第36話:門前町のマドラ -3-
「あの……まだ何か……?」
しおらしく首をかしげたハールーン。表情だけはまだ猫をかぶっているが、纏う空気の方はだんだん地を出しつつあった。『× 優しげ、儚げ → 〇 威圧的』といった感じで、王子様というより暴君だ。
器用なことしやがるとオウルは思った。
「いやその、衣の魔力がだな」
自警団員は何とか尋問を続けようとしているが、謎の威圧感に阻まれ次の言葉を口に出せないらしい。
助けを求めるように視線をさまよわせる。それがオウルの上で止まった。
あ。頭巾の下でオウルは顔をしかめる。
嫌な予感がする。そしてそれは即座に現実となった。
「そこの魔術師。お前はどうして顔を隠しているのだ。怪しいぞ。理由を言え」
ハールーンに位負けした鬱憤をぶつけるような厳しい口調。完全にとばっちりだ。
どうしてくれると横目で睨むと、
「ああ。彼は師匠に力を封じられているんです」
暗殺者な暴君は笑顔でとんでもないことを言い出した。
「額に描かれた紋章が封印となっているそうなのですが、万一それが他人の目に触れてしまったら恐ろしいことが起きるそうです。だから彼はいつも頭巾を深くかぶって顔を隠しており、仲間の僕たちも一度も顔を見たことがなくて。ね、そうだよね!」
有無を言わさぬ強い語気。めちゃくちゃも程があるとオウルは思ったが、抗議をする前にロハスがその出まかせに乗ってきた。
「そ、そう。そうなんですよ、その通り。オウルの顔に隠された秘密が明かされた時、世界は滅ぶという言い伝えがありまして」
さらにひどくなった。
「ああ、それもあったよね」
ハールーンがうなずく。世界が滅ぶほどの大ごとなのに対応が軽い。
一方、ロハスは重々しく言葉を続けた。
「そう。とにかく恐ろしい顔だから、本当に恐ろしいから、誰も見てはならないのです。人が死にます」
こいつら、まとめて殴ってもいいだろうか。そうオウルは思った。
人の顔だと思って言いたい放題。しかもどんどんわけのわからない設定を足されている。
力の封印をされた魔術師っていったい何なのだとか。
魔力が使えなければ魔術師として何もできないではないかとか。
弟子にそんな封印をするやつは他人にものを教えることに向いていないだろうとか。
世界を滅ぼすほどの力を持った人間がその辺りをウロウロ歩いていていいのかとか。
言い伝えになるって自分はいったいいつから生きているのだとか。
ツッコミたいことは山ほどあるのだが、どこから手を付けたら良いものか。余りにツッコミどころが多すぎて途方に暮れてしまう。
だいたいこの状況で、自分が怒りのままにツッコんでしまって大丈夫なのか。
オウルは芝居は苦手なのだ。このでたらめ放題の作り話がうまくいく可能性があるのか? それすら読み切れない。結局、黙って成り行きを見守るしかなくなる。
「大体そんな感じなので。僕たちはもう行っていいですよね?」
ハールーンの話運びは相変わらず雑である。
笑顔で誤魔化し、威圧で押し切る。力技で切り抜けようとしている魂胆がまる分かりである。
「おい。列もまだ長いんだ、あんまり時間をかけていられないぜ」
悩んでいる自警団員に、同輩が声をかけた。
「しかし……このまま通してしまっていいのかなあ」
「大丈夫だろ」
同輩は安請け合いした。
「本当にヤバいやつらっていうのは、そつがないもんだ。あやしい素振りなんか見せないんだよ。こいつらはただの変なやつらだよ」
ひそひそ話しているつもりらしいが、全部筒抜けである。
おかしなパーティであることは十分に自覚しているが、赤の他人から改めてそう言われてしまうと正直面白くない。放っておけと思う。
「それもそうだな」
最初の自警団員は、悩みつつも妥協に傾いた。
ちょっと待て、本当にそれでいいのか。そう言いたくなるが、尋問を長引かせてもこちらに得はない。(恐ろしいことに相手にも得はない)
オウルは必死でツッコみたい気持ちを抑えた。
「では、大神殿へのしかるべきお布施を納めるように。五人分だ」
「はいはい。こちらに用意してございます」
話が終わりそうだと見て、ロハスが用意しておいたお布施をささっと出す。
いちいち面倒なことだが、巡礼が決まった額の喜捨を払うのは決まりごとのようなものだ。郷に入れば郷に従えである。
「では皆様、おつとめおつかれ様です」
これでようやく解放される。ティンラッドとアベルを押し出すようにして一行は門をくぐり抜けようとした。
しかしその時、
「だがちょっと待て」
厳しい声に呼び止められる。最初の男ではなく、尋問を終わらせるように言った方の男だった。
「な、何でしょう。手続きはもう終わったのでは」
ティンラッドとアベルを背中でぐいぐい押して、出口に近付けようととしながらロハスはあくまで低姿勢で言う。
自警団員はハールーンを見ていた。
「貴様、本当に男か? 先ほどから訝しんでいたのだが、とてもそうは見えないぞ。身分を偽って大神殿の門をくぐるのは罰当たりな所業である。女なら女であるときちんと申告しなさい」
もっともらしく言っているが、よく見れば助平たらしい目つきをしていた。
この不幸引き寄せ体質が、とオウルは舌打ちしたくなった。無駄にきれいな顔をしているからこういう面倒を呼ぶのだ。もうちょっとでうまく通り抜けられそうだったのに。
「……ああ」
ハールーンは得心がいったという様子で微笑んだ。
「よく間違えられるんです。僕は姉にそっくりですから、仕方がないかもしれないですね。僕の姉というのはそれはもう美しくて、天女が間違って人間になってしまったのかと思うくらい美しくて、ため息が出るくらい素晴らしくて」
「ハールーン」
発作が始まったと見て、オウルは低くたしなめた。放っておくと何時間でも同じことをしゃべり続けるから誰かが止めねばならない。
砂漠の変態は軽く肩をすくめ、
「……というわけで僕の姉は本当に本当にこの世の者とは思えないほど美しいのですけれど、僕は男です」
と話を締めくくった。本人以外には論理のつながりが分からないが、終わりのない実の姉賛美を聞かせ続けられるよりはマシなので誰もツッコまなかった。
そのはずだったのだが。
「あー、君の姉さんとやらの話はどうでもいいのだが」
件の自警団員は意外にしつこかった。
「とにかくお前が本当に男かどうか、きちんと証拠を見ないと納得できんなあ。その野暮ったい衣をまとったままでは男とも女ともつかないからな」
いい加減に、こんな気色の悪い変態に気色の悪い目を向けるのをやめろ。
オウルは本気でイライラしたが、ハールーンは薄ら笑いを浮かべただけだった。
「困りましたね。証拠と言われましても」
女扱いされたハールーンが怒って暴れ出すのではないか。そう思ってオウルはヒヤヒヤする。
それだけではない。この助平な自警団員は脱げと言い出しかねない様子だが、暗殺者の上衣の中には驚くほどの数の短剣が隠されているのだ。
あれを見られたら言い訳は不可能だ。どう見ても堅気の装備ではないのだから。
だがオウルの心配をよそに、ハールーンはためらいなく借り物の長衣に手をやった。
妙になまめかしい仕草で、ふわりと肩まではねのける。中に着ている色鮮やかな刺繍付きの胴着が露わになる。
白い指が留め具をひとつずつはずして前を開くと、薄い下着を付けただけの細身の体がさらされた。
隠し短剣は、影も形もなかった。
「何だ、本当に男なのか」
自警団員はガッカリしたように言った。ハールーンはにっこり笑う。
「では、これでもう本当に問題ないですね」
ため息とともに『さっさと行け』と言われた一行は、素早くその場から立ち去った。