第34話:うちの姉ちゃん -1-
姉の引っ越し先にはロハスも初めて行くそうで、通行人に場所を聞きながらの移動になった。
「タイザの街より人が多いな」
頭巾を深く下ろしながらオウルが言う。ロハスはうなずいた。
「この街からは大神殿まで五日ほどで行けるからね。魔物が増えたと言っても、内海の向こう側とは集まって来る人の数が違うよ」
小さくため息をつく。生まれた街の現状と比較しているのだろう。気持ちは分かるが、どうにもならないことでもある。
「みんな。こっちだって」
ロハスは急な坂道を指差した。平坦なタイザと違い、ルザは岸辺近くまで山並みが迫っている。その中腹辺りまでびっしりと家が立ち並んでいた。
「姉ちゃんたち夫婦は『神の秤商会』の本店から少し離れたところに住んでるそうなんだ。本店は長男が継ぐしね」
「お前の姉貴の旦那って、何番目の息子なんだ」
「四番目」
「……それじゃ仕方ねえな」
「仕方ないよね」
よその店を買収するため婿に出された息子なわけで、それが跡取りのはずもない。
「結婚も好きに出来ねえんじゃ、金持ちは金持ちで大変ってことかな」
オウルが呟いたのを、ロハスが耳ざとく聞きつける。
「普通は四男にもなれば放っておかれるけどね。ほら、オレとかもそうだし。でも『神の秤商会』は何ていうか、ごりごり商売してるから」
「金のためなら自分の子供も売りに出すのか」
口調に苦みが混じる。ロハスはちょっと驚いたようにオウルを見直した。
「結婚の経緯はアレだけど、結構うまくやってるよ、義兄さんと姉ちゃん。そんなに心配してくれなくても大丈夫だけど」
感情的になりすぎていたと気付いて、オウルは口をつぐんだ。幸いロハスが何か聞き返そうとする前に、
「おや良い匂いがしますな。これはおそらく魚介類の煮込みもの」
アベルが鼻をひくつかせて勝手にふらふら歩き出した。
「あっ待ってアベル、どこへ行くのさ」
ロハスはアベルを慌てて追いかけ、話は終わりになった。オウルはもう一度頭巾を引っ張って、顔の出る部分を出来るだけ少なくした。
「良い匂いはここからですな」
一軒の家の前でアベルは足を止めた。立派な石造りの家で、扉の横に祈祷書と天秤の印が刻まれた銅板がはめ込んである。
「……ここだ」
その印をじっくり眺めてロハスが言った。
「この匂いは姉ちゃんの得意な海老の煮込みだなあ」
「今夜はそれがいただけるのですな」
アベルは嬉しそうだ。
「では姉上にご挨拶いたしましょう!」
「あー……その辺りはあんまり期待しないで」
ロハスはまた物憂げな表情になった。
「じゃ、とにかく呼んでみよう」
扉の叩き金を持ち上げて三度打ち付ける。しばらく間があってから、
「どなた様?」
中から女の声がした。
「姉ちゃん。オレだよ、ロハス」
ロハスが大声を上げる。
「久しぶり。ちょっと泊めてもらえないかな」
扉が細く開いて中から灯りが漏れた。
「やだ、ホントにロハスだわ」
女の声が響く。
「砂漠で死んだと思ってた。幽霊じゃないわよね?」
「生きてるよ。仲間も一緒」
まだ扉は開かない。中の声が少し疑わし気になった。
「あやしい連中ね。アンタまさか、盗賊に鞍替えしたわけじゃないわよね。うちにはお金は置いてないわよ。現金があるのは本店よ」
「あのねえ姉ちゃん。弟を信用してよ」
ロハスはうんざりした声になった。
「タイザの家にも寄って来たんだから。ほら、シルベさんからの手紙と預かりもの」
懐の『何でも収納袋』の中から、預かったものを取り出して差し出す。
扉の隙間からそれを受け取ってようやく納得したのか、
「シルベが言うならまあ信じてもいいわ。でも急にこんな大勢で来られても困るわよ。寝床は台所で、食事はパンと水だけでいいわよね?」
ロハスによく似た顔の女性がようやく扉の外に出てきて、きびきびとそう言った。
「姉ちゃん……」
ロハスがますますうんざりした顔になる。
「久々の弟だよ? 命がけの砂漠の旅から生きて帰って来たんだよ? もうちょっと何かさあ」
「弟は三人いるし、妹も二人もいるのよ」
ロハスの姉らしき女性の口調は全く変わらなかった。
「誰かが来るたびに無料で歓迎していたら、うちは干からびちゃうわ。このご時世、商売やっていくのも簡単じゃないのよ」
「分かるけどさあ」
ロハスはため息をついた。
それからもう一度『なんでも収納袋』を探り、中から酒瓶を三本出す。
「ソエルの酒。今じゃそうそう手に入らないよ」
ロハスの姉は慎重にそれを吟味した。
「アンタを入れて二人分ってとこね。もちろん、身内だから大負けに負けての値段よ」
「ソエルの酒だよ?!」
「だってどこぞの家で作った安いものでしょう。有名な醸造所のものならともかく」
なぜこの姉弟は、遠来の客に挨拶ひとつもせずに道端で取引を始めているのか。
オウルは理解しがたいと思った。そしてロハスが『うちの姉ちゃんはすごい』と言っていた意味が分かった気がした。
「じゃあこれもつけよう。砂漠のオアシス都市で仕入れた飾り物五種類」
「なかなかきれいね。そうねえ、これならあと二人くらいは家に入れてやってもいいわ」
「そこはもう少しオマケして」
「ダメね。無理」
きっぱりと首を横に振る姉。ロハスは仲間の方を振り返って叫んだ。
「ハルちゃーん、ちょっと来て!」
「何……」
後ろで座り込んでうつらうつらしていたハールーンが名前を呼ばれて立ち上がる。
それからロハスの姉がいるのに気付き、三秒で寝ぼけ顔から『砂漠の王子様』に変貌した。
「初めまして、美しいお方。あなたがロハスの姉君ですか。僕はハールーンと言います、ロハスにはいつも親切にしてもらって。それにしてもなんて美しい方でしょう、まるで砂漠にかかる白い月のようです。ロハスから御夫君がいると聞いていなければ、僕はこの場で恋に落ちてしまったでしょう」
口を開けば『姉様』のことしか言わないカビの国の変態王子のくせに何をぺらぺらと。……とオウルは思ったが、ロハスの意図は何となく分かったのでそれを口にするのは自重しておく。
「あら、きれいな子」
ロハスの姉も少し態度が変わった。ニコニコしているハールーンを、頭のてっぺんからつま先までじろじろ見る。
「ロハス。どこで拾って来たの、こんな子」
「砂漠に落ちてた」
もの扱いである。
「いいわ、この子の分はオマケしてあげる。きれいだから」
それでも値引き交渉のネタくらいにはなったようだ、とオウルは思った。
「これで五人分かあ……うーん、あと一人分」
ロハスは眉間にしわを寄せて悩む。
「そうだ! この大神殿の三等神官様がありがたいご祈祷をします」
アベルを前に出す。
だがロハスの姉は首を横に振った。
「いらないわ、大神殿の神官様ならいろんな方が街においでになるもの」
「じゃあ、この船長がシタールで素敵な歌を聞かせます」
ティンラッドを引っ張ってくる。
「流しの楽師なら酒場にいくらでもいるわよ」
良い返事が出ない。
「えーとそれじゃあ……」
ロハスの目がバルガスとオウルを等分に眺めた。オウルは何だか厭な予感がした。
「姉ちゃん、何か困ってることない? 煙突が詰まってるとか、井戸の水が濁ってるとか、天井裏でネズミがうるさいとか」
「何よそれ」
「いいから。何かない?」
ロハスの姉はちょっと考える。それから、
「そうねえ。かまどの調子がちょっと良くないの、古いものだから。それにお風呂場のカビが取れないし、天窓の掃除をする人を雇うのにお金がかかるからどうしようかと思っているわ」
「その悩み全部、この便利な魔術師が解決いたします!」
「おい!」
前に押し出されてオウルは文句を言おうとしたが、
「出来るよね? 得意分野だよね?!」
念を押されるように言ったロハスの真剣な顔に、オウルは敗北した。
自分の返答に今夜の宿の快適さと満足な食事がかかっている。それを理解したのだ。
「何とか出来る、と思うが……」
「ほら姉ちゃん! 出来るって!」
ロハスが勢い込んで言う。
ロハスの姉はしばらく腕組みして考えた後、
「いいわ。それなら可愛い弟の言うことだし、まあ妥協しましょう」
とうなずいた。
それからにっこり微笑んで、
「皆様、はじめまして。ロハスの姉のリリアでございます。いつも弟がお世話になっております」
ようやく愛想よく挨拶したが、オウルは『遅い』と思った。