第34話:うちの姉ちゃん -7-
「覚えがありませんな」
翌朝、納屋から起き出して来たアベルは、小箱を見て即答した。
「私の持ち物ではありません。人違いでしょう」
「そんなこと言われても」
ロハスは困惑した表情になる。
「本当に覚えがない? 忘れてるだけじゃない? ガイルンって人に心当たりは?」
「ないですな。だいたい失礼ですぞ、私は使命を授かって大神殿から旅立った三等神官。それを神殿を追放される不届き者と勘違いするとは」
とりつくしまもない。
「やっぱり人違い……というかアベル違いみたいだね」
直接受け取ったハールーンはどうでも良さそうである。責任感というものを生まれつき持っていないのだろうとオウルは思った。
「困ったなあ。どうしよう、これ」
ロハスの方は困り顔なので、多少は人の心がある様子である。
「いいじゃない。渡した方が悪いんだよ、もらっておけば?」
やはりハールーンに人の心はないようだ。
「そもそも私はこの街に来たのは初めてなのです。ここに知り合いがいるはずはありませんな」
「そういえばアベルってどこの生まれの人なの?」
ハールーンが首をかしげる。
「ロハスはタイザの街、オウルもこの近くなんでしょ? 船長は南の海辺って言ってたしバルガスはソエルだって聞いた。僕は砂漠の生まれだけど、アベルだけ知らない」
「妖怪の国じゃねえのか」
オウルは投げやりに口をはさんだ。心底どうでもいい。
「オウル殿は失礼ですな。そんなはずはないでしょう」
アベルは気取って襟元を整える。
「私は六歳の時から大神殿に預けられて、ずっと修行をして育ちました。生粋の大神殿育ちですな」
「その前は。親はどこの出なのさ」
ハールーンが追及すると、
「さあ。知りませんな」
きっぱりした口調で曖昧な答えが返ってきた。
「知らねえってどういうことだよ。自分のことだろう」
ついオウルもツッコんでしまう。
「知らないものは知らないですから仕方ないでしょう。私の両親は西方から来た巡礼者で、天に功徳を積むようにと一人息子の私を神殿に差し出したのだそうです。そういう人間は時々おりまして、幼い頃から大神殿に使える者の多くはそうですな」
「それにしたって、自分で覚えてないのかよ。神殿に来る前はどこで親と暮らしてたとか、少しくらい」
「覚えておりませんな。六歳以前の記憶ですぞ。そんなもの覚えている人がいるのですか」
聞き返された。
「私の最初の記憶は十歳の時です。学習の時間をさぼって虫取りに行ったのを、師範である神官に見つかってしこたま怒られた時のものですな」
とても修行に励んで成長した敬虔な神官の記憶には聞こえなかった。
それを皮切りに、
「オレは五歳の時に親父に怒られて内海に蹴り込まれたのを覚えてる。オニスさんが助けてくれた」
「僕は姉さまが七歳の誕生日にとてもきれいな赤い服を着て式典をやっていたのを覚えているよ。母様の膝の上から見ていたんだ。その頃から姉さまは誰よりもきれいだったよ」
どうでもいい思い出大会が始まる。
オウルも普通に五歳より前の記憶はあるが、本題はそこではない。
「それじゃ両親のことも故郷のことも何も覚えていないのか」
「神の住み家こそが我が故郷ですから」
と恭しく言うところはまるでまともな神官のようである。
だが続けて、
「実は大神殿に預けられて二年くらい経った時、指導してくれていた神官が両親と連絡を取ろうとしたらしいのですが。出身地だと記されていた街には両親も、二人を知る人もいなかったそうで」
と言われてオウルはどこからツッコんでいいのか分からなくなった。
「言葉遣いからして西方のどこかだということは確かだろうと、上級の神官たちは言っていましたな。私の出身について申し上げられることはそのくらいです」
まったく気にしていない様子でアベルは話を締めくくったが、オウルは逆に気になってしまった。
アベルの出自とか今まで気にしていなかった、というか気にする価値もないことだと思っていたというのに。
出身地や名前を偽って神殿に子供を置いて行く。それは単なる捨て子ではないのだろうか。いや、それ以前にその『両親』は本当に両親だったのだろうか。両親だったとして、まともな人間であったのだろうか。
だいたい大神殿の神官はどうしてアベルの両親に連絡を取ろうと思ったのか。アベルに手を焼いて突き返したかったのではないだろうか。
……想像が勝手に膨らんだが、子供を神殿に押し付けて姿をくらましたというだけでその『両親』は余程のわけありか、ろくでもない人間かの二択だ。
ということに思い当たって、オウルはそれ以上考えるのをやめた。
そして『アベルの両親』という時点で高確率で後者であろうということについては、気付かなかったことにして忘れる。
それから本題はアベルの出自ですらなく、ハールーンが押し付けられた小箱のことだったとようやく気付いた。
「市場に行ってみるか」
オウルはため息をついた。
「返せるものなら返した方が気が楽だろ」
「そうだね。あの人、喜んでたから申し訳ないけど」
ロハスもため息をついた。
面倒くさがるハールーンも連れて三人で市場をウロウロしたが、それらしい人間は見つからなかった。
出店の人間にも聞いてみる。例の男は土地の人間ではなく、数週間前にどこかから流れて来た者らしい。
顔も見せずまともな宿に泊まることもなく、どうやって食べ物を手に入れていたのかも誰にも分からなかった。
ただ市場の裏通りに潜み、旅人とみれば声をかけていたようではある。
「あやしいなあ」
オウルは眉間にしわを寄せた。
「何でそんな奴からあやしい物を受け取っちまうんだ、このバカども」
「無理やり押し付けられたんだよ。僕のせいじゃない」
「隙があるからそうなるんだ」
「でもすごいよね」
ロハスが何かを諦めたような表情で言った。
「アベルに関わると、人違いでさえこんなにアヤシイ話になっちゃうんだから。もう才能じゃない? これ」
そんな才能、何の役に立つのかとオウルは思った。ハールーンの自動魔物引き寄せ機能と同じく、ない方がマシである。
それからアベルのあやしい個性とハールーンの不幸引き寄せ体質が合体した結果、この事態が起こったのだと気が付いて暗い気分になった。あの小箱は浮浪者にでもやって忘れてしまった方がいいのかもしれない。そんな風にも思ったが。
(万一、大切な物だったりしたらそうするわけにもいかないよなあ)
と思ってしまう自分の人の好さを、オウルはつくづく呪わずにいられなかった。