第39話:襲撃 -2-
大神殿の夜は更ける。
真夜中を越す前に中庭の灯籠は消された。遅くまで祈りに励む神官たちも、自室に戻り明かりを落とす。夜明けの祈りの時間まで、内殿を闇と静寂が支配する。
その中をかすかな気配が動いていく。押し殺された足音と息遣いが渡り廊下を進んでいく。奥まった場所にある客室の鍵穴にはたっぷり油が差されていて、差し込まれた鍵は音も立てずに回った。黒服と覆面の影がするりと部屋に忍び込む。
「あっ」
途端に悲鳴が上がった。
「こっそり殺るつもりなら、もう少しやり方を考えなよ」
低い笑い声がする。
「人数が多すぎる。静かに殺りたいならひとりか、せいぜい二人で来ないとね。うるさいよ、あんたたち」
寝台の上にあぐらをかいたハールーンは、壷の蓋を開けた。
「ビル、イキ、ユチ、戻れ」
闇の中でしゅるしゅると音がする。気配が三つ、中に吸い込まれた。
「今、噛まれた人は早く手当てした方がいいよ。こいつら、毒があるからね」
形の良い唇の端が吊り上がる。
舌打ちの音がした。続けて剣を抜き放つ音。
だが、その男もすぐに倒れる。喉に短刀が突き立っていた。
「バカじゃない? 間合いになんか入らせないよ」
美しい青年はせせら笑う。
「ああ、それにも毒が塗ってあるから気を付けてね。ひとりで大勢の相手をするんだから当たり前の用心でしょう?」
倒れて動かない仲間と寝台の上の標的を見比べ、侵入者たちが挙動に迷う。獲物であったはずの男は余裕を崩さない。
その時、
「ひとりじゃないぞ」
窓の鎧戸を乱暴に開ける音と共に、朗らかな声がした。
早春の夜気が室内に流れ込む。うっすらとした星明りを背に、長身の影が立っていた。
「え、船長? え……?」
敵も戸惑ったが味方も戸惑った。ティンラッドはにやりと笑う。
「物騒な気配に気付いていたのは君だけじゃないぞ。ひとりじめは良くない。私にも戦わせなさい」
言うなり、彼は空の寝台に飛び乗った。弾力を利用してさらに高く跳ぶ。空中で『新月』を抜き払い、敵の真ん中に飛び込む。着地するかしないかも定かでないうちに、黒い刃が閃いた。たちまち四人が倒された。
「この寝台は弾んでなかなかいいな。君も使ってみなさい、ハールーン」
「いや僕は……寝台は眠る時にだけ使いたい派だから……」
ティンラッドの登場に、ハールーンはすっかり気が抜けている。
その隙に襲撃者は倒れた者たちを廊下に引きずり出し、残った者が武器を構えて陣形を整えた。味方の戦意を削いでどうするのか。オウルが起きていたらツッコんだことだろう。
自分たちを囲む白刃に、ようやくハールーンも表情を引き締め直す。
「部屋の外にもまだいっぱいいるよ。十五人ってところかな。どうする、船長」
「そうか。十五人か」
相手より先にティンラッドが踏み込んだ。突き、薙ぎ、また突く。相手はバタバタと倒れていく。
「そのくらいなら私と君だけで十分だろう。みんなを起こすまでもない」
当たり前の口調に、ずっとひとりで戦ってきた砂漠の暗殺者は目を丸くする。
それから彼は、
「うん。そうだね船長。二人で大丈夫だ」
小さくうなずいて、短刀を握り直した。
狭い室内で、数の多さは必ずしも有利にならない。実際、入り口辺りでティンラッドが戦っているので後方にいる敵は部屋に入って来られないままだ。
ティンラッドにしてみれば入って来る数人を順番に相手して行けばいいだけの話で、起き抜けの運動と変わらない。
魔術師か弓使いか、後方であやしい動きをする者はハールーンが無力化していく。掌を、喉を、眼球を、投げられた短刀が確実に刺し貫く。彼の迅さは敵の攻撃を許さない。
「大したことがないな。久しぶりの戦闘なのに、これじゃあ面白くないぞ」
三分の二を倒したところでティンラッドが退屈そうに言う。
「どうする、船長。全部殺す? それとも捕まえる?」
勝ちが見えてきてハールーンにも余裕が戻った。
「うーん……うるせえ」
その頃になってオウルが目を覚ました。暗闇の中で戦っているティンラッドたちに気付いて驚愕する。
「な、何だこりゃ? 何が起きてるんだ」
「邪魔だから隠れてて!」
「痛ぇっ?!」
ハールーンに寝台の上から突き飛ばされた。
「ここは僕と船長だけで大丈夫だから。と言うか、むしろ二人で頑張りたいからオウルはおとなしくしてて。僕が頑張るところだから、横から出て来られたら迷惑だから」
「邪魔ってそういう意味か、本気で邪魔なのか」
下手に動かれるとちゃんと守れないとかそういうことではなく、純粋に存在が邪魔であるらしい。
「そんな理由でいきなり人を寝台から突き落とすんじゃねえよ、この外道変態」
ぶつけた尻をさすりながら、オウルは文句を言う。
「だが、これって眠ってる場合じゃねえんじゃねえか? ロハスたちも起こさねえと」
「だから、出しゃばって来ないでって言ってるでしょ」
ハールーンが細い眉を吊り上げる。
「その舌、切り落とそうか? 静かにしてもらえない」
「何で俺を脅してるんだよ、意味が分からねえよ。この馬鹿たれ」
味方が増えると自分の見せ場が減るので引っ込んでいろとは、理不尽極まる主張である。
そんな言い合いをしている間に、最後方にいた男がティンラッドに吹き矢を向けた。船長は機敏に避けたが、そのために隙が出来た。廊下に残っていた敵が全て、室内になだれこんでくる。
「あっ。もう、オウルがものわかりが悪いから!」
ハールーンは言い捨てて戦いに戻って行く。
「何で俺のせいだよ」
怒鳴り返したが、暗殺者はもう聞いていない。刃と刃のぶつかる音が高く響く。オウルも内輪もめをしている場合ではないと理解した。
「おい、起きろロハス。俺の杖を返せ」
寝ているロハスと、ついでにアベルを起こそうと揺さぶる。
「うるさいなあ……」
「もう飲めませんぞ……」
「さっさと起きろ! 眠ってる場合じゃねえんだよ!」
なかなか目を覚まさない二人に苛立って、べしべしと頬を叩く。
暗がりの中、血の臭いが濃くなっていく。