第34話:うちの姉ちゃん -4-
翌朝の朝食は粛々と進んだ。パンがやけに薄切りだったことを除けば、前夜よりもましな食事だったとオウルは思うことにした。
量が少ないとか文句を言うべきではないだろう。言っても無駄だし。
食後は約束した労働を速やかに終わらせるよう、女主人から厳命が下る。オウルは仕方なく風呂場のカビ取りから手を付けることにした。
「おい。俺が仕事をしている間、アベルとハールーンを野放しにするなよ」
ロハスに声をかけておくと、
「ハルちゃんなら着飾らせられて姉ちゃんに連れていかれた」
と返事が来る。
「この街の奥様方の集まりに連れて行くんだって。その間、オレは子守だよ」
姪を抱っこしている。
「ロハスおじちゃま、はやくおひめさまごっこして」
「分かった分かった。ちょっと待って」
ロハスもロハスで忙しそうである。
しかしそういうことならハールーンの方は大丈夫だろうとオウルは思った。
怠惰でワガママで変態でケチでカビの国の住人のハールーンだが、女性の前では気取った王子様に変貌する。女性に囲まれている間はそんなに常識外れの言動はしないだろう。
「じゃあ問題はアベルだけか。おい先達、アベルをひとりで出かけさせるなよ」
退屈そうにこの家の蔵書を眺めていたバルガスが無表情に振り向く。
「アベル君ならさっき船長と出て行った。港に行くと言っていたが」
微妙な組み合わせだ。しかし港に行ったならアンガスの船を襲撃するか、近くの酒場で酔いどれているアンガスに合流するかのどちらかだろう。
「それなら何とかなるか」
何かやらかしても、酒の上のことだと誤魔化せる可能性はある。
オウルはうなずいて、請け負うことになった仕事に集中することにした。
ハールーンは女性に囲まれて退屈な午前中を過ごした。
オウルの評価はともかくとして、彼自身は自分をごく常識的で知性も理性もある男だと考えている。真実がどちらであるかは別の話だが。
(ロハスの姉さんだし、宿代の代わりにってみんな働いてるし、僕も何かしなきゃいけないかなって思ってついてきたけど。退屈……)
集まっている女性の中ではリリアが一番若い。ハールーンの目には老婆同然と映る女性まで様々な年齢の者がいる。
口にされるのは、ハールーンには分からない地元の噂話ばかり。面白いわけもない。
(男ばかりに囲まれているよりは女性に囲まれている方がマシだけど。こいつらみんな、僕の美しくて優しくて知的で優雅で素晴らしい姉さまとは比べ物にならない頭の悪いブスばっかりだし。ホントに退屈……)
ひどい感想である。そして頭の中でも『姉さま語り』が無駄に長い。
「それにしても」
年配の女性の一人がハールーンにねっとりとした視線を向ける。キモチワルイとハールーンは思った。
「いつもは女性ばかりの会ですけれど、こうやって見目麗しいお客様をお迎えすると席が華やいでいいわあ。リリアさんは素敵な方ね、こんなびっくりする贈り物を私たちに用意してくださるなんて」
もの扱いか、とハールーンは冷めた目をその女に向ける。そして、
「図々しく押しかけてしまってごめんなさい。美しい皆さまが集う会だとうかがって、ぜひ出席したいと思ってリリアさんにお願いしてしまったんです。辛い旅の後でこんな素晴らしい時間を過ごせて僕は幸せ者です」
と心にもない言葉を作り笑顔で口にした。
無害な人間を装うのには慣れている。故郷の街が滅んだ後は、姉の後ろに隠れて何も出来ない無力な弟のふりをし続けた。
そうやって訪れる人間たちを観察して値踏みした。危険な相手かそうでない相手か。操るべきか殺すべきか。姉と自分の小さな世界を守る為に必死で考え続けた。
何年も何年も何年もそんな時間を過ごして、判断に困ったのは最後に出会ったあのパーティだけだった……。
「おほほほほほ。弟のお友達なんですの。ぜひ皆様にご紹介しなくちゃと思って、おほほほほほ」
やたらに笑っているリリアは、この場所に自分の地盤を築こうと必死なのだろう。
こういう狭い場所での人間関係には明確な序列がある。それは年齢だったり、生まれた家や婚家の勢力の大小だったり、本人の性格や能力だったり、いろいろなものが絡み合って築かれていくものだ。
後からその中に入って来るものは自然に、あるいはリリアのように意図してその勢力図に割り込んで、居場所を新たに築かなくてはならない。
自分もあの街で、そうやって後継ぎとしての地位を築いていくはずだった。あんなことさえ起きなければ。
辛い記憶に無理やり蓋をして、ハールーンは目の前の事柄だけに意識を集中しようとする。
(……ロハスの姉さんは美人と言えないこともないんだけど。性格がロハスにそっくりで、貧乏くさいんだよね)
それでもここにいる他の女どもよりはマシだけど、と頭の中で失礼な論評をする。
(別れる前に姉さまは、外の世界に出て素敵な人と出会いなさいっておっしゃった。でも無理だよ姉さま。あなたほど美しくて優しくて素晴らしい人はどこにもいないんだもの。みんなは僕のことを変態って言うけどさ、仕方ないじゃない。だって姉さまはまるで天女のような人なんだもの)
本人はそれを『当然の真理』と信じて疑わない。変態のゆえんである。
(退屈しのぎの相手になりそうな女の一人でもいればいいと思って来たけど、ハズレだし。ああ、ホントにつまんない……)
「おほほほほほ! あのみんなの顔ったら。無理もないわね、こんなキレイな子を見たことなんてないでしょうから!」
午前いっぱいのお茶会を終えて、家に帰って来たリリアは上機嫌だった。
ハールーンを連れて行ったことは彼女にとって上々の成果だった様子である。ついでにオウルの尽力で風呂場もきれいになっていたので、更に機嫌が良い。
自分のことを『顔がきれいなお人形』としか見ていないリリアの態度には腹が立つ。しかしそれを隠さない裏表のなさと計算ずくだけの人間性は、ハールーンにとってある意味つきあいやすくもあった。
彼が一番苦手なのは、本気になって自分の愛情を押し付けてくる女性である。
今のところ姉以外の女性に価値を見い出せないハールーンにとって、そういう女性はただうっとうしいだけなのだった。
「おかあさま、おちゃかいたのしかった?」
膝の上でたずねる娘にリリアはうなずく。
「楽しかったわよ。セリアはどうだった? ロハス叔父ちゃまは遊んでくれたのかしら」
「あそんでくれた。おもしろかった」
「良かったわねえ。何をして遊んだの?」
「おひめさまごっこ」
午前中いっぱいを姪に振り回されて過ごしたロハスは、ハールーンと同じくらい消耗していた。ちなみに午前中いっぱいをカビと戦って過ごしたオウルはもっと消耗していた。
ティンラッドとアベルはまだ帰ってこない。涼しい顔なのはバルガス一人だ。
「午後は天窓の掃除とかまどの修理だ。おい、誰か手伝えよ」
「いや、オレたち呪文とか使えないし」
「すまんが、私も召喚と壊す方専門でね。オウル君のように器用な呪文は生憎と知らん」
「天窓掃除に魔力とか使わねえよ! 肉体労働なんだから手伝えるだろ」
「ああゴメン、僕は育ちがいいからそういう下等な仕事はちょっと」
誰も手伝う気はなさそうである。
「カビの国のカビ王子に手伝ってもらうつもりはねえよ。お前が使えねえのはもうよく分かった」
リリアと対照的に不機嫌なオウルはそう毒づいた。
「どうせ屋根の上で汚れた水をぶちまけるとか、天窓を突き破るとか、迷惑になることしかしねえんだ。幸運値マイナス二百のヤツに何もしていただこうとは思いませんよ」
「何それ。使えなくないよ、失礼だな」
当たり散らされてハールーンはムッとする。
「ただちょっと僕に向いてない仕事なだけで」
「じゃあ何にだったら向いているんだよ」
「まあまあまあ。疲れてるのは分かるけど、オウルもそうとんがらないで」
ロハスが仲裁に入った。
「ハルちゃんにだって向いてることはたくさんあるよ。人を騙したりとか脅したりとか後ろから刺したりとか」
「まともなことが一つもねえじゃねえか」
「ないよりマシだよ。あ、あと高額な商品を安く値切り倒したりとか、そんなでもない商品を高く売りつけたりとか」
「やっぱりまともなことが一つもねえよ!」
「おかあさま、おじちゃまたちなんのおはなししてるの?」
「子供は分からなくていいことよ」
「けんかはだめだよね?」
「ダメよねえ」
のん気に語り合う母子。ロハスのきわどい発言をそれで済ますのもどうなのかとオウルは思ったが、リリアに常識を期待しても仕方がないのだろう。
ティンラッドが帰ってきたら少しでも早くこの街を出ようと提案しよう。
そう決心した。