第36話:門前町のマドラ -6-
「よくもまた、この街に顔が出せたもんだ」
マドラという女は吐き捨てるような口調で続けた。
「大神殿を追い出されたそうじゃないか。遅かれ早かれそうなるだろうと思っていたけどね。神官服なんか纏って恥ずかしくないのかい。それともソラベル様がお情けで、神官の位だけは剥奪しないでくれたのかい」
「はて。何をおっしゃっているのです」
アベルは怪訝そうに眉をひそめた。
「追い出されたなどと、そんなわけがないではありませんか。私は昔も今も清廉潔白な三等神官ですぞ。何故そのようなでたらめを」
「でたらめなものかい」
マドラは肩をすくめる。
「あんたがいなくなって、あたしもずいぶん探したんだよ。三ゴルって言ったら、こっちだって笑って済ませる額じゃないんだからね。だけどあんたの神殿仲間に聞いても誰も知らないって言うし、追放以外に何があるっていうんだい。そういえば、あの時はガイルンも顔を青くしていたねえ」
「はて」
アベルはまた、首をかしげる。
「ガイルンとはどなたでしたでしょうか」
「あんたの脳みそにはカビでも生えてるのかい」
マドラはアベルを睨みつけた。目尻を強調した化粧のせいで、すさまじい顔つきになった。
「ガイルンって言ったらガイルンだよ、お人好しのガイルンだよ。あんた、ガイルンの人の好いのにつけこんで、さんざんおごらせたり小遣いをたかったり、出所の分からないあやしげな物を売りつけたり、神殿のお偉いさんに怒られた時の言い訳に使ったり好き放題していたじゃないか。あの故物屋のガイルンだよ」
「ああ、あのガイルンですか」
アベルはようやく合点がいったと言うように大きくうなずいた。
「いやあ、彼には本当に世話になりましたな。神殿と俗世、生きる場所は違ってもガイルンは我が真の理解者、心の友でありました。どうして忘れることが出来ましょう」
しみじみと述懐するのだが。
今、『あのガイルンですか』と言っただろう。明らかに忘れてたよな。……とオウルはツッコミたかったが話に割り込むのもどうかと思ってこらえた。幸いマドラが、
「やっぱり忘れてたんじゃないかい。馬鹿の上に薄情と来ているんだから救いようがないね」
と的確にツッコんでくれた。
「それにしても懐かしいですなあ、ガイルン。久々に彼と語り明かしたいものです。相変わらず景気よくやっていますかな、最近はどの辺りで商売をしているのですか」
と返すアベルの顔は、間違いなく相手にたかる気満々だった。そのガイルンという男はアベルの重篤な被害者であったに違いない。
オウルは同情を禁じ得なかった。そして名前に聞き覚えがある気がするのはなぜだろうと思った。
「何を言ってるんだい」
マドラはあきれ果てたというように頭を振った。
「ガイルンはとっくにいなくなったよ。あんたが大神殿から消えた後、ガイルンはずいぶん困った様子だったよ。あっちこっちを回って、あんたの消息をたずね歩いてねえ。そして荷物をまとめて姿をくらましちまったんだよ」
「何と。それはいったいなぜでしょう」
アベルは心から不思議そうな顔をする。マドラは神官を睨んだ。
「あんたのせいだろ。他に考えられないじゃないか。あたしは思ったんだよ。あんたがいよいよ大神殿の宝物か何かに手を出して、ガイルンに売り払ってしまったんだろうってさ。それがバレて追放になったんじゃないのかい。そのせいでガイルンも、手が後ろに回る前に逃げ出すしかなかったんだとばかり思っていたよ」
そうだとしたら大した疫病神である。ガイルンという人物は不幸だったとしか言いようがない。そしてアベルがアベルである以上、マドラの筋書きには十分に信憑性があると言わざるを得ない。
「馬鹿馬鹿しい。どうしてそのようなことを考えたのです」
だがアベルは軽く眉を上げ、きっぱりと否定した。
「そんなことをしたら重罪人ではないですか。追放では済みません、名前と罪状を書いた高札があちこちに掲げられますぞ。大神殿に忠誠を誓った清廉な神官である私が、どうしてそのようなことをいたしましょうか」
「確かに……あんたが清廉かどうかは別として、罪人となれば自警団が黙っちゃいないね」
そう言われてマドラもうなずいた。オウルもそれはそうかと思う。
大神殿あっての自警団の権威だ。神殿に仇為すような者があれば、魔物よりも何よりも率先してそいつを狩るだろう。のこのこ戻って来たアベルを見逃すようなことはするまい。残念な話だが。
マドラの推測が当たっていて、自警団がアベルを捕縛してくれたなら話は簡単だったのに。オウルはつくづくそう思った。
「マドラさんは悲観的ですな。それに少々空想的に過ぎます」
困った人だと言うようにアベルは微笑んだ。困った人はお前だ、とオウルは心でツッコんだ。
「もっと明るく考えないと不幸が来ますぞ。ガイルンはきっと、故郷の親御さんが危篤にでもなったという話を聞いて慌てて出て行ったのでしょう。その際、親友の私に最後に挨拶をしたかったのですが運悪く行き違いになってしまったのです。いやあ残念でしたな、私も古なじみの彼に会っておきたかったのですが、神殿の務めが優先ですからな」
分別ありそうな言い方をしているが、『故郷の親が危篤になった』という想像のどこが明るいのだ。他人の家族だからといって軽く考え過ぎだろう。
「そんな感じじゃなかったけどね。あれは追手がかかるのを心配しているやつの顔だったよ」
マドラはうさんくさげにアベルを見てから、
「で、追放されたんじゃなかったらあんたはどうして姿を消したのさ。金を借りたまま筋を通さずにいなくなったんだ、きちんとした説明をしてもらえないならあたしにも考えがあるよ」
凄みのある表情でそう言った。
大神殿の直下とはいえ、娼館勤めは裏社会に通じる仕事だろう。そこで長いこと飯を食っている女の底知れなさが感じられ、オウルは他人事ながら冷や冷やした。
しかしアベルはやはりアベルである。熟練の戦士でも居住まいを正すだろうマドラの脅迫を完全に聞き流し、
「困った人ですなあマドラさん。私は神官ですぞ。神殿の用事に決まっているではないですか」
偉そうに肩をすくめた。
「ここだけの話ですが、あなたは信頼できる方ですから特別にお教えしましょう。実はソラベル様から直々に重大な使命を仰せつかったのです。世界を巡って神殿の権威を世に知らしめる重大な仕事でしてな」
二度も『重大』と言ったが、その使命を放り出してぶらぶら遊んでいたのは誰だったのかと今ここで問い詰めたい。オウルはその衝動を必死でこらえた。
「馬鹿も休み休み言いな」
マドラは一蹴した。
「あんたがそんな使命を授けられるわけがないだろう。だいたい、あんたがいなくなって一番晴れ晴れした顔をしていたのはソラベル様だよ。爪の先ほども信頼していない弟子に、重大なことなんか任せるものかね」
確かにその通り。それは前々からオウルも疑問に思っていたところであった。
しかしアベルは苦笑いして、
「仕方のない人ですなあ。聞いたのが私でなければ神官への侮辱で罰せられるところですぞ」
悠々と言った。馬鹿のくせにこうやって偉ぶるから余計にイラつくのだとオウルは思った。
「しかし門前町の住人とはいえマドラさんは大神殿外部の方。内情に詳しくないことを責めはいたしますまい。特に私が授かった使命は極秘のものでしたからな。絶対に他言してはならぬとソラベル様から固く戒められた特別な使命ですから、ご存知ないのも無理はありません」
その上からの物言いが心からムカつくのだが、
「絶対に他言してはならないって、それじゃあたしにも言っちゃダメなんじゃないのかい」
マドラのツッコミは今回も的確だった。オウルも横でうなずいてしまう。
その『使命』とやらについては自分たちも飽きるほど聞かされてきたが、他言無用など初耳である。
「おや、そう言われてみればそうですな」
アベルは軽く眉を上げ、
「では、今のは聞かなかったということにしてください」
それだけで全ての問題を片付けようとした。
「やめておくれ。それ、聞いたのがソラベル様にバレたらあたしまでヤバいことになる話じゃないのかい」
マドラが震えあがり、
「そうだ、ふざけんな。だいたいてめえ、旅先でさんざん使命とやらについて吹聴しまくってたじゃねえかよ。ソエルの王様にまで『大神殿の特使です』とかぬけぬけと」
黙っていようと決めていたオウルも、思わず口を出してしまった。
アベルは目を丸くして、
「そうでしたな。今の今まですっかり忘れておりました。今さら東に戻って『聞かなかったことにしてください』と言って回るわけにもいきませんし、まあ良いのではないでしょうか。ソラベル様は寛大な方ですからお許し下さるでしょう」
笑って済ませた。
オウルはがっくりと肩を落とし、マドラはそんな彼を横目で見た。
「魔術師さん。あんた、こいつとつるんでるのかい」
「そういうわけじゃねえが……旅の仲間なのは確かだ。パーティに入れたのはそこのオッサンだ」
女の子たちがいなくなって、退屈そうにあくびをしているティンラッドを指差す。
「そうかい。気の毒にね」
マドラは横目で二人を見比べ、暗い口調で言った。
「その神官は、疫病神以外の何ものでもないよ。あたしもずいぶんと迷惑をかけられたもんさ。あんたたちもすぐに、関わるんじゃなかったと思い知ることだろうよ。ああ、見かけても声なんかかけるんじゃなかった。もうこれ以上、少しだって関りを持ちたくない。ガイルンの二の舞になるのが落ちさね。アベル、もう借金は返さなくていいよ。その代わり、あたしのこともきれいさっぱり忘れておくれ」
「良いのですか。さすがマドラさん、懐の広い素晴らしい女性ですな! あなたのことはこのアベル、一生忘れませんぞ」
「忘れろって言ってるんだよこの馬鹿たれ。人の話を聞きな、出来損ない神官」
マドラはいまいましげにわめいて背中を向け、早足に立ち去って行った。
アベルと関わらない方が良かったことはとっくの昔に思い知っていると、オウルは伝え損なってしまった。