第34話:うちの姉ちゃん -3-
夕食は、パンと葡萄酒と水っぽい煮込みものだった。
「リリアこれ……少し味が薄くないかな」
客に気兼ねするように遠慮がちに尋ねる夫に妻は、
「そうですか? いつも通りの味付けですよ」
ときっぱり言い切った。
いやこれ、三人分だったものを水で薄めて無理やり九人分にしてるよな。
オウルはほとんどお湯の味しかしないそれを口にしながら思った。
発想が完全にロハスである。この姉弟が育った家庭はどんなものだったのだろうかと考えかけて、すぐにやめた。馬鹿馬鹿しいだけだ。
「おかあさま、これおいしくないよ」
子供ゆえの率直さなのか、『跳ねるニシン』の血がなせるわざなのか。幼い子供が直球の発言をした。リリアは慈悲深い母の表情を浮かべる。
「セリア、そんなことを言ってはいけませんよ。食べ物は大切にしなくちゃいけません。……ほほ、一人娘なのでわがままに育ててしまって、恥ずかしいですわ」
自省すべきなのは娘でなく母親の方ではないか。
そう思ったが、宿泊させてもらう立場の者としてオウルは意見を言うのを差し控えた。
しかし、
「いやいや幼子の言葉は神の言葉ですぞ」
そういう遠慮を知らない人間も世の中には、というかこのパーティにはいる。
「どうでしょう奥方。神の言葉を真摯に受け止め考えるということが今、必要とされているのではないでしょうか。私が申し上げたいのはつまり、この煮込み物が大神殿の神官に供されるにはふさわしくないのではないかと……」
オウルはアベルのすねを蹴飛ばして黙らせた。
食事がまずいというのはオウルも同感だ。が、それを口に出しても改善されるとは到底思えない。何しろ相手はロハスの姉なのだ。
「独特な味付けですね」
しかしアベルを黙らせても、次はハールーンがものやわらかな微笑みを浮かべて口を出す。
「初めて出会う味です。こちらではいつもこういうお食事をなさっているんですか?」
遠回しに『まずい』と言っているのである。
厭味に気づいてリリアの夫は気まずそうに横を向くが、
「そうなんですのよ。私の家に代々伝わる作り方なんですの。ねえロハス」
当の本人は全く打撃を受けていない。
「うんまあ……そう言えないこともないかな」
苦しい返答をするロハス。三倍に水増しされていなければ、おそらくロハスの親しんだ味なのだろうとオウルは思った。
「へーえ、そうなんだー」
ハールーンが『ものすごく含みのある声を満面の笑顔で出す』という器用な技を披露する。
「とっても素敵な食卓だったんでしょうね。僕もそこにいたかったなあ」
「お恥ずかしいですわ、ほほほほほ」
和やかそうに見えて全然和やかでない。オウルは針の筵に座っているような気分になって、水っぽい料理を全力で胃の中に流し込んだ。
急に大人数で押しかけたこちらにも非はある。
だからと言って、出来ていた料理を水で薄めて客に出す主婦もどうかと思うが。
客をどの部屋に泊めるかということで、またひと悶着あった。
リリアは台所でいいと主張した。家に入れる前に言っていたのは冗談ではなく本気だったと知って、オウルは衝撃を受けた。
「だって、かまどがあるから暖かいじゃない?」
「いやでも……台所の床は石畳だし、さすがにどうだろう。お客様を泊める環境じゃないんじゃないかな」
リリアの夫が唯一頼れる常識人である。
「でもうちは狭いから。他にこんなに大勢を寝かせる部屋なんかないわよ」
「だったら、狭くて申し訳ないけれど居間に泊まってもらったらどうかな。台所よりはマシだと思うんだけど」
おずおずとした夫の提案に、リリアは露骨に嫌そうな顔をした。
「ええ? だって汚らしいじゃないの、狭いところに男が六人も。セリアの教育に良くないわ」
俺たちは泥まみれのイモの袋か何かか、とオウルは思った。
そして客の目の前でそういうことを平然と言う母親の存在の方が、よっぽど子供の教育に良くないだろうと思う。
リリアの夫の尽力で、何とか居間に泊めてもらうということで落着した。だが朝は夜明けと同時に起き、セリアが朝食に下りてくるまでにしっかり身支度を整えておくように口うるさく言われた。
「だってよ。分かったか、ハールーン」
「何で僕に言うの。僕はいつだって、女性の前ではきちんとしているよ」
「お前を起こすのがいつも一番大変だからだよ、バカ野郎」
リリア一家が寝室のある二階へ行って、ようやく一息つける気分になった。
「しかし、ここでも床で眠ることになるとは。ロハス殿のお身内は客の歓迎の仕方がなっておりませんぞ」
アベルが文句を言う。『ロハスの身内』という時点で十分に予想された展開ではあったのだが。
「ごめんねーみんな。姉ちゃん、取引に関して容赦のない人だから」
ロハスがあやまる。
「いやもう……取引というか、取引なのかこれいったい」
何だかもうわけが分からないとオウルは思う。
「大人数で押しかけない方が良かったのではないかね。我々は宿屋にでも泊まるという選択肢もあったと思うのだが」
バルガスまでが珍しく気遣いめいたセリフを口にする。この待遇に閉口してのことだとは思うが。
実際、昨日の港町で泊った安宿の方が数倍居心地が良かった。
「いや、それはそれで姉ちゃん怒るから」
「口では厳しいことを言っても、実は弟を可愛がっているというヤツですか。女性の心理とは難しいものですなあ」
アベルが訳知り顔に言ってから、
「でしたら、もう少し分かりやすく愛情を示してほしいですぞ」
と付け加えた。
「あ、そういうことじゃなくて」
ロハスがため息をついて言う。
「宿屋に泊まるってことは、よその家に金が流れるってことじゃん。どうせ金を使うなら自分のところで使えって怒るんだよ」
姉弟愛ではなく金銭愛。
どこまでブレないんだとオウルは呆れた。
「いいじゃないか、面白いぞ。料理も個性的で良かった」
ティンラッドが朗らかに言う。彼は食後に頼みもしないのにシタールを出して奏で、リリアの夫と娘から賞讃されたので機嫌がいいのだ。
「何でも楽しめるのはうらやましいことだな」
バルガスが冷ややかに皮肉を投げる。
「あ、オウルは明日、姉ちゃんの頼んでた用事お願いね。ハルちゃんにも、姉ちゃんが何か頼みたいみたいだからよろしく」
「ハールーンならもう寝てるぞ」
夕食の時に飲んだ葡萄酒と、もしかしたらバルガスの睡眠薬がまだ残っていたのかもしれない。
リリアとセリアがいるうちはかろうじて王子様面を保っていたハールーンは、二人がいなくなると同時に暖炉の前で丸くなって眠ってしまった。
「軽労働まで引き受けてこの待遇かよ」
オウルは愚痴った。ティンラッドと旅を始めてからいろいろととんでもない目に遭ってきた。が、宿のひどさ加減で言えば間違いなくハールーンの館の次くらいにハズレである。
風呂場のカビとかまどの修理はともかく、天窓の掃除は呪文を使うより屋根に上って自力でやった方が早いだろうな。
そう思ってから、どうして自分がそこまでやらなければならないのだろうかという疑問に囚われる。
非情に割り切れない気持ちを抱えつつ、彼は眠りについた。