第35話:神殿自警団 -4-
アルカはごく平凡な落ち着いた田舎町だった。表通りに『赤いタライ亭』というこぎれいな宿屋があり、普通に営業していた。
「やっぱり大神殿のお膝元だよなあ」
改めてオウルは感心する。
「ソエルだったら、こんな小さな町の宿屋は潰れちまってるぜ」
「けどさあ、バルガスさんが言ってた宿屋の名前と違うよ」
ロハスはとまどった様子だ。
「あそこの人に聞いてみよう。あのー、ちょっとすみません。『三ツ池亭』って宿を探してるんですが」
その名前を聞いた途端、通りかかった農夫の目付きは明らかに冷ややかになった。それなら裏通りを少し行ったところだと教えてくれたが、
「長居しねえでくれよ。ここは真っ当な町なんだ。……あの店以外はな」
吐き捨てるように言ってそそくさと去ってしまう。
「うわあ、何だか露骨に避けられたんだけど」
「どんな種類の店だか行かなくても分かるな」
オウルはげんなりした。
寂れた裏通りを進み、町の端までたどり着く。離れたところにポツンと建物が見えた。それがくだんの宿屋であるらしい。
三ツ池の名の由来らしい濁った池の傍を進む。宿屋に近付くと、扉が開いて中から数人の男たちが転げ出て来た。
「や、ヤバいぜ逃げろ」
体のあちこちに手傷を負った彼らは、こけつまろびつ走り出す。
「邪魔だ、どけ!」
オウルとロハスは乱暴に押しのけられた。アベルは危険をいち早く察知し、要領よくティンラッドの後ろに隠れていた。
「乱暴なやつらですな。この神官服が見えないのでしょうか、嘆かわしい」
「だが足は速いぞ、もうあんなところまで行ってしまった」
後ろ姿を見送ったティンラッドはのんびり言う。
「嫌な予感しかしねえな」
肩につけられた血をぬぐいながらオウルは呟いた。だいたい予想はしていたが、あまりタチの良い店ではなさそうだ。
「船長、先に入ってよ。オウルとアベルはその次ね。オレは一番後ろ」
自分だけ少しでも安全圏に逃れようとするロハス。
「何をおっしゃるのです、ロハス殿。大神殿の特使たる私こそが一番最後であるべき」
「アベルは逃げ足が早いんだから、むしろ一番前でもいいじゃん」
醜い押し付け合いだった。
「おい、君たちいいか。もう入るぞ」
ティンラッドは呆れたように言って無造作に宿の戸を開ける。
血の臭いがした。
酒場の床は血まみれだった。数人の男がぐったりと横たわっている。切り落とされた手首や指が散らばっているのを見てオウルは吐き気がした。
ひときわ大柄で人相の悪い男が床に横たわっている。その上に馬乗りになった明るい金髪の若い男が、短刀を構えたまま振り返った。
「あ、船長。みんな。遅かったね」
ハールーンは明るく言って、赤く濡れた刃を男の眼球に近付ける。
「ちょっと待って。今、殺っちゃうから」
「殺るな」
オウルはうんざりして言った。
「何をやってるんだお前は」
「だって、この人たちがさあ。昼間から僕に絡んできた上に、博打に誘ってイカサマでお金を巻き上げようとしてきたんだよ。だから悪いことをする手は切り飛ばしてあげたんだけど」
ヤバそうな店のヤバそうな客たちの中でも一番ヤバいのが自分の仲間だった。その事実に何よりもうんざりした。
「ここはそういう種類の店なのか」
ティンラッドは血まみれの床も気にせずにずかずかと中に入っていく。転がっていた椅子を立て直して腰掛けた。
「店の人はいないのか? 何か飲み物をくれ」
慣れている。全然動じていない。
「良いですな。私にもお酒をください」
そして神官がサッと便乗した。さっきまで怖じ気づいていたくせに、酒の話が出たとたんにこの惨状が見えなくなったらしい。
「先達はどこに行ったんだよ」
こういう行動をさせないための目付け役ではないのか。そう思って姿を探したが、闇の魔術師の影はない。
「僕が絡まれてるのに、見捨てて客室に行っちゃったよ。ひどいよね」
短刀を構えたままでハールーンはむくれるが、ひどい目に遭ったのは彼ではなく他の客たちの方だ。自業自得と言えばその通りなのだが。
「とにかくその人の上から降りろ」
落ちていた腕や指を仕方なく拾い集めながら、オウルは言った。
「えー、ヤダよ。仕返ししないと気が済まない」
「これだけやれば十分だろうが」
「オウルはいなかったからそう言うけどさ。僕がこいつらに何を言われたと思う? 金が足らないなら代わりに……」
「言わなくていい。だいたい分かる」
オウルはため息をついて、ハールーンを大男の上から突き落とした。
この手の輩の言いそうなことは決まっている。ハールーンのように無駄にきれいな顔をしていればなおさらだ。
「ひどいよオウル。僕の傷ついた心はどうやっても癒されないんだよ」
「どうせ乱暴狼藉働いた上に、財布も抜き取ってるんだろうが」
「当たり前だよ。でも大して持ってなかった」
「それで満足しろ」
オウルは拾い集めた肉片を手ぬぐいに包んで、簡単な魔術をかけてから震えあがっている大男に押し付ける。
「ほら。これを持って、他のやつらも連れてさっさと失せろ。急いで神殿に行って治療してもらえばまだくっつく。次から相手をよく見て絡め」
何で自分がこんな悪役みたいな言葉を口にしなくてはならないのか。ものすごく疑問だが、子供みたいに口をとがらせている彼の仲間は間違いなくとんでもない悪人なのでどうしようもない。
大男は情けなくひいひい言いながら転がっている仲間たちを連れて逃げ出していった。
その頃になってようやく、どこからともなく店の主人らしい男が現れる。
「へへっ、どうも……ガラの悪い方々を追い払っていただいてありがとうございやす。これは店からのお礼ってことで」
へこへこしながら安酒を差し出してきた。間違いなく盗賊団の一味か何かだと思われている。無理もないが。
それでも平然と対応しているこの店主も、ろくな商売をしていないに違いない。
「安い酒だね。こんなの要らない」
ハールーンは不機嫌に杯を突き返した。
「あっ、私はいただきたいですぞ」
アベルがあわてて手を伸ばす。ハールーンは冷たい目を向けた。
「バカだな神官さんは。こういう時は、一番いい酒を出させるものでしょ」
「な、なるほど。さすがハールーン殿、えげつないですぞ」
「しかし、これじゃ掃除も大変じゃないのか」
ティンラッドは周りを見回した。
「ま、商売ですからね。店の者にやらせまさあ」
亭主は頓着しない。
「どうしようオウル。ここ、マジもんのヤバい店だよ」
ロハスがこそこそ耳打ちしてくる。
「オレ、聞いたことがあるよ。大神殿の周りは自警団の警備が厳しいけど、それでも表通りを歩けないようなやつらが出入りする宿屋や酒場がいくつか、こっそり領内にもあるんだってさ」
「ああ。そういう噂なら俺も聞いたことがある」
オウルは暗い表情で答えた。
「だからこそ面倒に巻き込まれたくなかったら、多少宿代が高くても表通りのちゃんとした宿屋に泊まれってのが鉄則だよな」
だがここは明らかに面倒ごとしかない側の宿屋だ。善良な旅人は避けて通らなくてはならない場所だ。
なのに、
「ハールーン。さっきのやつらから奪った金というのはこの人に渡したらどうだ。君だってここを散らかしたんだろう、お詫びはした方がいいぞ」
うっかり料理をひっくり返しでもしたくらいの対応を助言する船長。
「ヤダ。大したことない額だからなくなっちゃうし、この人があんなやつらを客にしてるからいけないんだよ」
ケチくさい本性をむき出しにする暗殺者。
「私はお酒がいただけるなら何でもいいですぞ」
ちゃっかりそちら側に混じっているオクレ妖怪。
こいつらはどうしてこんな怪しい宿屋に馴染んでいるのだ。馴染みすぎていて愕然とする域である。
再三ティンラッドに促され、
「仕方ないなあ」
ハールーンはため息をついて、血に汚れた財布を店主に向かって投げた。
「はい、掃除代。もうちょっといい酒をおごってよね」
「それはもちろん」
店主はニヤリと笑って、それを懐に収めた。
「ハマり過ぎてて怖いよお前」
オウルは辟易とした。ハールーンは首をかしげる。
「何が。僕はいつも通りだと思うけど?」
そう言えばそうだった。ハールーンの七割はバカ成分で出来ているので忘れがちになるが、この男は元々こういう人間だった。
善良で平凡な魔術師だったはずの自分の人生。それが坂道を転げ落ちるように変わっていく。全部こいつらのせいだ、と店主から酒を受け取って飲み始めた三人をオウルは黙って睨む。
横を見ると、ロハスも同じ顔をしていた。