第38話:宴の夜 -2-
初めは旅の様子を必要以上に詳細に語ったアベルだが、茶菓子を食べ尽くしてしまうと話しぶりが雑になってきた。
「というわけで、気付いたら魔物のいない森にいたのです」
「待ちなさい、経過が分からぬ。どのような道を取ってどうやって進んだのだ。魔物のいない森とは何だ。いったいそれはどこにあるのだ」
「さあ。全て神の恩寵ですな」
ソラベルの疑問は簡単に片付けられた。
「確かにそれは神の恩寵としか言えぬが、しかしそのような場所が存在するには何か理由があったのではないのか」
「神の奇蹟を人が解き明かそうとするのは不遜ではないでしょうか」
それは不遜ではない。ただの怠惰だ。オウルはそう思う。
他の神官の場合は知らないが、アベルの場合は間違いなく考えるのを面倒くさがっているだけである。
しかし神官であるソラベルは、『神』を持ち出されると反論しにくくなるらしい。
「では、その点についてはまた後で聞くとしよう。その後はどうしたのだ」
「そうですな。苦しい旅の果て、そのような場所にたどり着けたのは啓示だと思いました。ここで修行を積み、魂を研ぎ澄ますことが神の示したもうた道なのだと。私が森に隠れ住む賢者として生きることを神はお望みになったのです」
旅が面倒くさくなったのだろう。そうして妖怪生活が始まった。そもそも初めから妖怪であることは置いておいて。
ちなみにここまでの過程で、ソラベルの課した使命は全く果たされていない。オウルたちに出会った時には完全に忘れ果てていた。おそらく旅のかなり初期に、記憶から消去されたのであろう。
「それで」
「はい。いろいろあって船長殿たちと出会い、再び啓示に打たれた私は伝道の旅を再開することにいたしました」
妖怪生活に飽きていただけである。それと、ティンラッドが強いと踏んだのでついて来ようと思ったのだろう。
「彼らと共に様々な街を回り、神の威光を示しましたぞ。そしてこのたびは、報告をいたすべきかと思い戻ってまいりました。戦士の休息というやつですな」
どんな風に神の威光を示したのか。そここそがソラベルの一番聞きたかったことだと思うが、あっさり終わってしまった。オウルでさえ『もうちょっと話すことがあるだろう』と思った。
「もっと詳しく話なさい。ソエルの王に会ったというが、その時のことは」
「国王陛下は良い方でしたな」
アベルは機嫌よくうなずく。
「酒も食事も存分に振る舞ってくださいましたぞ。城は武骨な石造りで泊めていただいた部屋も瀟洒さに欠けましたが、おおむね良いところでした」
これでは泊った宿屋の感想である。オウルもいい加減、ツッコミを我慢するのが辛くなってきた。
「一等神官様よ。こいつはこの世に存在すると認めるのも嫌になるような妖怪だが、あんたの言う『使命』とやらはそこそこ果たそうとしていたぜ」
あくまで『思い出した』後のことだが。
「俺たちが知っている限りでも、ソエルの王都をはじめいくつもの町や村で術を施していた。感謝もまあ、それなりにされていた」
ロハスと組んでお布施も巻き上げていたが。
「あの術……神言が本物だってことは俺たちも知っている。こいつのお粗末な魔力でどれだけ効果が続くのかは知らねえが、短い間でも魔物に怯えずに暮らせるのならそれは悪いことじゃねえと思う」
田舎に行けば行くほどそうだろう。大神殿の奥深くに暮らすソラベルが想像している以上に、あの術の恩恵は大きなものなのだ。
「けど、何でそのために派遣するのがこのクサレ神官なんだよ。天下の大神殿なんだ、もっとマシな人材はいくらでもいるだろう」
というかアベルより使えない人材を探し出すことの方が難しいと思う、普通に考えて。
「世の中を救おうっていうんなら、何でこんなやつを選んだんだ。使命なんか放り捨てて、妖怪生活を一生送ってもおかしくねえ野郎だぞ。そんなことになったら、せっかくの神言が無意味じゃねえか」
実際、そうなるところだったのだ。厄ネタ拾いの船長が、魔物に支配された西の砦に向かおうなどと考えなければ。そして妖怪と闇の魔術師を仲間にしようなどとしなければ。
ティンラッドのもの好きが、たまたまうまく作用してアベルに『使命』を思い出させたのである。
「それはその……あー、あなたは魔術師とおっしゃっていたかな」
答えあぐねてから、ソラベルは初めてオウルに気が付いたように彼を見た。目付きが探るようなものになる。
「地方育ちの魔術師かな、それとも魔術師の都の魔術師であるのかな。都であるなら、どこの塔のご出身かね」
杖を隠していて良かったとオウルは思った。こんなこともあろうかと月桂樹の杖はロハスに預けてある。杖に彫ってある塔ごとの意匠は知識のある者が見れば一目瞭然だ。ソラベルのような高位神官であれば知っている可能性もある。
彼の師であったサルバールは、闇の魔術師であるという汚名を着せられ自死に追い込まれた。
その噂が大神殿まで伝わっていれば、面倒なことになる可能性がある。慣れた杖が手元にないと魔術の行使に支障は出るが、大神殿の真ん中で魔物や盗賊に襲われるわけもない。変な疑いをもたれ、痛くもない腹を探られることになる方が怖い。
「どうでもいいじゃねえかよ」
オウルは出来るだけ無礼な口調で言ってそっぽを向いた。田舎出の魔術師と思ってくれた方がありがたい。
「ふむ。アベルの友人であるのでしたらこれ以上の穿鑿はやめておきましょう」
幸いにもソラベルはまんまとオウルの意図にはまってくれたようである。彼を見る目が賤民を見下すものになった。それは良いのだが、『アベルの友人』と呼ぶのはやめてほしい。これほどの屈辱はない。
「他の者を派遣すべきであった。そう思われるのも無理はない」
ソラベルは穏やかにうなずいた。
「しかしそれには事情があるのです。実は、あの神言はまだ開発途上のものでしてな。魔物の害を取り除くため、神殿の優秀な神官たちが長年かけて苦心の上で編み出したのですが、この辺りでは人々の信心が篤いためか魔物が少ない」
信心は関係ないだろうとオウルは思った。武力を持った自警団が巡回しているからである。そして人口が多く、魔物が出たらそこへ十分な人数を迅速に送り込むことが出来るからだ。
辺境の魔物の害を、信心の薄いせいにされては田舎に住む者はたまらない。
「せっかく編み出した神言に効果があるかどうか、試すことも難しい状況でしたからな。そこで私は、独断でアベルを旅に出したのです。彼は修業不足な部分も多いが、柔軟性に恵まれたと申すべきでしょうか。どんな時でも固定観念に縛られることなく行動できる素質の持ち主ですから、きっと使命を果たしてここへ戻ってくれるだろうと確信していたのです」
慈愛あふれる師匠のような顔をしているが、ついさっき『帰って来てほしくなかった』という気持ちを丸出しにした表情をしていたのをオウルは知っている。今さら取り繕われても虚しい。
それはともかく、ものは言い様だなとオウルは思った。
確かにアベルは柔軟であろう。固定観念にも縛られない。
仲間を守らなくてはならないとか、ひとりで逃げるのは恥であるとか考えることはない。
そんなことに縛られず、仲間を見捨てて躊躇なく逃走する。そして戦闘後に悪びれもせず合流してくる。そういうやつだ。
神言を教え込んでまで追い出したいと思う程度には、彼もアベルのことを分かっているはずである。つまり、迷惑さは十分に承知しているのだ。
その上で今のような言葉を舌に載せるのなら、
(この神官、けっこうなタヌキだ)
と思わざるを得ない。
弟子が甚大な迷惑をかけているに違いない相手に対して、『自分は間違っていないし悪いこともしていないです』と言い切っているのに等しい。アベルの厚顔さは師匠譲りなのではないだろうか。
それに神言の成り立ちについての説明も微妙にあやしい気がする。
いや、ソラベルの話だけを聞けば筋は通っていなくもない。だが、それではバルガスがあの術を行使できたことの説明がつかないのだ。
バルガスの方がよっぽどあやしいと言ってしまえばそれまでだが、いろいろ辻褄が合わなさすぎる。アベルを相手にしている時とは打って変わって余裕の微笑みを浮かべているこの相手を、容易には信用できないとオウルは思った。