第34話:うちの姉ちゃん -2-
客を迎え入れると決めてからのリリアは愛想が良かった。暖かい居間に通され、すぐにお茶も出る。
「おかあさま、おきゃくさま?」
奥から小さな女の子が出てきて、ぴょんぴょん跳ねながら母親にたずねた。
「セリア! ロハス叔父さんだよー。大きくなったねえ、だっこしてあげよう」
近寄るロハスを警戒するように大きな目で見上げる。
「アンタとその子が会ったの、一年以上も前じゃない。もう覚えてないわよ」
「そんなあ、あんなに子守してやったのに。姉ちゃんが遊びに出る間、オレが一日中面倒を看て……」
「人聞きが悪いわね、あれは付き合いよ。商売のためには昔からの友達とよく顔をつないでおかなきゃいけないの」
ロハスは仕方ない、とまた『なんでも収納袋』を探る。
「ほーらセリア。これをあげよう。叔父さんが砂漠を越えて仕入れて来たソエルのお人形だよー」
差し出された人形を女の子はじっと見て、それからがしっと奪い取った。
「ロハスおじちゃま、ありがとう」
「……姉ちゃんの娘だよねえ」
「何が言いたいのよ?」
客人たちの方はそんな家族の団欒に居場所がない、と思いきや意外にそうでもなかった。
ティンラッドは自分の家のようにくつろいでお茶を飲んでいるし、アベルは『奥方、お茶菓子はまだですかな』と図々しく催促している。
ハールーンは暖炉の前の居心地のいい場所に陣取ってうつらうつらしているし、バルガスも無言のまま部屋の隅でいつも通り陰気にお茶を飲んでいる。
……考えてみれば意外でも何でもなかった、とオウルは思った。この連中に『遠慮』などという言葉は無縁なのである。
他人の家に押しかけて居心地が悪いなどと思っているのは自分一人。そう気付いてオウルはとても損している気分になった。しかも彼一人だけ、後での労働が約束されている。
「姉ちゃん、義兄さんは?」
「まだ仕事よ。もうすぐ帰って来るでしょうけど」
アベルの要求をさりげなく無視しながら姉弟が会話する。こういうあたり、とても息が合っている。さすが血のつながりである。
「そうか、君がロハスの姪か」
見慣れぬ闖入者たちを母親の後ろから観察する小さな子供を、ティンラッドが手招きした。
「こっちに来なさい。おじさんが海の話をしてあげよう」
「船長……。女性なら何でもいいのですな。しかしいくら何でも若すぎではないですか」
「失礼なことを言うな、アベル。子供は可愛いじゃないか」
そんな会話を前にもどこかでしたような気がする、と思ってオウルは記憶をたどる。すぐにそれがあの砂漠の街で見た幻の中だと気が付いた。
そのことでハールーンを責めようとは思わない。責めたからと言って何がどうなるわけでもない。
あれは遠い蜃気楼。甘い悪夢の中にしかなかった街なのだから。
だがそれはそれとして、『自分の悪夢をわざわざ他人にも見せやがって』とハールーンに対して腹が立つのは別である。
オウルは暖炉の前でつまづいたふりをして、ハールーンのすねを思い切り蹴飛ばしてやった。
「あいたっ! 何、何がどうしたの、痛いよすごく痛いよ?!」
「ああ悪い。転んだ」
オウルは白々しく嘘を言う。ハールーンは疑わし気に青い瞳を彼に向けた。
「え……どうしてこんな何もないところで転ぶの? バカなの? それとも僕に何か悪意でもあるの? 僕のきれいな脚にあざでも残ったらどうするのさ」
そんなの知るかとオウルは思った。そして悪意ならたっぷりある。口に出す筋合いもないが。
「慣れない航海で疲れたみたいだな。悪かった、好きに眠ってくれ」
「眠れないよ! せっかくいい気持で眠ってたのに、思い切り蹴飛ばされてさ。すごく痛いんだけど」
「ああ悪かった悪かった」
「全然悪いと思ってないよね?」
「ちょっと。アンタたちってまさか船で内海を渡って来たの?」
リリアが会話を聞きとがめてロハスに尋ねる。
「そうだけど」
「どうしてそんな危ない真似をしたのよ」
地元民に叱られるような旅程だったのか。そう思ってオウルは、改めて暗い気分になった。
ちょうどその時、玄関に続く扉が開いて背の高い若い男が入ってきた。
「ただいまリリア。店で耳寄りな情報を聞いたよ。港に船が着いてね、どうやらそれに……わっ」
居間に見知らぬ男たちが大量にたむろしているのを見て驚く。
「義兄さん、お邪魔してます」
ロハスが挨拶した。
「その人たちはオレのパーティの仲間で、あやしいけど無視しててくれればそんなに害はないです」
ひどい紹介のされ方だった。
「ロハス君……来ていたのか」
男はロハスの顔を見て微妙な表情をした。
「君らしい人間が船でやって来たと聞いたから、リリアに早く知らせなきゃと思ったんだけど。……とにかく無事で良かった。砂漠に向かったと聞いて以来消息がなかったから、ずっと心配していたんだよ」
それでも実の姉より数段、マトモで温かい再会の言葉だった。
「すみません。オレ、元気です」
「うん」
ロハスの義兄は、まだ居間にいるパーティの一行を気にしている。
無理もないとオウルは思った。自分で言うのもあれだがアヤシイからだ。
オウルとバルガスは頭巾で顔を隠しているし、ティンラッドとハールーンは他人の家でくつろぎ放題だし、アベルに至っては暖炉の上に飾ってあるものを物色している。
控えめに言って、ならず者の一団にしか見えないだろう。
「あなた。すぐ夕食にしますか。お客様と一緒になりますけれど」
リリアが夫に声をかける。
ロハスの義兄は自分の妻を何とも言えない表情で見た。
「リリア。あの……大丈夫、なのかな」
「何がですか? おかずなら何とかしますけど。主婦ですからね」
はきはきと答えるリリア。
いや、アンタの旦那が心配してるのはそこじゃないだろう。
他人事ながらオウルはそうツッコみたくてたまらなくなってくる。
ロハスの姉は良く言えば肝が据わっている、悪く言えば金勘定以外には無頓着。つまりどこから見ても『ロハスの姉』なのだと、オウルにも理解出来てきた。
それにしても、確か彼女は『結婚が決まっていた恋人がいたのを、破産した実家を救うために諦めた』という悲劇の女性だったはずなのだが。
今、実際のリリアを見てオウルが思うことはひとつ。
『この女性に二人も求婚者がいたことが驚きだ』
ということだった。
恋愛というものには、彼の想像を超えた何か摩訶不思議な働きがあるのか。
それとも単に老舗の看板目当ての男が寄って来ていただけなのか。
大変失礼なことを考えながらオウルは、リリアの夫が小さな娘を抱き上げてならず者たちから隔離するのを眺める。
金で若い娘を無理やり妻にした、ロハスの家を超えるごうつくばりの一家の一人……オウルはそんな風に想像していた。
それが今では『父親の命令で怪女を妻にすることになってしまった気の毒な男』に見えてきてしまい、彼はそっとため息をつくのだった。