の場合は殺した方が楽だけど。けど今回は、そのとっても珍しい場合なんだよ。僕に話を合わせてくれる? あ、やっぱりそこまでは求めないや。黙っていてくれればそれでいい」
それから彼はロハスに帽子を出すように要求した。全員、顔を隠すように目深にかぶらされる。
「俺の外套には頭巾が付いているんだが」
とオウルは主張した。それでずっと顔を隠してきたのだから、今さら装いを変える意味があると思えない。
「馬鹿だね」
とハールーンに言われたのにはかなり傷付いた。バカにバカ扱いされることほど屈辱的なことは、この世になかなかない。
「魔術師っぽく見えないところが大事なんだよ。大神殿で魔術師姿はかなり目立つよ。いないわけじゃないけど、他の町より少ないんだ。そして今は目立たないことが大切。分かる?」
分からないでもないが、立っているだけで(いろいろな意味で)目立つやつにそんな説教をされるのはやはり屈辱的でしかないのだった。
それに帽子で顔を隠した四人組というのも普通に目立つと思う。
「そこは僕が何とかするから。とにかく黙っててよね、特に船長」
たびたび念を押すところを見ると、彼もこういう作戦時の最大の障害については理解している様子である。
「突っ切ってしまえばいいんじゃないかなあ」
「仲間の足を引っ張るなよ船長。ハールーンの作戦が上手くいかなかったら、その時は暴れてくれ」
また同じような会話をする羽目になった。