第39話:襲撃 -5-
ソラベルがもたもたしているので、呼ばれてきたオッソが自警団に向かうまでにかなりの時間がかかってしまった。
今からではとても逃げた賊に追いつけないだろうと思うと、オウルは気が気でない。ティンラッドがいれば十分な気もするが、それでも万一ということもある。
「やれやれ。どうしてこんなことが起こったものやら」
オッソを見送り、ソラベルはため息をついた。
「大神殿に賊が忍び込むなど前代未聞です」
その言葉にオウルは引っかかった。今まで後回しにして来た疑問が、一度に噴き上がって来る。
「そうだ。外門は自警団が守ってるはずだよな。盗賊団が忍び込まないよう旅人たちを検めてもいる」
怪しげな人間は簡単に入り込めないはずなのだ。ハールーンが入り込んでいるがそれはともかくとして。
「なのにどうして、あんなやつらが入り込んだんだ。あいつらいったい、どうやってここまでやって来た?」
「さて。分かりませぬ」
ソラベルは肩をすくめた。
「しかし内殿に簡単に入り込むことは出来ぬはず。もしや何者かが手引きをしたのでは」
「何者かって誰だよ」
「それが分かれば苦労はせぬのだが」
ソラベルの口調が変わったことにオウルは気付いた。青い目が冷たくオウルを見下している。
「私は俗世については詳しくないが。その乏しい経験で思いつくことと言えば、そうだな」
「よそ者の僕たちがあやしいって言いたいわけ?」
冬の砂漠の冷気をまとったような声が、刃のようにソラベルの言葉を遮る。
いつの間にか、ハールーンは一等神官に向かい合うような位置に立っていた。
「初めから答えは見えていたよね。何もかもおかしかったもの。得体のしれない僕たちを歓待してくれたり、豪華な寝室で眠らせてくれたり。格式や手続きを重んじる神殿にしては対応がおかしかったよ」
「え」
オウルはぽかんとしてハールーンの背中を見る。
「何言ってるんだお前。お前だって、ここに泊まることに賛成したじゃねえか」
「僕たちが来た時にはもう話が決まってたでしょ。最初は別に断る理由はないと思ったし」
暗殺者は肩をすくめる。
「その時は、まだこの人に会っていなかったから」
砂漠から来た男は、一等神官をまっすぐに見る。
「僕はあんたの目が気に食わなかった。だからずっと見てた。あれはさ、ネズミが罠にかかるところを観察しているヤツの目だよ」
ソラベルは返事をしなかった。黙ったまま、値踏みをするようにハールーンの整った顔を見る。
「ま、待て待て」
オウルの方が慌てた。
「何でそんなことする必要がある。俺たちが何をしたって言うんだ」
「そうだよ。アベルのお師匠さんだよ」
ロハスも同意する。だがそれはあまり擁護になっていない気がオウルはした。
アベルとの接触が密であることは、彼への好意を意味しない。むしろ逆である。殺意すら抱いていてもおかしくないのだ。自らを振り返ってそう思い、オウルは愕然とした。
「まさか、本当にそうなのか」
殺したい気持ちはよく分かるが、本当に殺さずとも。こんな手を込んだやり方までして。
と思ってから、ソラベルは一度アベルが邪魔になって捨てたのだということに思い当たった。しかし、アベルはのこのこ戻って来てしまったのである。
生まれた村に住んでいた時、畑の作物を狙ってくる山の生き物は退治されていたことを彼は思い起こした。味を覚えると、やつらは繰り返しやって来る。根本的に対処しなくてはダメなのだ。いや、だがそれにしても。
「何でかなんて僕は知らない。でも、殺す理由なんて普通はひとつしかないよね。邪魔だったんだ」
ハールーンは冷たく言う。
「ああ、うん。何かすごく分かるよ」
「分かるな……」
ロハスと一緒にオウルはついうなずいてしまった。それから慌てて立て直す。
「いや待てってば。お前じゃあるまいし、邪魔だからって簡単に殺したりしねえよ」
普通の定義が揺らぐので、あまりそういう言葉は使わないで欲しいと思う。
「え。邪魔だったり目障りだったりしたら殺すよね?」
「お前の基準は世の中の基準じゃねえんだよ。そこは自覚しろよ」
「まあ、理由とか別にどうでもいいや」
ハールーンはあっさり話を打ち切った。
「でも、今の状況が全てを語っている。この神官さんはまんまと僕たちをだましたつもりだったんだろうけど、お生憎だね。僕はだませないよ」
金色の髪が揺れる。
「僕は、似たようなことをずっとやってきたんだからさ」
「ああ」
「そう言えばそうだね」
オウルとロハスはまたうなずいた。
同時にハールーンの言葉に重みが増した気がする。悪だくみとだまし討ちなら、彼は年に似合わず長い経験を持っているのだ。
その言葉が正しかったなら、説明がつくことがひとつはある。
『襲撃者たちは中から侵入している』
ハールーンがそう指摘した時、オウルは真っ先にソラベルと弟子たちの安否を心配した。
客室は宿坊の一番奥に位置している。当然、賊はまず神官たちを襲って、それから自分たちの客室までやって来たのだと思った。
だが蓋を開けてみれば神官たちに被害はなく、襲撃など寝耳に水の様子だ。ならば賊はどうやって神官たちの目を盗み、この奥まった場所までやって来たのか。
どうして客室『だけ』を執拗に狙ったのか。
自慢ではないがこちらは貧乏パーティだ。ロハスがちまちま貯めている小金など、たかが知れた額である。
大神殿に忍び込んでまで奪うようなものではない。金が欲しいなら、ソラベルが収蔵庫にしまいこんでいるという名酒を根こそぎ奪って売り飛ばした方が余程いい稼ぎになるだろう。
僧房を荒らした『ついで』に客室に踏み込んだと思っていたから、おかしいと感じなかった。
だが客室『だけ』が狙われたとなれば、違和感は急速に膨らんでいく。
「あんた、あの時アベルに『返事をしろ』って言ったな」
そして、その答えと同時に襲撃者たちが動いた。窓に向かったと思ったが、あれは『アベルに向かった』のか。
「弟子が心配だったのだ」
ソラベルは悠然と微笑む。
「特におかしなことではあるまい」
「そうだな。おかしくはねえよ。普通ならな」
だからオウルも疑問は感じなかった。しかしこの師弟に、アベルの安否『だけ』を特別に気にかけるような絆があるのかどうか。
(あるとすれば『くたばっていてくれればいいのに』っていう希望くらいだろう)
とオウルは思う。
普通だと思っていたことが、ひとたび疑念を投げかけられると何もかも違って見えてくる。当たり前だ。そもそもアベルが普通ではないのだから。
「わざとあいつをさらわせたのか。最初からそれが狙いだったのか?」
「だったら納得いくこともあるよね」
ハールーンもうなずく。
「戦っていて、ちょっとおかしな感じがしたんだ。いくら僕と船長が道を塞いでるって言っても、あれだけの人数がいれば無理押しすれば部屋を占拠することは出来たはずだ。実際、最後は足止めしきれずアベルをさらわれちゃったんだし」
口調に悔しさが混じる。
「アベルを生きたままさらいたかった。でも僕たちのうち誰がアベルなのか特定できなかった。誰かが名前を呼ぶのを待っていたなら説明はつく」
たまたま誰も呼ばなかったわけなのだが。そしてアベルが起きていれば、神官らしい言葉遣いや所作でそれと知れたかもしれないが。
寝ていて起きなかったのである。
消去法で眠っているやつがアベルではないかと思いつつも、襲撃者たちは確信が持てなかったのではないか。そうオウルは勘ぐった。
あんな状況で図々しく眠り続けている相手が目当ての神官だと、自分だったら信じられるだろうか。いや信じられない。というか信じたくない。
「ひどい疑いだ」
ソラベルは余裕たっぷりに言った。
「アベルは我が愛弟子だ。なぜ賊にさらわせたりなどしようか」
「そういう偽善っぷりがあやしく感じられるんだよ、神官様」
オウルは苦々しく言った。
「あんなクサレ神官は尻を蹴っ飛ばして目の前から追い出したいのが普通だし、実際に一度はそうしたんだろ。取り繕うから信じにくくなるんだ。あんた顔に出るんだよ」
ソラベルが『このまま盗賊に殺されてくれればいいのに』という態度を取っていれば、ハールーンが何と言おうとオウルは彼を疑わなかっただろう。普通の感性を持つ人間なら当然の反応だからだ。
だが一等神官の態度は少し違う。アベルがさらわれて満足そうではあるのだが、自分の視界から消えてくれてホッとしたというのではない。『我がこと為れり』とでも言いたげな表情……ハールーン流に言えば、『ネズミが罠にかかったのを確認してほくそ笑んでいる』とでもいうような表情を浮かべているのだ。
これだけ顔に出てしまう時点でこの神官は小物なわけだが、と思う。
その程度の男だからアベルを押し付けられたもしたのだろう。他の一等神官たちは要領よく逃れたのに違いない。
ソラベルは顔をゆがめて激しく歯ぎしりした。『顔に出る』と言われたのが悔しかったのか。他の人間にも言われたことがあるのだろうか。
それから一等神官は激しく叫んだ。
「お前たち、何をしている。この者たちは大神殿に賊を引き入れた疑いのある狼藉者である。好き放題言わせておくな、すぐに捕らえよ!」
神官たちの間に動揺が走った。
彼らはオウルたちが賊に襲われていたところを目撃している。今のやり取りも全て聞いている。
筋が通らない命令だと、分からなかったはずはない。それでも何人かが腰に付けた苦行用の鞭や棍棒に手を伸ばした。
「全員グルかよ。まるで盗賊のアジトだな」
人に正しさを語る神官たちがこうなのか。オウルは吐き捨てるように言う。
「そんな言い方をしちゃかわいそうだよ」
ハールーンが優しくたしなめるような口調で言った。
「権威と秩序には、みんな弱いんだよ。昨日と今日で急に価値観がひっくり返ったら困るんだ。オウルだって目が覚めた時に天と地がさかさまになってたら困るでしょ?」
「そりゃそうだがよ」
苦々しくオウルは答える。
「例えとしちゃ分かりにくいが、とりあえず上役の命令には従っちまうって話か」
それは分からないでもない。非常に残念な話だが。
賊と対峙していた先程までと、状況が変わっていない。
いや、味方がいないと判明しただけ悪化していると考えるべきか。
「さて」
ハールーンの紅い唇が吊り上がる。
「今度は何人殺せるかな?」
艶やかに笑う。
「おい、神官殺しは重罪だぞ」
オウルは冷や冷やする。ハールーンは肩をすくめた。
「だって、このままだったらどっちにしてもアベル殺しの下手人の一味ってことにされるよ。濡れ衣を着せられるくらいだったら、本当に殺した方が気分が晴れるじゃない」
「待て。ちょっと待て。前半はそうかもしれないが、後半はおかしい」
「残念」
短刀がチャリっと音を立てた。
「向こうが待ってはくれないよ」
神官たちがじりじりと包囲を狭めてくる。その中にはエリオスもいた。
「エリオスさん。あんた、全部見てただろう」
オウルは対話を試みる。エリオスは苦し気に顔を背けた。
「すまん。だが私は……大神殿の三等神官なんだ」
「オウル。無駄だよ」
ハールーンが嗤う。
「神殿の神官っていうのはね、神様じゃなく自分の上にいる神官に従っているものなのさ。僕の父さまが、生きていた頃にそう教えてくれたよ」
ろくな教育をしない親父だなと思った。だからこんな息子が育つのだろう。
やはり戦闘は避けられないのか。だが自分とロハスは役に立たない。ハールーンひとりに、どこまで頼れるか。
額に脂汗がにじむ。その時、
「おーい、君たち」
後ろから間抜けな声がした。ハッと振り返ると、窓の向こうにティンラッドが立っていた。
「アベルを追いかける算段がついたから、急いで支度をしなさいと言いに来たんだが」
対峙している神官と自分たちを、怪訝そうに眺める。
「船長」
「船長……」
ロハスとハールーンの顔にホッとした表情が浮かんだ。
とても認めたくないのだが、オウル自身もその感情を否定できなかった。こんな時にティンラッドののん気な顔を見ると、何やら気が楽になる。腐っても船長、パーティの統率者というところか。
「ケンカか? ケンカだな?」
ティンラッドの目が光った。今にも飛び込んで参加しそうな気配に、オウルはハッとする。
「待った船長。遊んでる場合じゃないだろうがよ」
すぐに杖を神官たちに向け、呪文を叫んだ。
「ソリード・グ・モール!」
基本は慣れた足止めの呪文だ。構築式は一瞬で組み上げられる。
広範囲に適用したため持続時間は落ちるが、少しだけ動かずにいてくれればそれで良い。
「ほら、お前ら。ずらかるぞ」
オウルはロハスとハールーンを引っ張った。こういう時、手荷物一式をロハスが預かってくれているのが本当に助かる。
「何だ、ケンカはしないのか」
窓に近付いてくる仲間たちを見て、ティンラッドは残念そうに言った。
「だから遊んでる場合じゃないだろうって。クサレ神官を追うんだろ」
「そうだなあ。そっちが先だな」
肩を落とす船長を横に、三人は窓をくぐり抜け中庭に出た。
オウルの出した騒音のせいで、深夜にも関わらず辺りは騒がしかった。
「とにかく内殿を出よう。行き先はどこだ」
「うん。とりあえず大神殿の外だな」
「そりゃありがたい」
呟いた。少し前までは客人だったはずだが、去る時には逃亡者となる運命だったようだ。
それならば早くこの場所を離れた方がいい。後のことは、落ち着いてから考えるしかなさそうだった。