第33話:存在意義 -4-
船室で過ごしているうちに、オウルは具合が悪くなってきた。急いで甲板に戻って新鮮な空気を吸う。体の中にカビがしみこんだ気がして、どうにも調子が上がらない。
「おお、行く手に陸地が見え始めましたぞ! いよいよ目的地ですかな」
「ああ。この分なら日が暮れる前に港へ入れるぞ」
「楽しみですなあ。ルザの街ではどんなお酒が飲めるのでしょう」
バカはいいなとオウルは思った。自分が神官として不適格なのではないかなど、アベルはきっと考えたこともないのだろう。
しかし『アベルをうらやむ』という行為は、人間として大切なものを放り捨てる行為だという気が激しくする。だからオウルはすぐに忘れることにした。
「航海は順調みたいだな」
代わりにそう呟いた。
魔物に襲われた様子もない。結界術は有効だったようだ。
しかし、それを聞いた皆の表情は一斉に微妙になった。変わらないのはアベルとティンラッドくらいである。
「うん……まあね。魔物が襲ってきたりはしなかったね」
ロハスが曖昧に言うと、
「襲ってはこなかったな」
水先案内人のオニスも曖昧にうなずく。
「何かあったのか」
勘づきたくないのに勘づいてしまった。損な性分だと思う。
「三回ほど魔物が船に近付いて来たんだよ。襲ってはこなかったが、横に並んでいつまでもついてきたりな」
アンガスが苦い顔で言い、じろりとティンラッドを睨んだ。
「そのたびにこのバカが! 戦闘バカの厄ネタ拾いが! 戦わせろ戦わせろとうるさくて、終いには自分から襲いかかっていきそうな始末ときた。魔術師の兄ちゃんよ。てめえが便利っていうのは昨日の戦闘でよく分かった。だがああいう時こそあんたの出番だろうが、何で肝心の時にいやがらねえ!」
そんなこと言われても。とオウルは心底思った。
別に自分は仲間の暴走を止める役でも何でもない。そしてどうしてアンガスにまで便利扱いされなくてはならないのか。自分の存在意義とはいったい何なのか。
「そういう大事な時に、絶妙に味方の足を引っ張るのがハルちゃんなんだよねえ」
「眠っていてもそれを成し遂げるとは、さすがハールーン殿ですぞ」
バカが二人、したり顔で何か言っているが、
「そんなこと言ってねえで、そういう時はお前らが船長を止めろよ」
オウルはツッコまずにはいられなかった。
「いやいや、オレたちじゃ無理」
「やはりああいうことはオウル殿でないと」
「面倒くさいからやりたくねえだけだろ」
オウルはイライラした。
「で、最終的にどうやって止めたんだ」
「ちょうど私が甲板に上がってきた時にアンガス氏が苦労されていたのでね。二人がかりで説得した」
バルガスが肩をすくめる。
「説得(物理)だったけどね」
「甲板に傷がついた。どうしてくれるんだ」
アンガスは不機嫌だ。
「大した損傷ではないだろう。航海の途中で魔物に襲われるのは想定内ではないのかね」
バルガスは冷徹に切り捨てる。
「魔物にやられたと思えば腹も立たねえが、乗客が暴れたと思うと腹が立つんだよ」
「今日の航海が無事に済んでいるのはアベル君の神言のおかげだと思うが。それに帆柱の損傷はあなたが偃月刀を振り回したからだな、アンガス船長」
どうやらバルガスに任せておいて大丈夫そうだなとオウルは思った。
アンガスの気持ちも分からないではない。だがティンラッドを乗せた時点で、その損害は諦めるしかないものなのだ。帆柱が折られたりしていないだけマシだ。
「そういうわけで、戦闘したから船長もとりあえず気が済んだみたいだしさ」
とロハスが言った。ついに『説得』ではなく『戦闘』と言ってしまっている。
「楽しかったぞ。軽い運動もいいものだな」
ティンラッドは朗らかにうなずく。
「あれのどこが軽い運動だ。会うたびに俺の船を壊さなきゃ気が済まねえのか。二度と乗るなバカ!」
アンガスが怒鳴り散らしているが全く気にする様子はない。
結局のところ、知り合ってしまった時点で詰んでいるのだ。
オウルはつくづくそう思った。
魔物に襲われることのない穏やかな船旅が続いた。
対岸の街がすぐ近くになった頃、ハールーンがのそのそと船室から這い出してくる。
「眠い……」
「船酔いは?」
「大丈夫みたいだけど、とにかく眠い……」
甲板でも眠ってしまいそうな勢いだ。バルガスの薬が効きすぎたようである。
「頭痛はしないか。悪酔いしたような気分とか、肺がカビでいっぱいになった気分とかは」
オウルは気になって聞いてみた。ハールーンはだるそうに片目を開け、
「何で? 別にそういうのはないよ。ただ眠いだけ」
と答えた。
やっぱりコイツはカビや埃に特殊な耐性があるに違いない。オウルは確信した。
港に着くと、アンガスは一行を追い出すように船から下ろした。
「二度と俺の前に顔を出すなバカ。さっさと海へ帰れバカ」
もう罵り言葉しか出てこない様子である。
「ありがとう、助かったアンガス」
ティンラッドは微塵も気にしていない様子でそう返した。
「いつかまた海で会いたいものだな」
「海で、か」
アンガスは束の間、遠くを見るような目をした。
「魔物時代が終わるまでは無理だな。ティンラッド、てめえ魔王か何だか知らねえが倒せるものならさっさと倒してくれよ。出来るもんなら俺がくたばる前に魔物をどこかへやってくれ」
アンガスの口調は完全にバカにしているものだったが、
「分かった。努力しよう」
ティンラッドはあっさりうなずいた。そのままくるりと背を向け、後ろ手に手を振って歩き出す。
「じゃあオレの姉ちゃんの家に行こうか」
ロハスが浮かない顔で言った。
「先に言っておくけど、覚悟しておいてねみんな。うちの姉ちゃんすごいから」