第38話:宴の夜 -5-
料理が半分くらい並べ終わったところでソラベルが入って来て、主人の席についた。
「お待たせしました。仕事を片付けるのに時間がかかりましてな。一等神官などに任命されると雑事ばかりが多くて閉口いたします」
わざわざ時間を割いてやったのだ。そう言わんばかりの態度を見せる彼を、オウルは冷たく眺めた。
こういう風に妙に偉ぶる手合いは魔術師の都の古参にもいた。彼個人の感想では、そういう奴に出来る魔術師がいた例はない。
オウルは自分の師であったサルバールを今でも尊敬している。彼は弟子たちや同輩の前で決して偉そうに振る舞わなかった。自死を選ぶ直前まで冗談を言って笑っていたし、他の塔の者から嘲りを受ける弟子たちを気遣う言葉をかけてくれた。それだけに、無残な遺体を発見した時の弟子たちの衝撃は計り知れなかったのだが。
この師匠にしてこの弟子あり。師匠が挨拶をしている間も酒瓶ばかり見ているアベルを眺めてオウルはまた強くそう思った。
「なかなかいい酒がそろっているな。ところでもう飲み始めてもいいか?」
ティンラッドが言ったので、『この船長にしてダメ神官あり』という言葉も思い浮かべてしまった。しかしそれ以上考えると自分にも返って来そうな気がしたので、
「船長。こっちは招かれてる立場なんだよ。少しは遠慮しろ」
代わりにティンラッドを小突いた。
周りはどうあれ、自分だけは常識を持った人間として振る舞おう。それがせめてもの矜持というものである。
「いや。どうぞお気遣いなく」
思いがけない(無礼な)振舞いにソラベルは動揺したようだったが、それでも威厳を取り繕った。
「遠来でお疲れであろうに、つまらぬ話で時間を取りましたな。遠慮なく飲み、お食べください」
鷹揚さを装っているが、それは多分に修辞的な言葉であったのだろうと思う。
だが、このパーティの面々にそんなものは通用しない。
「そうか。ありがたくいただこう」
「船長殿。飲むならこの酒からですぞ。これはソラベル様ご自慢の収蔵品の中でもかなりの高級品。さあ、景気よく開けましょう」
「さすが天下の大神殿。オレ、こんな料理を食べるのも見るのも初めてだよ」
「神殿だから肉や魚抜きの料理しか出ないんじゃないかと心配したんだけど、そうじゃなくて良かったね」
誰も遠慮しない。完全に普段のままだ。オウルは本気で恥ずかしかった。
「普段の神官の食事はもちろんもっと質素ですが、客人は歓待するのが神殿の流儀なのです。で、ございますなソラベル様」
アベルがもっともらしく言う。飲み食いする時は客の立場、偉そうに語る時は大神殿の人間の立場。自分の都合に合わせて二つを気ままに行き来するのはやめてもらいたい。
「……ああ。そうではあるのだが」
序列とか階位などを気にする性格であろうソラベルは、苦り切った表情で答える。
怒鳴りつけないのは客の手前だからなのか、アベルにそれをやっても無駄だと諦めているからなのか。
「ということですのでソラベル様。収蔵庫にまだお隠しになっているとっておきのお酒をいただきたいのですが。テデルグの蒸留酒だの、ソゲンの葡萄酒だの……たくさんあったではないですか」
オウルの知らない酒の銘柄をアベルが口にすると、ソラベルの顔がもっと渋くなった。これだけ露骨にせびられれば無理もないが。
「やめなさいアベル」
「客には最高のもてなしをですぞ、ソラベル様」
「やめなさい」
何とか拒否しようとしている。本当に秘蔵の酒なのだろう、こんな有象無象に供するのは惜しいほどの。
だが、戦いは彼とアベルの一騎打ちではなかった。
「ソゲンの葡萄酒……名品と名高いものですね。砂漠では幻の品と呼ばれ珍重されておりました」
ハールーンがニコニコしながら話に入ってきた。当然、ソラベルがやって来た瞬間から『砂漠の王子様』の仮面をかぶっている。
「そのような物を所有なさっていらっしゃるとは、さすが大神殿の一等神官様ですね。僕たちとは住む世界が違う」
やわらかく微笑む。ソラベルは咳払いした。
「い、いや。全て敬虔な信者からの贈り物でしてな。決して私の個人的な嗜好ではないのですが、ご喜捨してくださった方のお気持ちを無にするわけにもいきません。こういう時に役立てるため保管しているだけなのです」
ハールーンは愛想よくうなずいた。
「分かります。僕の生まれた街でも、神官様は酒の害悪を強く非難なさっておりました」
「ええ。酒は体の健康を害し、心をも蝕むものですからな」
「そうですね。神に仕える方々が口にされるべきものではないですよね」
「まあ、そういうことですな」
ハールーンは静かにうなずいてから、近くにいた神官見習いの方を向いた。
「じゃ、そういうことだからソゲンの葡萄酒を持ってきて。早く。今すぐ」
既に口調が違う。自分の館の小間使いをこき使うような言い方だ。
「え?」
もちろん、見習いは目を丸くした。ソラベルも同様だったが。
しかしそんなことを気にするハールーンではない。
「ほら。一等神官様の収蔵庫にあるんでしょ、早くしてよ」
当然のように急かす。
「そ、その」
見習いは困った顔でソラベルとハールーンを見比べた。
ソラベルが何か言う前に、ハールーンは艶やかに微笑んだ。
「体と心に害悪しかないお酒は、神殿神官様たちにふさわしくないものですからね。僕たち俗人が飲み干して差し上げなきゃ」
こいつは悪魔だとオウルは思った。
言い返すことが出来ないソラベルは、何とも言えない目で砂漠の王子様を睨んでいた。